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2006年4月30日

これでいいのか 麻原裁判

 これまでのままでは硬いリポートになり、何かきっかけがないと書けないなと思っていたので、これからは少し気楽に綴ることにします。そうはいってもまずはやはり麻原彰晃裁判です。4月29日に東京•四ツ谷で「これでいいのか 麻原裁判」という弁護団主催の集会が行われました。ここでは甲南大学の渡辺修教授が講演し、そのあとで麻原被告の精神鑑定を弁護団の依頼で行った野田正彰•関西学院大学教授、そしてわたし、さらに宮台真司•首都大学准教授が発言、そのまま3人の「討論会」となったのでした。正直に言って討論の場にあって戸惑いました。そもそもわたしに集会への参加が求められたときに参加すべきかどうか迷いました。昨年11月の同じ集会ではそんな気持ちはありませんでしたが、今回は「いま何を語ればいいのか」という思いがあったからです。それでもこの集会に出たのは、この3月27日に東京高裁がいきなり控訴を棄却したからです。このままではいずれ麻原彰晃被告への死刑判決が確定することでしょう。新聞、テレビは「すべて」といっていいほど、弁護団が控訴趣意書を出さなかったから仕方がないとの論評を出しました。オウム問題を長く報じてきたこの問題の識者である佐木隆三さんも江川紹子さんも、結論的にいえば高裁の判断を積極的に支持しました。「そうだろうか」とわたしは思いました。それは高裁が弁護団との約束を破ったからです。

 弁護団は控訴趣意書を提出期限に出しませんでした。その理由は被告人である麻原彰晃と意思の疎通が出来ていないというものでした。意思がわからないというのはそうなのですが、出さなければ高裁が控訴を棄却して、死刑が確定することは充分に予想されました。本来なら控訴趣意書を出して、さらに必要な補充書を出せばよかったのです。なぜ出さなかったのか。それは期日である昨年8月31日に提出していたならば、控訴審が行われ、おそらくこの2月には結審、死刑が確定するとの「読み」があったからです。しかし、おかしいのは東京高裁です。「いきなり控訴を棄却しない」との約束をしていたのに、しかも弁護団が3月28日に控訴趣意書を出すと裁判所にも知らせ、新聞でも大きく報じられたにも関わらず、その前日の27日にいきなり控訴を棄却したのでした。東京高裁は約束を一方的に破ったのです。わたしが集会に出た唯一の理由はそこにありました。「約束ぐらい守れよ」との怒りです。ところが集会ではその不当性は明らかになったものの、討論といえば高裁に依頼された精神鑑定の幼稚さなどに焦点が置かれ、いったいこの現状をどうすればいいのかなどが不明なまま終ったのでした。それが戸惑いの理由でした。

 いやいや、こうして小さな集会の内容を紹介してもあまり意味がありません。そう遠くないうちに麻原彰晃被告の死刑が確定するでしょう。しかし、それでオウム問題は終りません。事件そのものにも多くの謎が残っています。たとえば麻原彰晃と実行犯を結びつけた村井秀夫は、なぜ刺殺されたのでしょうか。そもそも教団の武装化を知っていて内偵を続けていた警視庁はなぜ地下鉄サリン事件を防げなかったのでしょうか。そんな疑問はいくらでもあげることができます。いまでもオウム信者の活動があり、昨今の少年事件への精神的影響もあるのです。裁判が長引けばいいとは思いません。しかし、いったい何があったのか。高裁が依頼した精神科医は、麻原彰晃に鉛筆を持たせたところ、それを取ろうとしたらグッと握ったから「意思能力がある」という程度なのです。こんなことなら赤子でも猿でも裁判能力があるということになるでしょう。紙おむつをした麻原は、接見した娘や弁護士のまえでそれを脱いで自慰行為をするほどなのです。たしかに「異常」です。もちろん詐病説もあります。わたしもその疑惑を否定できません。そかし、もし麻原彰晃の精神情況に問題があるならば、それを治療してから裁判は再開すべきです。裁判所の意向に沿った鑑定ばかりしていて「問題あり」と指摘されている精神科医の結論だけで国際的に注目されている裁判が終ることは、あの事件から何も学ばなかったことになるのではないでしょうか。

 

Profile

有田芳生(ありた・よしふ)

-----<経歴>-----

1952年京都生まれ。
フリーランスのジャーナリスト。

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「有田芳生の今夜もほろ酔い」



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