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2008年8月28日

“三本の矢”は折れない?三知事は“河川の自治”を取り戻せるか?

滋賀県の嘉田紀子知事が8月23日に、大阪の橋下徹知事、京都の山田啓二知事を誘って琵琶湖で、滋賀県の環境学習船「うみのこ」号に乗って、「淀川水系のダム」について話し合いました。

「淀川水系ダム」については、このブログでも書いてきましたが、私が1988年から反対を続けている長良川河口堰が1995年に完成した時に、産経新聞以外の新聞がすべて社説で反対したにもかかわらず、社会党の野坂浩賢建設大臣が「運用」のGOサインを出した時、現地所長としてゲートを下ろした河川官僚、宮本博司氏が、今は河川局と対抗して、「淀川流域委員会」の委員長として“がんばっている”のです。

がんばっている、とは「闘っている」ということで、彼が最近、朝日新聞大阪版で連載している「なぜ、どうしてもダムなのか」によると、『河川局の中でも自分と同じように考えている近畿地建の部下たちと一緒に、自分は「淀川流域委員会」を、1997年の亀井静香建設大臣の“河川法改正”の賜物として運営した。その結果、流域委の結論が「ダムはいらない」と出たのに、その委員会を諮問した河川局が諮問に従わないのはおかしいのだ』と。

だから彼は官僚を辞め、「民」の側へ入って、流域委員会の委員に自薦で立候補し、委員間の互選で委員長に選ばれ、今のような行動に出ているのです。

河川局は、三重県の野呂知事を入れて、四知事で意見が二分するようにと仕掛けたのですが、「めずらしく」というとしかられるかもしれませんが、産経新聞までが一貫となってこの件を書き続けている関西の新聞社はそれを見抜き、三重の知事を無視してしまったので、河川局の思惑どおりにはなりませんでした。これは日本では珍しいことで、「マスコミもがんばるのだ」という見本に、もっと東京のマスコミも応援して書いてもいいのでは?

そこで河川局は、今度は大阪の橋下知事を一本釣りし、「ダムだけで判断していいのですか?国土交通省に頼まなければならないことは多いのでは・・・?」と、自民党からも、公明党からも手を出してもらい、責め続けたのです。

ところが新聞は連日書き、ウォッチしています。「人気」を一番気にしている橋下知事としては、簡単に河川局の言いなりになる姿をさらすことができず、悩んでいました。

河川局からの様々な圧力と誘惑は、京都にも滋賀の知事にももちろんあるに違いありません。

滋賀・嘉田知事は選挙公約に、「新幹線の駅事業を止める」と、「ダム反対」を“もったいない”と掲げ、当選しました。「ダム」については途中からは「反対しない」と言っていたのですが、今は「流域委」の結論を重視するというようにもどってきました。住民の意見に従うというよりも、「流域委」のがんばりが彼女を励ましたということでしょう。

嘉田知事は、河川局の示した「洪水の頻度」が、自分が学者として流域を歩いて調べてきたデータと異なるということから、反対を鮮明にしました。京都の山田知事は、「河川の地方自治を取り戻そう」。橋下知事は「財政の無駄」をいいます。

船上会議でとりあえず決まったのは、「個別に河川局に対応せず、三人で共同意見を出そう」というものでした。

これにはもちろんマイナスもあります。「反対」と「賛成」に意見が分かれた時、「中庸」を取らざるを得なくなることです。

しかし今は、関西全新聞社注視の中です。おかしなことはできません。衆議院選挙も近い。

皆さんは、和歌山の前・木村知事が汚職で失職したことを覚えているでしょうか。あれは誰でもやっているくらいのことを大きく問題にされ失職に至ったことは問題にされていませんが、国土交通省に逆らったことが原因だったのです。(マスコミは書いていませんが、私の想像です。)
 
当時、木村知事は“道路の自治”を取り戻そうとしていました。「2車線の道路はいらない。1.5車線の道を、自由に造る、自分で調査して、いらない道路はやめて、本当に必要な道路だけ造る」と、記者会見をして発表したのです。彼の汚職が暴かれたのは、まもなくでした。

中央省庁には、こんなことができるのです。

だから熊本の前・女性知事潮谷さんは、川辺川ダムをすっきり止められませんでした。選挙母体の自民党から「止めれば裁判で訴える」と言われていたからです。

そこで彼女は、他の女性知事、大阪の太田、千葉の堂本に協力を求め、小泉総理を“三本の矢”で説得しようとしたのですが無理でした。

今度の“三本の矢”はどうでしょうか?

東京のジャーナルは、もっとこの「淀川」を書いてほしい。こんなにおもしろいのだから。そしてこんなに、日本をウォッチングできる機会はないのだから・・・。

どうですか。田原総一朗さん、高野さん。
サンデープロジェクトで、特集を組まれませんか?

2008年8月 9日

高知で8年

2000年に高知へ通い始め、小さな庵を借りて、8年目。顧問となって旧・池川町の皆さんとつくった「池川の“緑と清流”を再生する会」も、今では「仁淀川の“緑と清流”を再生する会」に名を変えました。

このたび7周年記念事業としてC.W.ニコルさんらを招き、シンポジウムを企画しています。

森林率97%、高知一、高齢者率が高く、補助金負担率が高い仁淀川町でどう生きるかを論じます。

緑と清流を、見に来ませんか。

  **************************

「仁淀川の“緑と清流”を再生する会」7周年記念行事

シンポジウム「森と川の里・仁淀川町に生きるために」                           

趣旨
 
 今は仁淀川町となった旧池川町で、私たちの「仁淀川の”緑と清流“を再生する会」は、2001年に誕生しました。他の地域から見ればきれいな川や緑が残っている町ですが、以前に比べると川の水量は減り、川底の状態も変化し、魚の種類も減少しました。この川を何とか昔のような清流に戻したいというのがみんなの願いでした。

手入れの行き届かない山、高齢者も多い地域で、どのようにすれば清流は再生できるのか。講師を招いて、①”近自然工法“による川の自然再生や”大橋式“林内路網づくり、②自然界の微生物の力を借りて水の浄化、③木質バイオマスの利活用、などを学んできました。

山仕事の重要性や地域おこしの可能性を広く住民にアピールするとともに、川の清掃活動や川に親しむ事業は町内の様々な団体と共に取り組んできました。

 このたび、アサヒビール(株)社より、その活動が認められ、助成を受けることになったことを記念して、日本の森を愛した故に日本人になってしまったC.W.ニコルさんや若き高知県知事にもおいでいただいて、シンポジウム「森と川の里、仁淀川町に生きるために」を企画いたします。

多くの老若男女が、町域を越えて御参集いただけることを希望します。 

日時   2008年8月31日(日) 午後2時~5時
場所   高知県仁淀川町中央公民館3階会議室                               主催   「仁淀川の“緑と清流”を再生する会」
後援   高知県、アサヒビール株式会社、京都大学フィールド科学教育研究センター

○開会挨拶   奥田英雄(「仁淀川の“緑と清流”を再生する会」会長)
○来賓御挨拶  古田土俊男 氏(アサヒビール(株)四国地区本部長)       
○来賓御挨拶   藤崎 富士登 氏(仁淀川町長)                      
○基調講演Ⅰ  「ふるさとは緑なりき」
    C.W.ニコル氏(作家・京都大学社会連携教授)    
○基調講演Ⅱ  「京大は仁淀川の森で何を実験しているのか」 
    竹内典之氏(京都大学名誉教授)                             

  -休憩-  
                       
○パネルディスカッション「森と川の里で生きるために」                  
  パネラー   尾崎正直氏 (高知県知事)
         福留脩文氏 (西日本科学技術研究所所長)
         中島浩一郎氏(「銘建工業」代表)
  進行     天野礼子氏 (アウトドアライター・「仁淀川の“緑と清流”を再生する会」)

2008年8月 1日

高知新聞連載 【9】柿木村(下) 棚田と生きる

 島根県鹿足(かのあし)郡吉賀(よしか)町柿木(かきのき)村は、私の著作「日本の名河川を歩く」(二〇〇三年、講談社+α新書)では“日本一”と採点した高津川が流れている山間の小村だが、一九八一(昭和五十六)年から、「村ぐるみ有機農業」に取り組んできた歴史を持っている。

 六月十八日。高津川にそそぐ支流・大井谷川の入り口で夜、たくさんのホタルの乱舞を見た。水辺にせまる山の斜面全体に青緑色の発光体がきらめいている。これほどの数のホタルは日本中の川を歩いてきた私でも初めて。
 このホタル群がこの谷の入り口・井手ケ原地区で復活したのは、上流の大井谷地区の棚田が「有機栽培」に転換してからだという。

 大井谷の棚田は古くは六百年前の室町時代から築かれ、津和野藩への献上米とされるほど食味がよいことで知られていた。山々からの湧(わ)き水が使われていること、南向きの斜面で日当たりがよいこと、標高三百五十―四百五十メートルで昼夜の温度差があることなどの好条件がそろっていたからだろう。

 「基盤整備をして収入を上げたい」との声が住民から上がったのが九八年。村が県の協力を得て調査してみると、田んぼの面積が半減することや事業費が一反当たり三百万円以上もかかると分かった。
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【写真】大井谷の600枚の石積み棚田と、吉賀町柿木村の福原圧史産業課長

「助はんどうの会」 

八一年に「柿木村有機農業研究会」を農家の跡取りや婦人部とつくり、九一年には村の総合振興計画の中に「健康と有機農業の里づくり」を入れる原動力となった福原圧史さんら村職員は、今度は大井谷の六百枚の石積み棚田農家十四軒などと「助(たすけ)はんどうの会」を結成した。

 「はんどう」とは、大井谷の一番上の屋敷の外に据えられていた直径一・二メートル深さ三十センチの「水がめ」のこと。昔、干ばつの年にここだけにわずかに溜(た)まった水を飲んで住民たちが生き延びたという言い伝えがある。それを受け継ぎ、ことあるごとに一致団結して当たってきた三浦姓の多い集落民が、今度は平場と同様の農業基盤整備に頼らずとも棚田が永続できる方法を考えようと相談し合った。
 「棚田オーナー制度」を九九年から、翌年からは「棚田トラスト制度」もスタートさせた。

 化学肥料をやめ、牛糞(ふん)や鶏糞を中心とした完全有機堆肥(たいひ)に変えて米価を引き上げ、棚田補修費とした。その、少し高価だが身体にはよい棚田米を支持する人たちを集落に招いて、田植え、草取り、稲刈りを一緒にするのが「棚田オーナー制度」。作業には参加しないが、趣旨に賛同し、おいしく安全な米を食べたいという人には「棚田トラスト」。参加者は全国から。その九割がリピーターだ。

 柿木村では、「有機農業」への取り組み形態がさまざまにある。「柿木村有機農業研究会」は有機無農薬だが、大井谷棚田は、島根県の「エコファーマー」の基準よりは厳しい「減農薬」だ。

 夢は「完全無農薬」だというが、集落全員の意見がまとまることを重視しているのだろう。六ヘクタールに六百枚もの棚田での草取りを、兼業農家がやる苦しみがここには見える。平場では一アールの田んぼ三十枚で取り組める“合鴨(あいがも)農法”が、ここでは取り組めないのだ。

 ホタルの復活は、化学肥料をやめる、廃油石けんを使うなどの上流・棚田農家の努力を、下流の井手ケ原の人々が認め、ホタルの棲(す)みやすい環境を自分たちもつくろうと工夫したからだと聞いた。
 「助はんどう」とは、日本中の山里が持つべき相互扶助精神のように思える。

(2008年07月28日付・朝刊)

川は、なぜ“魔物”になるのか? 

兵庫県の三面張りの川で、小さな命が失われました。三面張りの川は、洪水を早く流すためにそのような姿にされていました。それに“親水”というネーミングと役目をもたせた国土交通省河川局の責任が問われます。“親水”という言葉で住民の反対なく公共事業ができる社会の仕組みを作ってきたのが、旧・建設省、現・国土交通省でした。

「水が堤防からあふれない」ように造られていたことが、子どもの命を奪いました。「堤防からあふれる」と市街地に水がおよぶから、「堤防からあふれない」ようにされてきたのが、近代の河川工法でした。

しかし水は、堤防内におしこめればおしこめるほど、早く強くなって、「魔物」になるのです。

今、欧米諸国では、それが洪水時にはかえって危険だとわかり、堤防から水があふれて洪水が「遊べる」ように、「遊水地」が堤防に続いて造られ、「おだやかに」洪水を受け止める手法が公共事業として進められています。

かつての日本にはまず、「川は魔物」という言葉が生まれていました。しかし日本人は稲作をひろめてゆくと共に、「母なる川」という言葉を次には生みました。「洪水」を「水害」にしない知恵が、日本各地には生まれていたのです。

近代河川工学は、川を再び「魔物」にしてしまったのです。

それを正そうというのが、私が亡き開高健師と20年前に立ち上げ今も続けている川の運動です。

「淀川流域委員会」なるものが、このところ関西の紙面をにぎわせています。長良川河口堰のゲートを降ろした1995年当時の河川官僚氏が、「1997年の亀井静香建設大臣の行った“河川法改正”の趣旨に添えば、淀川流域委員会に諮問しておきながら、ダム中止という結論が出たら勧告に従わないという河川局はおかしい」と、官僚を辞職して“淀川委”の委員長となり、河川局を正そうとされています。

これなども、「川を魔物にしたくない、川を愛する河川官僚のあるべき姿」といえるでしょう。

Profile

天野礼子(あまの・れいこ)

-----<経歴>-----

アウトドアライター。
1953年、京都市生れ。
中、高、大学を同志社で過ごす。
19才より釣りを始め、文化人類学者の今西錦司博士の主宰された「ノータリンクラブ」に属して、国内外の川、湖、海辺を釣り歩く。
26才より小説家、開高健に師事。
1988年には師と共に長良川河口の堰建設反対に立ち上がり、「ダムは不用」の国民世論に育て上げる。
近年は「川を再生するには森を生きかえらせることが必要」と“森仕事”へ視野を広げて、日本の森から材が出る社会システムを作り直すことを各地で提案している。
京都大学が2003年に構築した「森里海連環学」の普及もお手伝いするため、高知新聞社と山陰中央新報社でカルチャー教室「自然に学ぶ“森里海連環学”」を続けている。
2001年より、高知県・仁淀川の源流にも家を借り、有機農業普及のための「高知439国道有機協議会」を07年に立ち上げて、事務局長を務めている。08年7月に養老孟司氏らと「日本に健全な森をつくり直す委員会」を設立した。

BookMarks

オフィシャル・ウェブサイト
http://www.uranus.dti.ne
.jp/~amago/


長良川河口堰建設をやめさせる市民会議
http://nagara.ktroad.ne.jp/

公共事業チェックを求めるNGOの会
http://kjc.ktroad.ne.jp/

日米ダム撤去委員会
http://damremoval.com/

市民版憲法調査会
http://www.kenpou.com/

-----<著書>-----


『“林業再生”最後の挑戦』
2006年11月、農山漁村文化協会


『だめダムが水害をつくる!?』
2005年10月、講談社+α新書


『「緑の時代」をつくる』
2005年5月、旬報社


『ダム撤去への道』
2004年5月、東京書籍


『日本の名河川を歩く』
2003年7月、講談社+α新書


『市民事業』
2003年4月、中公新書ラクレ


『ダムと日本』
2001年2月、岩波新書


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