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2008年9月21日

第5回時計台対話集会

来る9月28日(日)、京都大学フィールド科学教育センターによる第5回時計台対話集会“森里海のつながりを生物多様性から考える”が開催されます。

皆さまのご参加を心よりお待ちしております。

http://www.fserc.kais.kyoto-u.ac.jp/main/centernews/h20/08news10.html

日  時 : 平成20年9月28日(日)13:30~17:00
会  場 : 京都大学百周年時計台記念館
        百周年記念ホール
        〒606-8501 京都市左京区吉田本町
共  催 : 京都大学フィールド科学教育研究センター
       京都大学生態学研究センター
後  援 : 日本財団
       京都府教育委員会
       京都市教育委員会
協  賛 : 株式会社 村田製作所
       全日本空輸株式会社
       NPO法人 エコロジー・カフェ
       サイファーアソシエーツ株式会社(順不同)
問い合わせ先:京都大学フィールド科学教育研究センター
       TEL.075-753-6414・6420 FAX.075-753-6451
       E-mail:johoの後に@kais.kyoto-u.ac.jp を付けて下さい。

      -プログラム-

第一部 講演
        「原生林も里山も地域の宝」
           只木 良也(名古屋大学名誉教授)
        「水と砂の流れと生物多様性」
           向井 宏 (北海道大学名誉教授)

第二部 パネルディスカッション
        コーディネーター   益田 玲爾(京都大学フィールド研)
        パネラー       吉岡 崇仁(京都大学フィールド研)
                   上野 正博(京都大学フィールド研)
                   椿  宜高(京都大学生態研)
                   谷内 茂雄(京都大学生態研)
                   奥田  昇(京都大学生態研)

第三部 会場との対話
        司会 天野 礼子(アウトドアライター)


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挨拶   尾池 和夫(京都大学総長)
     白山 義久(京都大学フィールド科学教育研究センター長)
     高林 純示(京都大学生態学研究センター長)
総合司会 柴田 昌三 (京都大学フィールド科学教育研究センター副センター長)

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同時開催パネル展
 ・フィールド研・生態研の施設と活動紹介
  (開催時間:12:00~、場所:同時計台記念館2階 国際交流ホールIにて)

2008年9月20日

〝林業再生〟と〝有機農業〟が日本を救う?

農林漁業金融公庫の月刊広報誌
『AFCフォーラ ム』10月号より

私にとって三冊目の森の本『二一世紀を森林(もり)の時代に』では、林野庁と全国森林組合連合会が一致団結して、「二一世紀の林業の『産業革命』」とでも呼んであげたいような「山仕事」の改革に、猛スピードでこの二年ほど取り組んできてくれていることを報告しています。

中でも感心したのは、「農林中央金庫」が八〇周年を記念して一〇億円をかけて取り組まれているのが、森林組合を再生させる事業であることです。「農中」といえば、農業者三〇、水産業者一、林業者0.0一くらいの割合がその資金関係者であると思うのですが、「二一世紀の課題」を「森」と選んだ知恵はさすが、なのです。

私自身は、林野庁の二つの委員会の委員も勤めながら、高知などで「有機農業」への応援も始めています。「高知四三九国道有機協議会」の事務局長を務め、高知新聞では「次世代を拓く―有機農業への挑戦」という連載も書いているのです。
           *
日本では戦後、それまではほとんどの人が自給をしていた、中山間の農業と林業から、労働者が2つのキーワードで出奔させられました。「都市への人口移動」と「公共事業」です。

アメリカから移入された「農薬」と「肥料」は、農業者が近くの都市で兼業することを助けました。「ダム」や「道路」の公共事業は林業に従事していた労働者を奪い、地方に無数の土木会社をつくらせました。
現在の日本には、この二つから発生してきた問題が大きく横たわっています。

「食料自給率の低下」、「子供にも大人にも出ている農薬や化学物質の〝複合汚染〟が原因と思われるアレルギー」、「森林率六七%もの森林国での林業低迷」。

ヨーロッパでは八〇年代に「都市から田舎への人口移動政策」がとられ、日本と同じようにあったこれらの諸問題の解決がとっくになされているというのに、わが国では・・・。

 しかし私は、「希望」を捨てていません。数年前に「森林組合」という全国森林組合連合会の広報月刊誌に連載を始めたのは、山元には改革をするべき人材がいないと思いながらも、そこに希望与えたいと考えてのことだったのですが、今や森林組合は各地で「若返り」、改革を進めています。
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 諫早(いさはや)湾のゲートを締め切った農水省は先日の裁判では控訴しましたが、昨夏ホームページ上で発表した「生物多様性戦略」では、「農業は本来、やればやるほど『生物の多様性』に寄与するものであるが、農薬などの使用や圃場の整備、埋め立てなどが〝負の遺産〟をつくってきた」と反省し、諫早湾のゲートが閉められている写真が使われているのです。

 また、大きく発表はされていませんが、カナダなどがすでに採用している「有機農業を行うことが二酸化炭素対策になる」という考えを、わが国の農水省もとろうとしているようです。「有機農業推進法」も「JAS法」に遅ればせながら成立し、今春より一〇〇%の補助事業が、全国四五カ所の「有機農業モデルタウン」で展開しています。私が事務局長を務める高知の「四三九有機協議会」も、その一つなのです。
           *
山河を「土木事業」で破壊させることが、経済を本当に発展させた? 農薬で虫を殺すことが、人間に安全な食を提供した?

 二〇世紀に行ってきた〝負の遺産〟づくりと同じことをする「愚」を、二一世紀の日本人はもはやくりかえさないように思えます。「農」と「林」が同じ地域で同一人物たちが取り組む日本の国技なのだと、どうやら若い世代のほうが理解し始めているようですしね。
「〝林業再生〟と〝有機農業〟が日本を救う」と、私は本当に確信しているのです。

これに疑問をもたれる方は、私のホームページをのぞいてみて下さい。

2008年9月16日

川辺川ダムは、止まるか

球磨川の鮎釣り名人・塚本昭司さんから「川辺川を助けに来てください」と電話があって私が出かけたのは、1990年の秋のことでした。

1988年から私たちが長良川で繰り広げた河口堰反対が国会で、三木派の北川石松環境庁長官の「反対」、綿貫民輔建設大臣の「推進」で真っ二つに分かれていた頃です。

その鮎名人・塚本さんからこの9月12日の朝に電話がありました。「昨日は、地元は大喜びで、私も寝れんかった。一番最初に川辺川へ来てくれ、菅さんや鳩山さんを民主党代表として川辺川へ連れてきてくれた天野さんには一番に明日電話しようと、昨日言うておったです。クシャミば、せんかったとですか」。

9月11日は、私の55回目の誕生日だったので、熊本の蒲島郁夫知事の国交省へ“白紙撤回”を求める発言は「何よりのプレゼント」と、夫と二人で祝盃をあげていました。

川辺川ダムは、二つの理由で、もっと早く止められるものでした。

一つは、過去にこのダムを利水事業として推進するため相良村で役人として農民を説得する役目だった梅山究さんが反対運動の中心人物として裁判を起こしていたように、事業の目的が失われていることが明らかであったからです。

国は、ダム反対運動が起きてもこのことを無視していましたが、とうとう裁判では負け、農水省が利水事業から撤退するに至っています。
死人にまで推進の判を押させていたことが判明したからです。

二つ目は、「治水」事業といいますが、川辺川ダム計画のある球磨川本流では、上流にある市房ダムが洪水時に放水したことによって水位が上昇して死者が出るという「水害」がかつて起こっており、流域の人なら誰でも、「ダムが治水をするというのはウソ」と知っているからです。

蒲島知事が当選した今年3月の知事選には、四人のダム反対者が立候補していました。著名人の蒲島氏の立候補は、「反対派つぶし」を国交省が画策したのではないかとも言われていましたが、今回の「民意はダムによらない治水を追求し、今ある川を守るよう選択している」発言では男を挙げましたね。ダム推進派の自民党熊本県連幹事長は「裏切られた」と言っているそうです。
 
それにしても。一つのダムを止めるのに、42年もかかっています。9月12日の日経新聞の社説は「いっそのこと、時間が経過した公共事業は一度白紙に戻すことを政府は法制化してはどうか」と書いています。

国鉄の民営化は、社会党や共産党支持の“国労”組合員を切り捨て、まるで組合が国鉄の巨大な赤字を作ったかのように、経営者側の罪を問わず、終わりました。林野庁の営林署の統廃合も同じレトリックです。

しかし、この国に本当に必要なのは、20世紀の百年間に使ってきた社会システム「官僚制度」とそれを使ってきた「自民党」なるもののリ・セットなのではないでしょうか。

ところで。小沢さんが「ダム反対」とは聞いたことがありませんね。少なくとも長良川河口堰問題では、竹下登(長良川河口堰計画を1988年に再び動かした総理)氏でさえも「止めよう」とした1992年に、止めさせなかったのは自民党の当時幹事長であった小沢一郎さんです。しかし、今の民主党では、菅さんも鳩山さんも、この2カ月以内に何度目かの川辺川入りを果たして、蒲島知事の説得に動き、始まろうとしていた次期国会への質問を、川辺川問題で用意されていたようです。

「川辺川ダム」が、“日本の政治のリ・セット”の象徴として、政権交代と同時に止まる日が来るのではないでしょうか。

その時、長良川河口堰のゲートと諫早水門が、新政権によって開けられると思います。

2008年9月 8日

高知新聞連載 【10】高取保育園(上) ゼロ歳から無農薬食

 本日の給食当番が前に出て、行儀よく座っている友だちに声を掛ける。
 「ご飯は左にありますか。お汁は右にありますか。それでは“いただきます”の歌を歌います」
 「よーくかめよ食べ物を。かめよかめよ、体が強くなる。そっと手を合わせましょう。百回かんで食べましょう。おいしいお食事ありがとうございます。いただきます。どうぞ召し上がれ」

 最初の一口目は、先生が数えながら百回噛(か)んで食べる。こうすると二口目以降も、三十回以上噛む習慣が身につくのだという。

 福岡市の中心街からおよそ二十分。七十八歳の西福江園長が昭和四十三年から無農薬有機栽培の農作物を取り寄せ、玄米和食にこだわってゼロ歳児からの“食育”を続けておられるのが、高取保育園。

 この保育園が設立された昭和四十三年といえば、わが国の農村のあちこちでお医者さまたちが身体の不調を訴える農民の出現にとまどい始めたころであった。奈良県五條市の梁瀬義亮医師(故人)は、昭和三十四年に「農薬の害」という文章を発表されている。アメリカのレイチェル・カーソン女史が「沈黙の春」を発表する一年前のことだ。

 西園長は「三歳までに決定する」と言われる“食べ方”を、昭和三十年代までの日本の食卓風景に戻すには三代かかると思って、今日まで続けてこられた。十五歳違いの妹さんも、歩いて五分の所で別の保育園を経営しておられる。

 子どもたちの皮膚の過敏症、中耳炎を繰り返すなどのアレルギー体質は、お母さんのお腹(なか)の中からもらってしまった体質。それをこの園では、玄米・無農薬の和食給食と、冬でも素足、半ズボンで治してゆく。

 それにしても、昆布といりこに梅(ばい)醤(しょう)番茶。これが一歳児の午前十時のおやつ、なんて信じられますか。

 給食時の残食(食べ残し)はゼロ。そして子どもたちがそんな給食を園でいただくと、お母さんたちも頑張って玄米食や和食を家でつくるようになり、お父さんもその恩恵にあずかる。おばあさんは昔の自慢話をしてくれ、一家は団欒(だんらん)の内に全員で健康を取り戻し、冬でも風邪をひかない身体に、いつの間にかなっているという。

 西園長の“三代を変える”理論は、このように自然に実現できている。

 「まごは優しい」が高取保育園の給食のキーワード。「ま」は豆類。「ご」はごま。「は」はわかめ(海草)。「や」は野菜。「さ」は魚。「し」はしいたけ(きのこ)。「い」は芋類。玄米と共にこれらの物を摂っていると、孫は祖父母に優しい人に育つというわけだ。

 実際、この園に一日おじゃましていただけで、私もすっかり行儀のよい言葉使いに戻った。お話をする時は、膝(ひざ)をつき、相手の目をまっすぐ見て、丁寧に尋ねる。
 「大根漬けが始まる前に、僕がお迎えに来ますから先生(私のこと)は、こちらでお待ち下さい」
 こんなことが言える“年長さん”。ここでは玄米・無農薬野菜で、健康になるだけでなく、心も健全な子どもが育っている。

 日本中がこんなふうに「有機無農薬の“食育”」を始めたら、一九六〇(昭和三十五)年の穀物自給率、82%くらいまでは取り戻せるのではないだろうか(ちなみに二〇〇三年の統計ではフランスは173%、アメリカは132%、日本は何とたった27%なのである)。
 
koutisinbun10.jpg
【写真】園児たちが自らよそって配膳する。残食はゼロ。玄米ご飯を中心とした地味な和食を幼子たちが喜々として食べている。おいしいからだ
(2008年09月1日付・朝刊)

Profile

天野礼子(あまの・れいこ)

-----<経歴>-----

アウトドアライター。
1953年、京都市生れ。
中、高、大学を同志社で過ごす。
19才より釣りを始め、文化人類学者の今西錦司博士の主宰された「ノータリンクラブ」に属して、国内外の川、湖、海辺を釣り歩く。
26才より小説家、開高健に師事。
1988年には師と共に長良川河口の堰建設反対に立ち上がり、「ダムは不用」の国民世論に育て上げる。
近年は「川を再生するには森を生きかえらせることが必要」と“森仕事”へ視野を広げて、日本の森から材が出る社会システムを作り直すことを各地で提案している。
京都大学が2003年に構築した「森里海連環学」の普及もお手伝いするため、高知新聞社と山陰中央新報社でカルチャー教室「自然に学ぶ“森里海連環学”」を続けている。
2001年より、高知県・仁淀川の源流にも家を借り、有機農業普及のための「高知439国道有機協議会」を07年に立ち上げて、事務局長を務めている。08年7月に養老孟司氏らと「日本に健全な森をつくり直す委員会」を設立した。

BookMarks

オフィシャル・ウェブサイト
http://www.uranus.dti.ne
.jp/~amago/


長良川河口堰建設をやめさせる市民会議
http://nagara.ktroad.ne.jp/

公共事業チェックを求めるNGOの会
http://kjc.ktroad.ne.jp/

日米ダム撤去委員会
http://damremoval.com/

市民版憲法調査会
http://www.kenpou.com/

-----<著書>-----


『“林業再生”最後の挑戦』
2006年11月、農山漁村文化協会


『だめダムが水害をつくる!?』
2005年10月、講談社+α新書


『「緑の時代」をつくる』
2005年5月、旬報社


『ダム撤去への道』
2004年5月、東京書籍


『日本の名河川を歩く』
2003年7月、講談社+α新書


『市民事業』
2003年4月、中公新書ラクレ


『ダムと日本』
2001年2月、岩波新書


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