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2006年6月19日

安倍晋三氏は「神側の議員」になるのか

 安倍晋三官房長官の父である晋太郎氏は、「勝共推進議員」であった。これは共産主義に勝つことを推進するための集まりで、国会議員105人が賛同していた(「思想新聞」90年3月25日付)。統一教会の友好組織である国際勝共連合からすれば「神側の議員」ということになる。そこに名前を連ねれば選挙のときに信者たちが熱心に活動してくれたのだ。この年2月18日に行われた総選挙で自民党は予想外の健闘で275議席を獲得、追加公認をふくめて286議席となり単独過半数を確保している。ちなみに社会党は136議席。オウム真理教が真理党として25人を立候補させ、惨敗したのもこの選挙戦であった。投票日から1か月ほど経った3月13日、国会に近いキャピトル東京ホテルで「勝共推進議員の集い」が行われた。ここには中曽根康弘元首相、安倍晋太郎元幹事長などが出席している。統一教会が安倍晋太郎氏を総理にすることを政治目標にしていた時期のことだ。

 統一教会と日本の保守政治家との結びつきの歴史は古い。1964年に東京都の認証を得て宗教法人となった統一教会は、68年に岸信介元首相などの協力を得て国際勝共連合を結成。70年4月9日には渋谷の松濤にある本部で、4000人の信者を前に岸信介氏が講演を行い、激励を行ったこともある。ところが統一教会には文鮮明教祖の前に天皇役がひざまずく儀式があることが暴露され、さらには霊感商法を行っていたことが社会的に糾弾されることで、保守系議員も一定の距離を置かざるをえなくなってきた。岸信介ー安倍晋太郎ー安倍晋三と三代につらなる関係を保ちたいがために、統一教会は安倍晋三氏に何度も面会を申し入れている。ところが安倍氏からすれば、北朝鮮を財政的に支えている統一教会を認めるわけにはいかない。しかし、統一教会側としては対北朝鮮へのシグナルとして、さらには信者たちへのメッセージとして「次期総理」と目されている安倍晋三官房長官と交流があるのだと示す必要があった。日本で発行されている機関紙「中和新聞」ではなく、韓国の「世界日報」で報じられた意味はそこにある。

 これまでにも統一教会の本音は日本の機関誌紙ではなく、韓国の「統一世界」などで表明されてきた経緯がある。たとえば「中曽根首相はわたしにひれ伏した」といった文鮮明教祖の講演内容は、日本で訳すときに伏せられた。日本で政治問題化させたくないという謀略的判断である。安倍晋三官房長官の祝電が「天宙平和連合(UPF)祖国郷土還元日本大会」に送られたのも、事務所や地元秘書レベルの判断だったのだろう。あるいは信者が勝手に送った可能性さえある。統一教会にとっては、あくまでも安倍晋三氏を取り込みたいのだ。支援を受けているという印象さえあえば、信者たちを鼓舞できるということでもある。マスコミからの取材に対して安倍事務所は「秘書がつかまらない」との理由でコメントをしていないようだ。中川秀直政調会長などは、「集会の案内も来ていない。祝電などは打っていない」とコメントしている。安倍事務所が問い合わせから逃げて責任を果さないとは情けない。総裁候補の器はこうした細かい対応でも判断されるものだ。

2006年6月17日

安倍晋三氏に接近する統一教会

 安倍晋三官房長官などが統一教会系の「天宙平和連合(UPF)祖国郷土還元日本大会」に祝電を送ったことが話題となっている。総裁選前に、これを政治問題化させようという動きもあるが、過大評価である。安倍氏からの祝電を報じたのは韓国の「世界日報」5月14日付。統一教会系の新聞である。大会は5月後半に国内12か所で開かれており、13日に福岡で行われた集会で安倍氏の祝電が披露された。この「天宙平和連合祖国郷土還元日本大会」は、統一教会の文鮮明教祖と妻の韓鶴子が共同総裁で、合同結婚式の儀式も行われている。霊感商法を行い、最高裁でも違法と認定された合同結婚式を催す統一教会は、反社会的集団だ。

 その集会で本人が挨拶したのなら国会でも問題となるだろう。しかし、祝電となると問題はまた違う。国会議員の地元事務所が依頼を受けたならば、祝電を送るかどうかはそこで判断するのが通例だ。結婚式や葬式への電報とほとんど同じ水準の判断だろう。祝電を送った安岡興治元法相の事務所が「出席依頼があったので電報を送った」というレベルのことだ。さらにいえば自分たちの集会に権威を付けたいときには勝手に政治家を装って祝電を送ることさえ行うのが統一教会である。ましてやもし仮に統一教会信者が私設秘書として働いていれば、祝電を送るぐらいは簡単なこと。

 わたしは安倍晋三氏と統一教会問題で会話を交わしたことがある。安倍氏は言った。「北朝鮮と統一教会の関係はどうなっていますか」。わたしは北朝鮮の金正日体制と統一教会とが深い関係にあることを伝えた。安倍氏は「そうですよね」とうなずいた。「実は」と彼は統一教会がさかんに接触し、面会を求めてくると語った。「わたしは会わないですよ」と安倍氏は言った。北朝鮮に強硬な立場を取り、しかも有力な総裁候補である安倍氏が、自らの判断であえてこの時期に統一教会系の集会に祝電を打つことはないだろう。

2006年6月 4日

麻原裁判の論理と飛躍

 麻原彰晃(本名、松本智津夫)被告の死刑確定が近づいてきました。東京高裁第10刑事部が控訴棄却したことに麻原弁護団が異議を申し立てていたのですが、5月29日にそれが第11刑事部で棄却されたからです。この決定に対して「当然だ」とのコメントもあれば、「早く殺せというのか」といったいささか感情的なコメントもありました。決定文書はA4版で14ページ。最初に「麻原彰晃こと松本智津夫」の本籍と住居が書かれています。本籍は「静岡県富士宮市」、住居は「不定」とされています。もともと熊本県八代市で生まれた被告は、オウム真理教の富士山総本部があった富士宮市に籍を移したのでした。その本部もすでに取り壊され、いまや存在していません。職業は「無職」。

 

 決定文書は大きく2つの項目から構成されています。ひとつは「控訴趣意書提出問題について」、ふたつめが「被告人の訴訟能力について」です。まず控訴趣意書の問題から見ていきましょう。そもそも控訴審を行うとき、弁護団は控訴趣意書を出さなくてはなりません。その期限は平成17年1月11日でした。ところが弁護団が延期を申し入れたので、裁判所は8月31日まで提出を延ばすことを認めたのでした。この日、弁護団は控訴趣意書を持参したのですが、高裁が被告人に訴訟能力があるかどうかを鑑定するときの条件を述べ、それが受け入れられないならば控訴趣意書を提出しないという態度を取ったのです。

 両者の間にはすでに誤解が生じていました。裁判所は8月19日の打ち合わせで「鑑定意見が出るまでに控訴趣意書が提出されれば期間内に提出されたものとする」と明言したからです。弁護団からすれば「鑑定意見が出ていないから8月31日に提出しなくても棄却はないだろう」と判断したのでしょう。ところが高裁の決定では「その日のうちにこの見解を訂正し」と書かれています。どこかに文書があるのかといえば、そうではなく「電話で告知」とあります。高裁はさらに8月31日にも「ある日限までは控訴棄却決定はしないというような約束はできない」と述べたとしています。

 弁護団はここで読み間違えをしたのでした。ある弁護士は「いきなり控訴棄却しないという裁判所との約束があったのです」とわたしにも語っていました。ところが裁判所はそんな約束などないというのです。3月28日に控訴趣意書を提出することは3月21日に裁判所に伝え、それが新聞でも報道されました。その提出前日の27日に控訴棄却がなされたのですから、弁護団からすれば「不意打ち」にしか思えなかったのです。わたしもそう思いました。しかし、法律的形式は整っているのですから、異論はあっても、これから最高裁に特別抗告したところで問題とはなりえないでしょう。

 それでも問題が残るのが被告人の訴訟能力です。弁護団側は6人の精神科医が、それぞれ30分の面会を麻原彰晃と行いました。その結論はすべて「訴訟能力はない」というものでした。ところが高裁が依頼した精神科医の鑑定結果は「訴訟能力あり」というものです。この医師が町医者でこれまでにも裁判所の意向に沿った鑑定を行うことで有名な人物であることは知られていません。決定文書はこう書いています。「被告人に訴訟能力があるという結論に達したからといって、被告人の精神状態が完全に正常であることを意味するものではない」「治療を施すことによって完全に正常な精神状態に戻した上で裁判を行うという選択肢も考えられなくはない」。そのとおりだとわたしは思います。なぜなら国際的にも注目される裁判は、法律形式にのっとって、内実においても歴史的検証に耐えうるものでなければならないからです。

 しかし、高裁決定は「しかしながら」と書いたうえで、こう続けました。「控訴の決定棄却は免れようがないのであり、そうすると、被告人に治療を施してみたところで、『決定棄却すべきである』という結論に変わりはなく、本件裁判上治療自体さして意味があるとも思われないところである」。控訴棄却は当然の決定だから、それから治療したところで裁判には関係がないよというのです。論理などいくらでも組み立てられるものだなと思いました。さきほども書いたように、弁護団はこれから最高裁に特別抗告するでしょう。しかし、東京高裁の決定が覆ることはないでしょう。こうして高裁での実質審理がまったく行われることなく麻原彰晃の死刑判決が確定するのです。

Profile

有田芳生(ありた・よしふ)

-----<経歴>-----

1952年京都生まれ。
フリーランスのジャーナリスト。

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「有田芳生の今夜もほろ酔い」



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