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公共事業にむらがる アーカイブ

2006年4月 3日

“巨悪”とは何か — マッド・アマノさんに答えて

 1988年6月に「長良川河口堰建設に反対する会」を立ち上げ、7月にモンゴルのイトウ釣りから帰ってこられた開高健師に電話して「かつては日本の川でヤマメやイワナを釣られておられたのが今は国内の川で釣られないのは、俺一本のペンではこの国は救えないと、ニッポンの川から逃げられたのではありませんか。しかし“長良川が最後だ”とお教えしても、まだ逃げ続けられるおつもりですか」と、会長就任をせまりました。

 電話の向こうの沈黙は数十秒だったか数分だったか。コホンと一つセキをされて、師はこうのたまわりました。「(背)負うた子に教えらる、やな。わかりました。会長になります。しかし相手は金丸サンやで、わかっとるな」と。

 長良川河口堰のことはその日初めてお話ししたのに、師はそれが金丸信自民党幹事長が、田中角栄総理・金丸建設大臣当時に作られたダム計画であることをすでにご存知だったのです。

 長良川河口堰には過去より反対運動があったのですが、その年の2月に、三重県の依頼もあって長らく反対を続けていた桑名のシジミ漁師さんたちの赤須賀漁協が反対を取り下げて着工が決定したため、下火になりかけていました。

 私が当時仕事をしていた「週刊現代」に駆け込み、カラーグラビア8ページをもらって書いたキャッチフレーズは「最後の川が危ない!!」でした。河口堰反対運動と赤須賀漁協ががんばっていたために着工できなかった間に日本の他の川にはダムが造られ続け、長良川は釧路川と並んでたった二本だけの「大河で本流にダムを持たない川」として残っていたのです。

 過去の反対運動の中で論陣を張っていたのは、江田三郎氏と「社民連」を立ち上げた岐阜の村瀬惣一という人物でした。この人が私に教えたのが“パーキンソンの論理”。すなわち「官僚は仕事づくりのために仕事をつくる」というものでした。

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Profile

天野礼子(あまの・れいこ)

-----<経歴>-----

アウトドアライター。
1953年、京都市生れ。
中、高、大学を同志社で過ごす。
19才より釣りを始め、文化人類学者の今西錦司博士の主宰された「ノータリンクラブ」に属して、国内外の川、湖、海辺を釣り歩く。
26才より小説家、開高健に師事。
1988年には師と共に長良川河口の堰建設反対に立ち上がり、「ダムは不用」の国民世論に育て上げる。
近年は「川を再生するには森を生きかえらせることが必要」と“森仕事”へ視野を広げて、日本の森から材が出る社会システムを作り直すことを各地で提案している。
京都大学が2003年に構築した「森里海連環学」の普及もお手伝いするため、高知新聞社と山陰中央新報社でカルチャー教室「自然に学ぶ“森里海連環学”」を続けている。
2001年より、高知県・仁淀川の源流にも家を借り、有機農業普及のための「高知439国道有機協議会」を07年に立ち上げて、事務局長を務めている。08年7月に養老孟司氏らと「日本に健全な森をつくり直す委員会」を設立した。

BookMarks

オフィシャル・ウェブサイト
http://www.uranus.dti.ne
.jp/~amago/


長良川河口堰建設をやめさせる市民会議
http://nagara.ktroad.ne.jp/

公共事業チェックを求めるNGOの会
http://kjc.ktroad.ne.jp/

日米ダム撤去委員会
http://damremoval.com/

市民版憲法調査会
http://www.kenpou.com/

-----<著書>-----


『“林業再生”最後の挑戦』
2006年11月、農山漁村文化協会


『だめダムが水害をつくる!?』
2005年10月、講談社+α新書


『「緑の時代」をつくる』
2005年5月、旬報社


『ダム撤去への道』
2004年5月、東京書籍


『日本の名河川を歩く』
2003年7月、講談社+α新書


『市民事業』
2003年4月、中公新書ラクレ


『ダムと日本』
2001年2月、岩波新書


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