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2008年11月19日

日本に健全な森を作り直す委員会

“日本に健全な森をつくり直す委員会”を7月に養老孟司さんらと立ち上げ、9月に第1回委員会を開きました。12月16日には第2回委員会を行います。

その委員会のニュースレターを「山おやじ3号」と名付けて、私が書いています。今回発行の「No.2」と9月発行の「No.1」を読んでみてください。


日本に健全な森をつくり直す委員会・ニュースレター
「山おやじ三号」NO.1

"山おやじ三号"に出逢った日      作:天野 礼子

 高知県仁淀川町池川地区。森林率97%、林業の最盛期には人口が9千人だったが、今は2千人。高知県で一番、高齢者率が高く、医療費が高く、補助金負担率も高いのが、私が2001年より小さな庵を借りて通っている、4本の川に人々がへばりつくように住んでいる、田んぼが二町しかない山里です。

 この池川から伊野町に向かう新大峠トンネルの手前で7月、私のパジェロは"山おやじ三号"を追い越しました。  という屋号をつけた、老体というのがふさわしい4tトラックが、背に小丸太を山積みに乗せ、あえぎあえぎ、坂を登っていたのです。

 "山おやじ三号"とは、私がその一瞬につけた彼のあだ名です。昭和54年、日本の木材価格が一番高かった頃、彼の先々代が新調されていたはずです。たくさんの木材を都会へ運んだでしょう。二代目は、あまり出番がなく淋しい日々を過ごしたはずです。そして三代目の彼。もう出番もないし、そろそろ本人も引退かと思っていたところに、この一年ほど、毎日のように出番があるようになりました。

 毎日毎日、たくさんの小丸太を乗せて、「しんどいけれど、まだまだ頑張るぞ」と老齢に鞭打って張り切っているようです。よもや、こんな時間(とき)が来るとは数年前までは想像できなかった、そんな顔をして、「山おやじ三号」はこの日、間伐材を運んでいたのでした。

 これが、小規模所有者のとりまとめをきちんとして、「大橋式作業道」などの網の目のように造られた作業道から出てきた材なのか、それとも今、全国で問題視されている、再生産を伴わない皆伐作業から出されてきた材なのか、おそらく後者の可能性の方が高いのですが、「山おやじ三号」がとにかく喜んで働いていることは私には分かりました。

 全国で近年、二つのことがきっかけとなって、猛スピードで"林業再生"が取り組まれています。

 一つは、林野庁の中で、現・北海道森林管理局長の山田寿夫さんが中心となって改革派が生まれ、営林署を統廃合し、5千人体制にされようとしていたことにブレーキがかかったことです。京大名誉教授の竹内先生は、『林野庁は、営林すなわち森を経営していくことをあきらめて、管理局となって管理だけをしようとしてたんやな。それを山田さんが、「新流通・加工システム」や「新生産システム」をつくって、「みんな、あきらめるのは早い。戦後植えてきた木が使い頃になってあるじゃないか」とハッパをかけたんや』とおっしゃいます。

 もう一つは、富士通総研の梶山恵司主任研究員と富士通総研の理事長だった福井俊彦(前・日銀総裁)さんが2003年に、『森林再生とバイオマスエネルギー利用促進のためのグリーンプラン』をつくってくださったことでした。この作成をきっかけに梶山さんは、全国の森林組合改革に乗り出し、京都府日吉町森林組合の湯浅さんと二人三脚で、寝るのも惜しんで全国を歩いてくれています。

 これら二つのことから、国有林でも、民有林でも、林野庁、森林組合、林業者が一帯となって、「山から材を出し、木材使用の外材対国産材率8対2を改めよう」としてくれています。

 これはまさに、「21世紀の林業の"産業革命"」と呼んでよいものと思えます。百年の計で「日本に健全な森をつくり直す」チャンスではないでしょうか。

 しかし、往々にして、こういう時には、一番山元の、一番困っている人々の声が、改革者達の耳には入らないということが起こりがちであることは歴史が示しています。

 そのため、私たちの委員会は、こんな山元の声を、林野庁や森林組合連合会や、山田さんや梶山さんの仲間たちに届ける役目を果たしたいと考えます。

 幸い、越前市から、養老先生と友人である田中保さんが参加してくださり、もう早速、下部委員会「福井に健全な森をつくり直す委員会」をつくってくださっています。山の方々の声を届けてくださるでしょう。
 この田中さんや、林野庁からは島田泰助次長の下で山田さんらと改革を進めてきた肥後賢輔さんが、事務局仕事をお手伝いくださることになりました。お二人と三人で事務局を務めたいと考えます。

日本に健全な森をつくり直す委員会・ニュースレター
「山おやじ三号」NO.2

「Yes!We Can!」      作:天野 礼子

 アメリカが世界に見せたのは、「信じて動けば成せる」ということだったと思います。

 私は、林業もそうだと思います。梶山さんは9月の会合で、「日本林業の歴史は戦後50年しか経っていない。これからだと考えよう」とおっしゃいました。

 私が「森林組合」に連載を始めたのは2005年9月。この時私は、全国の森林組合の方々が「希望」を持たれていないのを見て、あえてそこを舞台にしたのですが、自分のペンがそんな現状を変えられるかどうかには確信がありませんでした。

 しかしその後、梶山さんの論文に出逢い、湯浅さんを知り、私自身も遠く近くお二人の側にいて、山田寿夫さんら林野庁内の動きと合流するように現状が生まれました。 今の全国の森林組合内で起こっている改革は、都会から山へ向かった若者が各地で中心になって成されています。「Yes!We Can!」なのです。

 一方、農業の現場でも、地殻変動が起こりつつあります。先に「有機JAS法」がつくられたのですが、「使ってよい農薬が30数種類もある"JAS有機"っていったい何なの?」という人々が「有機農業推進法」を与野党の心ある議員らに作らせ、35年間もお役人からは迫害を受けていた"有機農業"に、今年初めて4億6千万円の予算がついたのです。

 養老先生は9月の会合で「私は"生物多様性"という言葉を絶対使わないが…」とおっしゃっていますが、その"生物多様性"についての『第3次生物多様性国家戦略』は昨年7月、「これまで使ってきた農薬や肥料、干潟を埋めるなどの行為が、生物多様性に"負の遺産"をつくってきた」と認め、なんとそこには諫早湾のゲートが閉められている写真が"負の遺産"の事例として使われているのです。

 私はこんな農水省の反省を見て、「林野行政も、3兆8千億円あった赤字を1兆円にして、全国の営林署を統廃合してしまった時点に遡り、やり直してみればよい」と思いました。

 いや、それより。2001年1月に行われた「省庁再編」をやり直して、"市場原理"や"効率"だけで今も進んでいるこの国の「改革」とやらを、「山里を幸せにできる日本にどうすればなれるか」という視点で、やり直してみるべきではないかと思うのです。

  「Yes!We Can!」地球上のすべての人類が、自分たちだけの繁栄を追及せずに知恵を集めることができた時、「山が笑う」と信じています。

2008年11月17日

林政審議会委員に再立候補しました

11月17日までの〆切りで、林政審議会の委員2名の公募があったので、再度立候補しました。
以下がその応募原稿です。

テーマ  林業及び木材産業の再生のために
     政府がなすべきこと

ドイツでは、行政官である「フォレスター」たちが各地で、地域の行政や個人所有者の相談に乗ってあげている。森林の“管理”と“運用”の両方がフォレスターの働きで、全土において統一され、官・民一体で森林計画がされているのを昨年見て、うらやましく感じた。

 日本では数年前に、林野庁の赤字三兆八千億円が一兆円を残して国民負担で解消され、同時に全国の営林署が統廃合された。

 しかしその後、林野庁の「新流通・加工システム」「新生産システム」メニューが登場したことにより、急ピッチで、「林業を業(なりわい)に再生する」努力が、林野庁、森林組合連合会、民間の協働によって進められている。この数年の間の官・民の努力は、世界にも誇れるほどのスピードと賢明さである。

 一方、いま政府内では、農林水産省や国土交通省の地方整備局が、“分権”の名の下に廃止されようという傾向にある。

 しかし私は、これからの日本が持つ唯一とも言っていい、最大の資源である“森林”については、いま進みつつある二年後の「国有林の、特殊法人への運営移行」も含めて、一度ストップをかけ、先の「営林署の統廃合」を見直すことも含めて、『わが国の最大で世界にも誇れる資源であり、国土の保全と治水の要である森林をどう管理・活用してゆくか』を国民全体で考え直す仕組みをいそぎつくり上げることを、むしろ進めるべきと考える。

 日本政府は、洞爺湖サミットで地球の環境問題を世界に訴えたように、自国の最大の資源であり国土の環境を支えている森林を、「生かす」ことを第一義として、「計画し直す」ことから始めるべき、と思うのだ。

 過去、世界の文明は、森林がつくってきている。しかしその文明が「愚かな森林使用」によって滅びてきたことも、歴史が示しているとおりである。

 日本と日本人は今こそ、幸いにも67%の森林が国土に残ってきている幸運をよく考えた上で、その森林率にふさわしい「森林国としての林業を業(なりわい)として再生できる」よう、全国の営林署を復活させ、森林組合と協働させ、民間林所有者に意欲を与え、国有林と民間林の一体運用・管理の体制づくりへむけて歩き出すべきである。

 本年、私は知人達とそのためにも「日本に健全な森をつくり直す委員会」をつくった。自分たちの森林への想いを世論にまで高めてゆきたいからだ。

 林政審議会は、政府の中で決められている林野行政のための法整備や林野庁の仕事をチェックしサポートしているが、当然のことながら一定の限界を持っている。そのことを私は委員となってよく理解したので、再度立候補して内部からも働きを続けたい。

 「この国土に67%もある日本の森は、いまや日本だけでなく地球の大切な資源である」こういう考えに、政府も、林野庁も、林政審議会も、そして国民も、早く至るべきである。

 中でも政府は特に、こんな視野を持って、「森林行政」と「林業および木材産業」の“再生”のために早く動き出すべきであると考える。

2008年11月16日

高知新聞連載 【13】高畠に生きる(下) 交流活発、人も育てる

山形県高畠町では一九七三(昭和四十八)年に、青年団活動でリーダーを務めていた星寛治さんを中心に農家の後継者たちが「高畠町有機農業研究会」をつくった。今は思い思いの趣旨の有機農業グループが八団体もつくられている。

 遠藤周次さん(68)は、当時の「研究会」の創設メンバーの一人で、「ゆうきの里・さんさん」のチーフマネジャーを務めている。ここでは「たかはた共生塾」が展開されている。今年で十七年目を迎えた「まほろばの里農学校」を共生塾の主行事として、これまで四百人を超える卒業生を出してきた。

 共生塾はほかにも、有機農家への研修生や、大学のゼミ、修学旅行生の受け入れなどで年間千人以上の来町者を引き受けている。

 渡部務さん(59)も青年団メンバーだった一人で、周辺の仲間とつくる「有機農業提携センター」では米の担当。二十五グループ、千軒の消費者と米を通した提携活動をし、奥様は百種類以上の有機野菜をつくって十六軒の消費者とつながっている。自宅敷地内に農業体験者のための合宿所「さと小屋みず穂」をつくり、学生たちを受け入れ続けてきた。

 こうしてみると、高畠の有機農業者は、農作物もつくるが人も育ててきたといえよう。それが高畠が「まほろばのゆうきの里」と全国に知られている理由だろう。

「この地が好き」

写真の工藤賢悦さん(54)は、高畠へ入植して十六年目になる。第一回「まほろばの里農学校」の研修生としてやってきて、研修の最終日に「ここで農業をやりたい。田んぼ三町歩とトマト畑三反歩を私に貸して下さい。それで生活できます」と宣言した。

 今は六・九ヘクタールの田んぼで米をつくり、そのうちの二・八ヘクタールが無農薬米だ。大豆も十ヘクタール。これをまったく一人の手でつくっている。周囲からは六十五馬力の大型トラクターを駆使する“がんばり屋”として知られている。

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 【写真】工藤賢悦さんと大豆畑。大豆は10ヘクタールを有機無農薬栽培でつくっている

 工藤さんは青森県の米農家に生まれた。青森県で米をつくるのは厳しい。だから「商経アドバイス」という“ヤミ米新聞”といわれていた米流通の新聞社に勤め、米流通の表も裏も、米農家の苦労話も人一倍知っている。そうした経験を経てのIターンだ。

 「米が日本一おいしいと言われている新潟の魚沼とこの地は地形、気象が似ている。しかもここは、コシヒカリ、ササニシキ、あきたこまち、ひとめぼれの、おいしい品種がどれもでき、味もよく量もできる全国唯一の場所」と、初めてきた時に直感したという工藤さん。

 有機農業をやろうと思うきっかけとなったのは、記者時代に二歳の娘さんがアトピーになったため。安全なものを食べさせたいという思いと、青年時代に「青森では無理」とあきらめていた農業への憧(あこが)れが行動に移る起爆剤となった。高畠に移住することに迷いはなかった。

 「高く売るだけが目的なら、田の除草でも楽な有機用資材はある。しかし、有機農業の第一の条件は“安全”。だから少しでも疑わしいものは使いたくない。一生をかけた仕事だから“安全”にはとことんこだわりたいのです」

 こんな人をもひきつける力が、山形の高畠町には、ある。

 外から来た人は、一度訪れると、またここに来たくなる。それを称して「あの人も高畠病にかかった」と、この地の有機農業者の間では言うそうである。

Profile

天野礼子(あまの・れいこ)

-----<経歴>-----

アウトドアライター。
1953年、京都市生れ。
中、高、大学を同志社で過ごす。
19才より釣りを始め、文化人類学者の今西錦司博士の主宰された「ノータリンクラブ」に属して、国内外の川、湖、海辺を釣り歩く。
26才より小説家、開高健に師事。
1988年には師と共に長良川河口の堰建設反対に立ち上がり、「ダムは不用」の国民世論に育て上げる。
近年は「川を再生するには森を生きかえらせることが必要」と“森仕事”へ視野を広げて、日本の森から材が出る社会システムを作り直すことを各地で提案している。
京都大学が2003年に構築した「森里海連環学」の普及もお手伝いするため、高知新聞社と山陰中央新報社でカルチャー教室「自然に学ぶ“森里海連環学”」を続けている。
2001年より、高知県・仁淀川の源流にも家を借り、有機農業普及のための「高知439国道有機協議会」を07年に立ち上げて、事務局長を務めている。08年7月に養老孟司氏らと「日本に健全な森をつくり直す委員会」を設立した。

BookMarks

オフィシャル・ウェブサイト
http://www.uranus.dti.ne
.jp/~amago/


長良川河口堰建設をやめさせる市民会議
http://nagara.ktroad.ne.jp/

公共事業チェックを求めるNGOの会
http://kjc.ktroad.ne.jp/

日米ダム撤去委員会
http://damremoval.com/

市民版憲法調査会
http://www.kenpou.com/

-----<著書>-----


『“林業再生”最後の挑戦』
2006年11月、農山漁村文化協会


『だめダムが水害をつくる!?』
2005年10月、講談社+α新書


『「緑の時代」をつくる』
2005年5月、旬報社


『ダム撤去への道』
2004年5月、東京書籍


『日本の名河川を歩く』
2003年7月、講談社+α新書


『市民事業』
2003年4月、中公新書ラクレ


『ダムと日本』
2001年2月、岩波新書


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