“巨悪”とは何か — マッド・アマノさんに答えて
1988年6月に「長良川河口堰建設に反対する会」を立ち上げ、7月にモンゴルのイトウ釣りから帰ってこられた開高健師に電話して「かつては日本の川でヤマメやイワナを釣られておられたのが今は国内の川で釣られないのは、俺一本のペンではこの国は救えないと、ニッポンの川から逃げられたのではありませんか。しかし“長良川が最後だ”とお教えしても、まだ逃げ続けられるおつもりですか」と、会長就任をせまりました。
電話の向こうの沈黙は数十秒だったか数分だったか。コホンと一つセキをされて、師はこうのたまわりました。「(背)負うた子に教えらる、やな。わかりました。会長になります。しかし相手は金丸サンやで、わかっとるな」と。
長良川河口堰のことはその日初めてお話ししたのに、師はそれが金丸信自民党幹事長が、田中角栄総理・金丸建設大臣当時に作られたダム計画であることをすでにご存知だったのです。
長良川河口堰には過去より反対運動があったのですが、その年の2月に、三重県の依頼もあって長らく反対を続けていた桑名のシジミ漁師さんたちの赤須賀漁協が反対を取り下げて着工が決定したため、下火になりかけていました。
私が当時仕事をしていた「週刊現代」に駆け込み、カラーグラビア8ページをもらって書いたキャッチフレーズは「最後の川が危ない!!」でした。河口堰反対運動と赤須賀漁協ががんばっていたために着工できなかった間に日本の他の川にはダムが造られ続け、長良川は釧路川と並んでたった二本だけの「大河で本流にダムを持たない川」として残っていたのです。
過去の反対運動の中で論陣を張っていたのは、江田三郎氏と「社民連」を立ち上げた岐阜の村瀬惣一という人物でした。この人が私に教えたのが“パーキンソンの論理”。すなわち「官僚は仕事づくりのために仕事をつくる」というものでした。






