日本に健全な森を作り直す委員会
“日本に健全な森をつくり直す委員会”を7月に養老孟司さんらと立ち上げ、9月に第1回委員会を開きました。12月16日には第2回委員会を行います。
その委員会のニュースレターを「山おやじ3号」と名付けて、私が書いています。今回発行の「No.2」と9月発行の「No.1」を読んでみてください。
日本に健全な森をつくり直す委員会・ニュースレター
「山おやじ三号」NO.1
"山おやじ三号"に出逢った日 作:天野 礼子
高知県仁淀川町池川地区。森林率97%、林業の最盛期には人口が9千人だったが、今は2千人。高知県で一番、高齢者率が高く、医療費が高く、補助金負担率も高いのが、私が2001年より小さな庵を借りて通っている、4本の川に人々がへばりつくように住んでいる、田んぼが二町しかない山里です。
この池川から伊野町に向かう新大峠トンネルの手前で7月、私のパジェロは"山おやじ三号"を追い越しました。 という屋号をつけた、老体というのがふさわしい4tトラックが、背に小丸太を山積みに乗せ、あえぎあえぎ、坂を登っていたのです。
"山おやじ三号"とは、私がその一瞬につけた彼のあだ名です。昭和54年、日本の木材価格が一番高かった頃、彼の先々代が新調されていたはずです。たくさんの木材を都会へ運んだでしょう。二代目は、あまり出番がなく淋しい日々を過ごしたはずです。そして三代目の彼。もう出番もないし、そろそろ本人も引退かと思っていたところに、この一年ほど、毎日のように出番があるようになりました。
毎日毎日、たくさんの小丸太を乗せて、「しんどいけれど、まだまだ頑張るぞ」と老齢に鞭打って張り切っているようです。よもや、こんな時間(とき)が来るとは数年前までは想像できなかった、そんな顔をして、「山おやじ三号」はこの日、間伐材を運んでいたのでした。
これが、小規模所有者のとりまとめをきちんとして、「大橋式作業道」などの網の目のように造られた作業道から出てきた材なのか、それとも今、全国で問題視されている、再生産を伴わない皆伐作業から出されてきた材なのか、おそらく後者の可能性の方が高いのですが、「山おやじ三号」がとにかく喜んで働いていることは私には分かりました。
全国で近年、二つのことがきっかけとなって、猛スピードで"林業再生"が取り組まれています。
一つは、林野庁の中で、現・北海道森林管理局長の山田寿夫さんが中心となって改革派が生まれ、営林署を統廃合し、5千人体制にされようとしていたことにブレーキがかかったことです。京大名誉教授の竹内先生は、『林野庁は、営林すなわち森を経営していくことをあきらめて、管理局となって管理だけをしようとしてたんやな。それを山田さんが、「新流通・加工システム」や「新生産システム」をつくって、「みんな、あきらめるのは早い。戦後植えてきた木が使い頃になってあるじゃないか」とハッパをかけたんや』とおっしゃいます。
もう一つは、富士通総研の梶山恵司主任研究員と富士通総研の理事長だった福井俊彦(前・日銀総裁)さんが2003年に、『森林再生とバイオマスエネルギー利用促進のためのグリーンプラン』をつくってくださったことでした。この作成をきっかけに梶山さんは、全国の森林組合改革に乗り出し、京都府日吉町森林組合の湯浅さんと二人三脚で、寝るのも惜しんで全国を歩いてくれています。
これら二つのことから、国有林でも、民有林でも、林野庁、森林組合、林業者が一帯となって、「山から材を出し、木材使用の外材対国産材率8対2を改めよう」としてくれています。
これはまさに、「21世紀の林業の"産業革命"」と呼んでよいものと思えます。百年の計で「日本に健全な森をつくり直す」チャンスではないでしょうか。
しかし、往々にして、こういう時には、一番山元の、一番困っている人々の声が、改革者達の耳には入らないということが起こりがちであることは歴史が示しています。
そのため、私たちの委員会は、こんな山元の声を、林野庁や森林組合連合会や、山田さんや梶山さんの仲間たちに届ける役目を果たしたいと考えます。
幸い、越前市から、養老先生と友人である田中保さんが参加してくださり、もう早速、下部委員会「福井に健全な森をつくり直す委員会」をつくってくださっています。山の方々の声を届けてくださるでしょう。
この田中さんや、林野庁からは島田泰助次長の下で山田さんらと改革を進めてきた肥後賢輔さんが、事務局仕事をお手伝いくださることになりました。お二人と三人で事務局を務めたいと考えます。
日本に健全な森をつくり直す委員会・ニュースレター
「山おやじ三号」NO.2
「Yes!We Can!」 作:天野 礼子
アメリカが世界に見せたのは、「信じて動けば成せる」ということだったと思います。
私は、林業もそうだと思います。梶山さんは9月の会合で、「日本林業の歴史は戦後50年しか経っていない。これからだと考えよう」とおっしゃいました。
私が「森林組合」に連載を始めたのは2005年9月。この時私は、全国の森林組合の方々が「希望」を持たれていないのを見て、あえてそこを舞台にしたのですが、自分のペンがそんな現状を変えられるかどうかには確信がありませんでした。
しかしその後、梶山さんの論文に出逢い、湯浅さんを知り、私自身も遠く近くお二人の側にいて、山田寿夫さんら林野庁内の動きと合流するように現状が生まれました。 今の全国の森林組合内で起こっている改革は、都会から山へ向かった若者が各地で中心になって成されています。「Yes!We Can!」なのです。
一方、農業の現場でも、地殻変動が起こりつつあります。先に「有機JAS法」がつくられたのですが、「使ってよい農薬が30数種類もある"JAS有機"っていったい何なの?」という人々が「有機農業推進法」を与野党の心ある議員らに作らせ、35年間もお役人からは迫害を受けていた"有機農業"に、今年初めて4億6千万円の予算がついたのです。
養老先生は9月の会合で「私は"生物多様性"という言葉を絶対使わないが…」とおっしゃっていますが、その"生物多様性"についての『第3次生物多様性国家戦略』は昨年7月、「これまで使ってきた農薬や肥料、干潟を埋めるなどの行為が、生物多様性に"負の遺産"をつくってきた」と認め、なんとそこには諫早湾のゲートが閉められている写真が"負の遺産"の事例として使われているのです。
私はこんな農水省の反省を見て、「林野行政も、3兆8千億円あった赤字を1兆円にして、全国の営林署を統廃合してしまった時点に遡り、やり直してみればよい」と思いました。
いや、それより。2001年1月に行われた「省庁再編」をやり直して、"市場原理"や"効率"だけで今も進んでいるこの国の「改革」とやらを、「山里を幸せにできる日本にどうすればなれるか」という視点で、やり直してみるべきではないかと思うのです。
「Yes!We Can!」地球上のすべての人類が、自分たちだけの繁栄を追及せずに知恵を集めることができた時、「山が笑う」と信じています。







