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2005年12月15日

犯罪連鎖の土壌

 広島、茨城と小1女児が殺害される痛ましい事件が起きて、この国はいったいどうなっているのだと思っていた矢先に京都でも小6女児が塾講師に殺害された。「またか」と痛感したのは、子供が犠牲になったということだけではなかった。塾講師の「23歳」という年齢が気になった。そして思いだしたのは次のような言葉だ。
「少年の予備軍はいくらでもいる。土壌が同じだからです。もし社会が有効な対応を取ることができなければ、同じような事件は必ず起こるでしょう」
 発言者は神戸児童殺傷事件の少年(当時14歳)を担当した精神科医のひとりだ。こう「予言」したのは97年秋のこと。少年は関東医療少年院で治療を受け、「育て直し」を終えたうえで、今年のはじめからある土地で働いている。給料から毎月5000円を被害者遺族のために「貯金」しているという。いま23歳だ。そう、京都で事件を起こした塾講師と同い年なのだ。「またか」と思ったのはマスコミが気づいていない問題がここでも現れたからだ。象徴的な表現をすれば「1997年の14歳と2005年の23歳」である。言葉を変えれば、95年に起きたオウム事件の精神的影響という問題点である。

 わたしがまず気になったことは、神戸の少年の「犯行ノート」(97年3月16日の少女殺害事件からの記述)に「バモイドオキ神」「聖なる儀式アングリ」「聖名」という言葉があったことだ。ノートには彼が想像のうえで作り上げた「バモイドオキ神」が描かれていた。仏像である。ここにオウム報道の影響はなかったか。坂本弁護士一家殺害事件の実行犯だった岡崎一明(死刑確定)の教団名が「アングリマーラ」だったことも「聖なる儀式アングリ」と奇妙に符合した。何よりも決定的だったのは「聖名」だ。オウム真理教のなかで麻原彰晃が信者に与えた教団名は「ホーリーネーム」で、日本語にすれば「聖名」である。

 わたしは少年のなかにオウム報道の影響があるのではないかと思った。そこで担当精神科医から長時間話を聞くことにした。もちろん事件の原因は単純ではない。しかし、その要素のなかに「オウム」的なるものはあったのかどうか。結論的にいえば精神科医の判断では「あった」という。テレビ報道を無批判に受け入れた少年は、「あの程度(注、オウム事件のこと)なら許されるのではないか」と思ったという。テレビという装置に事件を起こしたと思われていた教団幹部が登場し、反対派と対等に議論をしていた姿が少年の意識に「あの程度なら」という理解を生んだという。わたしの理解では「暴力性」の植え付けでもあった。

 それから2年。1999年から2000年にかけて「17歳の犯罪」が全国で多発した。愛知県豊川市では「ひとを殺す経験がしたかった」と高校生が見知らぬ主婦を殺害、佐世保の少年はバスジャックを決行し、主婦を刺殺した。このとき逮捕された少年たちの多くが97年の神戸事件をネットなどで調べていたことも明らかとなった。神戸の少年が好んでいた「13日の金曜日」というホラービデオもまた同じように見ていた者も複数いる。ある少年などは「酒鬼薔薇聖斗(神戸の少年がバモイドオキ神から与えられた「聖名」)のようになりたかった」と供述している。このときの「17歳」とは実は神戸の少年と同い年であった。

 そして今回の京都事件である。14歳が17歳になり、23歳になった。もちろん一部の少年の問題であるにしても、この10年の日本社会のなかで彼らの内面に植え付けられた「何か」にメスを入れることが課題である。京都医療少年院の岡田尊司さんの著書のタイトルを借りれば『脳内汚染』(文藝春秋)である。95年にオウム事件が起こり、その一端の影響を受けて神戸事件が起き、さらに「17歳の犯罪」へと進み、いままた京都で事件が起きた。あの「タリウム少女」(16歳)もまたブログ日記では神戸の少年を意識していることを明らかにしていた。犯罪精神の連鎖というものがあるとすれば、外からは見えないその土壌にまで立ち入らなければ、効果的な防止策とはならないだろう。

2005年12月 8日

麻原彰晃は「異常」か

「松本被告テーマに討論会 面会の様子、家族が報告」と共同通信が配信したのは11月27日。この集会の報告者のひとりとして違和感を感じる記事だ。どこに問題があるのか。全文を紹介する。
 〈地下鉄サリンなど13事件で殺人罪に問われ、東京高裁が現在、訴訟能力の有無を判断するために精神鑑定の手続きを進めているオウム真理教松本智津夫被告(50)=教祖名麻原彰晃、1審死刑=の控訴審をテーマにした公開討論会が27日、東京都内で開かれ、市民や学生ら約70人が参加した。
 討論会は、松本被告の弁護団が主催。映画監督の森達也さんやジャーナリスト有田芳生さんが講演。松本被告の家族は拘置所で面会した様子などを報告した。
 森さんは「判決の日に見た松本被告は同じ動作を繰り返しており、素人から見ても異常だと思った。治療して治る可能性があるなら試して、控訴審には事件の真相解明を期待したい」と話した。〉

 集会の様子を知らせる記事としてはまとまっているが、ここで森達也さんの「素人から見ても異常だと思った」という発言を引用することは、事態の一面だけを指摘しているにすぎない。わたしは「詐病の可能性がある」と主張した。

松本被告の現状はたしかに「異常」に見える。弁護士、東京拘置所関係者によれば、こんな生活状況だという。 排泄は紙おむつ。衣服の着脱は係官が手伝い、風呂には介添えで入っている。棒タワシで係官がこするが、下半身は自分で洗っているそうだ。食事はどんぶりのなかのご飯に副食物を「すべて」入れて箸ではなくレンゲを使用している。発語はなく、ときどきニヤッと笑ったり、痙攣を繰り返す。この状態を見て担当弁護士は訴訟能力がないと主張し、これまでに2人の医師による鑑定を行った。ところが検察、裁判所は「訴訟能力あり」との判断のもとに、現在、東京高裁が選任した医師による鑑定が行われている。一審で死刑判決が下された2004年2月27日に、松本被告が「ちくしょー、どうしてなんだ」などと拘置所で叫んだり、接見したとき話しかけに対して「うなずいた」ことが「正常」だという判断の材料になっている。

 法廷での松本被告を見る限り、たしかに弁護団や森さんがいうように「異常」だ。ただし、そこで欠けている視点は麻原彰晃というカルト教祖への理解である。まず裁判の場でもときどき身体を反らせるように痙攣する姿だが、これはオウム真理教(アーレフ)のなかでは「クンダリニー(生命エネルギーのこと)が上がってきた」と信者に知らせる意味がある。ところが一般的に見れば、言葉も発することなく、身体を痙攣させる姿を見れば、これは「拘禁反応」ではないかと思ってしまう。

 観察者のなかには1996年4月24日の第34回公判で松本被告が17事件(のちに検察は4事件を取り下げる)すべてについて英語を交えた意見陳述を行ったとき、「ここはエンタープライズの上だ」などと意味不明の発言を行ったことをもって「あのころからおかしかった」とする者もいる。これはカルト教祖としての被告を知らないことによる判断だ。信者や彼を知る関係者なら「またやっている」という感想を持つはずだ。『オウム裁判傍笑記』(新潮社)を書いた青沼陽一郎さんの卓抜な言葉を借りれば「最終解脱者」ならぬ「最終芸達者」だからである。

 わたしはいまBC級戦犯の調査をしているが、そのなかで死刑をまぬがれるため人間がどれほどの「擬装」を行えるのかという事例を知った。時代は1951年。場所は巣鴨プリズン。当時、死刑判決が下され、刑が執行されていなかった「戦犯」は2人だけ。そのひとりである元軍医大尉は、判決が下されてから精神的な「異常」をきたした。会話はいっさいなし。排泄物は垂れ流し、眼はうつろでよだれを流している。担当者が床にうつぶせになった彼の排泄物を拭き、起こしあげて椅子に座らせても、足は伸ばしたままで、まるで関節が外れているようだった。

 米軍の精神科専門医や松沢病院で何度も鑑定を行うのだが、いずれも「精神異常」との結論が出される。ところが元軍医大尉の姉は「詐病」ではなく「正気」だと思っていた。やがて姉が金網越しに接見。口を開くことはなかったが、姉の眼には「装っている」としか思えなかった。死刑から無期懲役へと減刑が伝えられたあとのことだ。姉は2度目の接見を行う。こんども涙を流すだけで、まったく口を開かなかった。ところがである。翌日になり元軍医大尉は刑務官に丁寧に頭を下げ、「書籍をお貸しください」と小声で語った。まったく「詐病」だったのである。

 精神科医が何度も鑑定を行い「異常」と判断していた人物が、じつは正常だった。その理由は「正常」だと判断されれば、ただちに刑の執行が行われるという恐怖心からであった。人間はここまでのことができるのだ。ましてやカルト教祖である松本智津夫被告なら、「異常」を演じることができるだろう。(この元軍医大尉のケースは吉村昭さんの『プリズンの満月』(新潮文庫)でも紹介されてる)

 ただし、「詐病の可能性あり」とするわたしも「訴訟能力なし」とする弁護団も医療の専門家ではない。ただの印象批評のレベルだといってもよい。だからこそ専門家による精神鑑定が必要とされている。もし「訴訟能力なし」との判断が下されるなら、裁判は一時中止となり、松本被告は治療行為に入る。しかし、「訴訟能力あり」とされ、弁護団が控訴趣意書を提出しないならば、一審「死刑」判決が確定する可能性もある。地下鉄サリン事件から10年。教祖の裁判は大詰めを迎えている。

Profile

有田芳生(ありた・よしふ)

-----<経歴>-----

1952年京都生まれ。
フリーランスのジャーナリスト。

BookMarks

オフィシャル・ウェブサイト
「有田芳生の今夜もほろ酔い」



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