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2008年12月21日

「森林(もり)の仕事ガイダンス」に出演します

全国森林組合連合会が、森林の担い手の就業相談会として開催する説明会で講演します。
 
  2009年1月9日(金)15:00~
  会場は梅田ステラホール(大阪市北区大淀中1-1-88梅田スカイビル3F)

私の講演は15時ですが、会場は12時から18時にいろいろな催しを展開しています。
次の日の1月10日(土)も同会場で。

東京は1月23日(金)24日(土)

詳しくは www.ringyou.net/

2008年12月12日

加藤登紀子コンサートあり

高知での有機農業の普及のために、2月11日(水・祝)に、「オーガニックな一日 in 高知」を、朝はオーガニックマーケット、昼はC.W.ニコルさんとのシンポジウム、夜は加藤登紀子さんのコンサートという三部仕立てでくりひろげます。

12月6日(土)には、高知新聞全紙大広告を打ち、コンサートチケットの一斉発売。最初の日に600枚が売れました。

興業としてはまず成功です。あと400席も毎日好調に出ています。“お登紀さん”の高知興業はひさかたぶりなのです。

娘さんで、亡くなった藤本敏夫さんの跡を継いで「鴨川自然王国」の女王様となったYaeさんも、ゲストで登場してくれます。親子共演は、高知県須崎市に藤本さんが有機農業普及のためにやってきて、それに登紀子さんがジョイントしたのが、Yaeさんのデビューで、それ以来だそうです。

2月11日まる一日「オーガニック」に浸りに、高知へいらっしゃいませんか?

チケットは早めにアタックされないと売り切れそうです。
チケットのお求めは、(株)デューク(Tel 088-822-4488)か、ローソンチケット、チケットぴあ、d-ticket(dコード:15818)へ。

2008年12月 8日

週刊現代にも、リンゴの木村さん

週刊現代12月8日(東京以外は9日)発売号に、無農薬リンゴを作っている青森の木村秋則さんをカラーグラビアで特集しました。

無農薬リンゴを作り出すのに、木村さんは12年も苦労しました。

高知新聞での連載も合わせて読んでください。

2008年12月 3日

“ノブレス・オブリージュ”の人、筑紫哲也さんを悼む

11月7日に永眠された筑紫哲也さんを学長にして筑紫さんのふるさと日田市でくりひろげられていた市民大学「自由の森大学」(2年前に閉校しています)より、筑紫さんを悼んで、12月5日・6日に追悼展が日田市民会館で開催され、7日には日田市総合体育館で「しのぶ会」が行なわれることが案内されました。

また、「自由の森大学」に講師として参加していた私には、「追悼展」でのメッセージ発表の機会も与えられました。
以下に、筑紫さんをしのびたいと思います。

「筑紫さん、ありがとう。」多くの人が、この言葉を、お別れに際してあなたに贈ることでしょう。そして私にも、この言葉以上に、あなたへの気持ちを表現する言葉は見当たりません。

“ノブレス・オブリージュ”。このフランス語は元々、「貴族の義務」あるいは「高貴な義務」という意味を持っているのですが、わたしはそれにこだわらず、「社会に責任ある人々の仕事」といった意味に使っています。わが国で、もっともこの言葉にふさわしい仕事をやり続けてこられたのが、筑紫哲也さん、あなたであったと思います。人知れず、アジアの子供たちに学校を贈り続けてもこられています。

2007年春の東京都知事選。石原慎太郎氏の都知事三選を阻むために、あなたを出馬させようとする方々がいらしたようで、筑紫さんは悩んでおられました。私と法政大学の五十嵐敬喜さんは、それを知らずにさらにあなたに出馬を要請し、筑紫さんはいったんは「断わろう」とされていたのを中断されて、さらに悩んで下さいました。「五十嵐さんがサポートしてくれるのなら、知事になってもできるかもしれない。私の役目は知事になることではなく、石原の三選を阻止することで、日本に“希望”を与えることだから」とおっしゃいました。

結局、出馬は取りやめになりました。ガンが発見されたからでした。しかし、この時、真剣に悩まれる姿を見て私は、あなたが「本当に日本のことを深く心配している人」であることを再確認したのでした。

「憲法」については、御一緒に「市民版憲法調査会」をつくっています。これには、田原総一朗さんや高野孟さんの他に、C.W.ニコルさんや近藤正臣さんも参加されています。
“九条護憲”を訴える真に正しき人々だけでは、衆議院でも参議院でもそれぞれ半分あれば「憲法改訂」ができてしまうという現実の中では「危うい」と、民主党を“羽交い締め”するためにつくったのがこの会でしたが、筑紫さんはいつも「この問題では“あいまいさ”も必要なんだ」とおっしゃっていました。正しいことでも数がなければ通らない現実を、憲法問題を問う人々こそ自覚するべきだと思われていたのだと思います。

「長良川河口堰で問うた日本の川とダム」、「京都大学芦生演習林内につくられようとしていたダムを“世界自然・文化複合遺産”のキーワードで止めること」、「四万十川本流唯一のダム、家地川堰を撤去すること」これらの他にも、筑紫さんに現地へ来ていただき、サポートしていただいたことはたくさんあります。そんな時、筑紫さんはいつも私におっしゃいましたね。「天野さんを見てるとまるでアメリカ人のように『困難をものともせずにやれば、何事も成せる』と信じていると感じるね。しかしこういう人は、他人(ひと)からいわれのない嫉妬を受けやすいし、またあなたの動きをいまいましく思っている輩は、その人々の想いを利用して、あなたを“魔女狩り”のように攻撃してくることだろう。しかしあなたはひるまないだろうから、ますます『可愛くない』と思われるのだろうね」と。どうしてご存じなのだろう」と思うほど、それは当たっていたのですが、私は、「筑紫さん自身も、そういうふうにいわれのない嫉妬の対象にきっとなっておられるのだろうな」と、思ったものでした。

今回、あなたを失ってしまって、私の中には、“あらたな覚悟”が生まれました。わたしもあなたのように、「自分が信じる自分の視点」に従って、人生の終わりに「私にも“ノブレス・オブリージュ”ができたと思ってから死のう」という覚悟です。

「河川の自治をとりもどす」、「有機農業社会をつくる」、「太陽エネルギーで生きる日本をつくる」。
今とは違う“もうひとつの日本”をつくるために、これからもひるまずに、あなたのように自分の判断を信じて、行動してゆきます。

本年7月に養老孟子司さんらと立ち上げた「日本に健全な森をつくり直す委員会」に参画していただきたいと熱望しながらお身体の調子を見守っていたのですが、それがかなわずに逝ってしまわれたことを、最後に無念に思っています。

しかし必ずあなたの志を継いで、“もうひとつの日本”をつくってゆくことを、
あらためてここにあなたの墓前に誓います。
どうか安らかに、御永眠下さい。

2008年12月 2日

高知新聞連載 【14】無農薬リンゴを作った男

 「草木にも心ある」

 木村秋則(あきのり)さんに、御著書「自然栽培ひとすじに」(創森社刊)へサインを下さるようにお願いすると、こう書かれた。

 木村さんは、一九四九年、青森県岩木町(現弘前市)のリンゴ農家の次男に生まれた。一度は川崎市の機械メーカーに就職したが帰郷し、リンゴ農家の養子となる。農薬を使うリンゴ栽培に励むと、妻やそして自分にも農薬の害が出て、一念発起。

 リンゴの無農薬栽培に挑戦し、十年近い「無収穫。極貧」の時代を経て、わが国で唯一のリンゴの無農薬・無肥料の“自然栽培”に成功した男(ひと)だ。

 「草木にも心ある」。これは木村さんが、リンゴが一個も実らず、木が弱ってグラグラになり次々と倒れていった後ついに今の農法を編み出しリンゴを実らせた時、達した心境だったろう。

 リンゴは日本には一八七一(明治四)年にアメリカから輸入され、冷涼地が栽培に適していることが研究で分かり、津軽(青森)では、廃藩置県によって困窮を極めていた旧津軽藩士への支援事業として広められた。

 しかし、リンゴは病害虫に弱かった。著者の知る東北の無農薬農家の方々も、「リンゴだけはボルドー液など古くから使われてきた農薬を使わなければ絶対にできない」とおっしゃる。

 木村さんは、リンゴ畑を次々と無農薬にしてゆき、病害虫の駆除のために、酢やワサビなど思いつくあらゆるものを“農薬”のかわりに播(ま)いていった。その上、リンゴの木に負担がかからないように、下草も丁寧に刈り続けた。

 しかし、リンゴの木は弱って、倒れてゆくばかり。花も咲かず実もつけてくれない。初めのころはリンゴの木に、「どうか実をならせておくれ」と声をかけていた。

 三人の子を抱える生活は貧窮し、黙ってついてきてくれる妻と自分は粥(かゆ)を啜(すす)る毎日が続くようになると、「もう実はならせてくれとは言わないから、どうか倒れないでちょうだい」と木に哀願するようになった。

 無農薬に取り組んで九年目、一九八五年七月三十一日。東北の大祭“ねぶた”の前夜。自分が首をくくるためのロープを編んで大好きな岩木山の山中をさまよった木村さんは月光下、たわわに実をつける一本のドングリの木に出会う。「山の木は肥料も何もやらなくても、こんなに実をつけているじゃないか」、地面はフカフカで、「これだ!」と分かった。

 「自分は“無農薬にかわる何か”を見つけさえすれば無農薬リンゴはできると思っていたが、間違っていた。“畑の中に自然の循環を再現させる”、“自然の力を引き出す”ことを考えねばいけなかったんだ」との想(おも)いに達したのだ。自殺を考えていたことなどすっかり忘れてしまうほど嬉(うれ)しかった。

 “軟らかい土”をつくるためにその後は数年、畑に大豆を播いた。根粒菌の助けを借りて、土の中に微生物がたくさん生きられる環境をつくっていった。有機肥料も入れるのをやめた。

 一本の木がたった七個だが花を咲かせたのはそれから三年後、すべての畑で農薬の使用をやめてから八年が経(た)っていた。

 「ありがとう、よく頑張ってくれたね」。そう声を掛けたこの木の近くには、一列すべての木が枯れてしまったところがあった。道路の近くなので、木に話し掛けている自分を他人に知られるのが恥ずかしくて、声を掛けなかった木々たちだった。

amanokochi14.jpg

 【写真】フカフカの土を見せてくれる木村さん。畑にたくさんの雑草が生えているのが、よその畑と違うところ

Profile

天野礼子(あまの・れいこ)

-----<経歴>-----

アウトドアライター。
1953年、京都市生れ。
中、高、大学を同志社で過ごす。
19才より釣りを始め、文化人類学者の今西錦司博士の主宰された「ノータリンクラブ」に属して、国内外の川、湖、海辺を釣り歩く。
26才より小説家、開高健に師事。
1988年には師と共に長良川河口の堰建設反対に立ち上がり、「ダムは不用」の国民世論に育て上げる。
近年は「川を再生するには森を生きかえらせることが必要」と“森仕事”へ視野を広げて、日本の森から材が出る社会システムを作り直すことを各地で提案している。
京都大学が2003年に構築した「森里海連環学」の普及もお手伝いするため、高知新聞社と山陰中央新報社でカルチャー教室「自然に学ぶ“森里海連環学”」を続けている。
2001年より、高知県・仁淀川の源流にも家を借り、有機農業普及のための「高知439国道有機協議会」を07年に立ち上げて、事務局長を務めている。08年7月に養老孟司氏らと「日本に健全な森をつくり直す委員会」を設立した。

BookMarks

オフィシャル・ウェブサイト
http://www.uranus.dti.ne
.jp/~amago/


長良川河口堰建設をやめさせる市民会議
http://nagara.ktroad.ne.jp/

公共事業チェックを求めるNGOの会
http://kjc.ktroad.ne.jp/

日米ダム撤去委員会
http://damremoval.com/

市民版憲法調査会
http://www.kenpou.com/

-----<著書>-----


『“林業再生”最後の挑戦』
2006年11月、農山漁村文化協会


『だめダムが水害をつくる!?』
2005年10月、講談社+α新書


『「緑の時代」をつくる』
2005年5月、旬報社


『ダム撤去への道』
2004年5月、東京書籍


『日本の名河川を歩く』
2003年7月、講談社+α新書


『市民事業』
2003年4月、中公新書ラクレ


『ダムと日本』
2001年2月、岩波新書


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