高知新聞連載 【8】柿木村(上) 村ぐるみで28年間
島根県鹿足(かのあし)郡柿木(かきのき)村は二〇〇五年に六日市町と合併し吉賀(よしか)町となったが、今も吉賀町柿木村として名を残している。
一九八〇年に「柿木村有機農業研究会」が立ち上がって二十八年間、村全体で有機農業に取り組んできた“ブランド”を大切にしたいと考える村民が多かったからだろう。
この村での有機農業は、役場に勤める福原圧史さん(59)=現・吉賀町産業課長=から始まった。福原さんは、一九七四年十月十四日から朝日新聞朝刊で開始された有吉佐和子さんの「複合汚染」の連載を読んでいた。
その前年のオイルショックまで、96%を山林原野が占める人口二千五百人(当時)の柿木村では、田畑は自給用に使われ、換金作物としてあった椎茸(しいたけ)を干すために重油を焚(た)いていた。その重油が値上がりした時、福原さんを囲んで「農業後継者の会」を続けていた二十代のメンバーが「複合汚染」を読むことを勧められ、「これからは自給ができることをまず考え、それには安全な作物を作ることから始めよう」と決めた。
すると、瀬戸内海がPCB(ポリ塩化ビフェニール)で汚染され困っていた山口県岩国市の消費者たちが「自給用につくられている作物を分けてください。皆さんの無農薬野菜作りを応援します」と申し入れてきた。
「後継者の会」は十数人では都会の消費者の要求に生産が追いつかないので、農協婦人部に趣意書を送り、一緒に無農薬野菜作りをやらないかと呼び掛けた。
写真の斉藤タケ子さんは、当時五十三歳。婦人部に以前よりあった味噌(みそ)の自給運動に参加していた。青年たちから聞いた話を家に持ち帰り、それ以来、夫も一緒に、自給プラス都会の消費者へ無農薬野菜を送る活動を二十八年間続けてきている。益田市の十五軒の消費者家庭が二人の担当で、毎週一回、一年中八品目以上を送っている。
六月から七月に取れる野菜は、モロヘイヤ、オクラ、玉葱(たまねぎ)、じゃが芋、ほうれん草、小松菜、葱、大根、キャベツ、きゅうり、トマト、しそ、いんげん、にんじん、サニーレタス、里芋、なす、かぼちゃ、ピーマン、ししとうの二十種。
「おじいさんは草取りが仕事。機械ではやれんからね」。「おばあさんは指示するのが仕事。うまく人を使いなさるんじゃ」と楽しそうな二人。

【写真】斉藤岳美(たけみ)さん(83)とタケ子さん(81)は1980年に「柿木村有機農業研究会」がこの村で立ち上がった時からのメンバーで、益田市の15軒の消費者を担当している
マーケットができる
柿木村ではそれぞれに生産をしているグループが十四団体、五百余名もあり、対象は消費者グループ、生協、スーパー、自然食品店、自然派レストラン、学校給食、青果市場、漬物加工所、道の駅、アンテナショップ、青空市、米卸業、個人商店など。
いくら作っても、いつも足りない状況で、「マーケット」ができている。自分たちが二十八年間かけてつくってきた「市場外流通」というマーケットだ。
日本中の小さな村から、柿木村のように有機農業に取り組んでいけば、日本の山里はみんな元気になり、自給率も上がるのではないだろうか。
できない理由を並べる人には、一人で「山口県有機農業研究会」に参加して、朝一時間半、それから役場で働いて、また夕方にも一時間半、自らも畑で毎日作物を作ってから、山を越えて車で一時間の山口市での会合へ走っていた福原さんの三十代の毎日を想像してみてほしい。
合併後の吉賀町であと十年かけて、七千四百人の人口に有機農業への取り組みを広めるのが福原さんの夢で、次なる後継者もたくさん育っているようだ。
(2008年06月30日付・朝刊)







