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2008年7月 3日

高知新聞連載 【8】柿木村(上) 村ぐるみで28年間

島根県鹿足(かのあし)郡柿木(かきのき)村は二〇〇五年に六日市町と合併し吉賀(よしか)町となったが、今も吉賀町柿木村として名を残している。

一九八〇年に「柿木村有機農業研究会」が立ち上がって二十八年間、村全体で有機農業に取り組んできた“ブランド”を大切にしたいと考える村民が多かったからだろう。

この村での有機農業は、役場に勤める福原圧史さん(59)=現・吉賀町産業課長=から始まった。福原さんは、一九七四年十月十四日から朝日新聞朝刊で開始された有吉佐和子さんの「複合汚染」の連載を読んでいた。

その前年のオイルショックまで、96%を山林原野が占める人口二千五百人(当時)の柿木村では、田畑は自給用に使われ、換金作物としてあった椎茸(しいたけ)を干すために重油を焚(た)いていた。その重油が値上がりした時、福原さんを囲んで「農業後継者の会」を続けていた二十代のメンバーが「複合汚染」を読むことを勧められ、「これからは自給ができることをまず考え、それには安全な作物を作ることから始めよう」と決めた。

すると、瀬戸内海がPCB(ポリ塩化ビフェニール)で汚染され困っていた山口県岩国市の消費者たちが「自給用につくられている作物を分けてください。皆さんの無農薬野菜作りを応援します」と申し入れてきた。

「後継者の会」は十数人では都会の消費者の要求に生産が追いつかないので、農協婦人部に趣意書を送り、一緒に無農薬野菜作りをやらないかと呼び掛けた。

写真の斉藤タケ子さんは、当時五十三歳。婦人部に以前よりあった味噌(みそ)の自給運動に参加していた。青年たちから聞いた話を家に持ち帰り、それ以来、夫も一緒に、自給プラス都会の消費者へ無農薬野菜を送る活動を二十八年間続けてきている。益田市の十五軒の消費者家庭が二人の担当で、毎週一回、一年中八品目以上を送っている。

六月から七月に取れる野菜は、モロヘイヤ、オクラ、玉葱(たまねぎ)、じゃが芋、ほうれん草、小松菜、葱、大根、キャベツ、きゅうり、トマト、しそ、いんげん、にんじん、サニーレタス、里芋、なす、かぼちゃ、ピーマン、ししとうの二十種。

「おじいさんは草取りが仕事。機械ではやれんからね」。「おばあさんは指示するのが仕事。うまく人を使いなさるんじゃ」と楽しそうな二人。

koutisinbun8.jpg

【写真】斉藤岳美(たけみ)さん(83)とタケ子さん(81)は1980年に「柿木村有機農業研究会」がこの村で立ち上がった時からのメンバーで、益田市の15軒の消費者を担当している

 マーケットができる

柿木村ではそれぞれに生産をしているグループが十四団体、五百余名もあり、対象は消費者グループ、生協、スーパー、自然食品店、自然派レストラン、学校給食、青果市場、漬物加工所、道の駅、アンテナショップ、青空市、米卸業、個人商店など。

いくら作っても、いつも足りない状況で、「マーケット」ができている。自分たちが二十八年間かけてつくってきた「市場外流通」というマーケットだ。

日本中の小さな村から、柿木村のように有機農業に取り組んでいけば、日本の山里はみんな元気になり、自給率も上がるのではないだろうか。

できない理由を並べる人には、一人で「山口県有機農業研究会」に参加して、朝一時間半、それから役場で働いて、また夕方にも一時間半、自らも畑で毎日作物を作ってから、山を越えて車で一時間の山口市での会合へ走っていた福原さんの三十代の毎日を想像してみてほしい。

合併後の吉賀町であと十年かけて、七千四百人の人口に有機農業への取り組みを広めるのが福原さんの夢で、次なる後継者もたくさん育っているようだ。

(2008年06月30日付・朝刊)

21世紀を森林(もり)の時代に

5月30日に、北海道新聞社より「21世紀を森林(もり)の時代に」という単行本を出版しました。養老孟司、立松和平、山田壽夫(ひさお)、天野礼子、四人の共著です。

amanomorinojidai.jpg


とはいえこの本は、私が養老、立松両氏によびかけ、山田という林野庁技官の、今年7月の定年をたたえて出版にこぎつけた一冊です。

山田さんは、熊本県人吉市の“山持ち”の家に生まれ、林野庁に入庁。木材課長時代の2003年に「新流通・加工システム」を予算化、計画課長となって2005年には「新生産システム」を予算化して、日本の林業を「救った」ともいえる“大働き”をした人物です。

戦後スギ、ヒノキ、カラマツを中心に大造林されたわが国の人工林は、木材価格を低落させてしまった林野庁の失策(というと林野庁は怒るかもしれませんが、心ある森林研究者はそれ故に「林野庁解体論」を叫んでいるのも事実です)から、長年、手入れがされず山地崩壊の原因をつくってしまってきていました。

山田さんが提案し、財務省から予算を取った二つのシステムは、これまで外材を使ってきた大口消費者のハウスメーカーたちに国産材を使わせるための施策です。

日本の住宅は、自国の森林率が68パーセントもあるにもかかわらず、8割が外国からの輸入材で建てられています。

“石油枯渇”が叫ばれている今の地球で、日本が持っている唯一のエネルギーは、森林。人工林は、賢く使えば使い続けてゆける、その唯一のエネルギーです。

「石油なんか、早く使ってしまえ。そうしたら日本人も、もっと賢くなるだろう。」と、皮肉を込めておっしゃる“養老先生”。

立松さんは、日本の寺社等歴史的建造物のために、「“400年の森”をつくっておくべき。」とおっしゃいます。

私は前書きに、「森林(もり)を愛する国民に子どもたちが育ってくれるように、大人たちには今すこしだけ賢くなってもらいたいと願って、私たちはこの本を綴りました。」と書きました。

あなたの手からこの一冊が、愛する人々に広まってゆくことを希望します。

(北海道新聞社刊、1600円+税)

Profile

天野礼子(あまの・れいこ)

-----<経歴>-----

アウトドアライター。
1953年、京都市生れ。
中、高、大学を同志社で過ごす。
19才より釣りを始め、文化人類学者の今西錦司博士の主宰された「ノータリンクラブ」に属して、国内外の川、湖、海辺を釣り歩く。
26才より小説家、開高健に師事。
1988年には師と共に長良川河口の堰建設反対に立ち上がり、「ダムは不用」の国民世論に育て上げる。
近年は「川を再生するには森を生きかえらせることが必要」と“森仕事”へ視野を広げて、日本の森から材が出る社会システムを作り直すことを各地で提案している。
京都大学が2003年に構築した「森里海連環学」の普及もお手伝いするため、高知新聞社と山陰中央新報社でカルチャー教室「自然に学ぶ“森里海連環学”」を続けている。
2001年より、高知県・仁淀川の源流にも家を借り、有機農業普及のための「高知439国道有機協議会」を07年に立ち上げて、事務局長を務めている。08年7月に養老孟司氏らと「日本に健全な森をつくり直す委員会」を設立した。

BookMarks

オフィシャル・ウェブサイト
http://www.uranus.dti.ne
.jp/~amago/


長良川河口堰建設をやめさせる市民会議
http://nagara.ktroad.ne.jp/

公共事業チェックを求めるNGOの会
http://kjc.ktroad.ne.jp/

日米ダム撤去委員会
http://damremoval.com/

市民版憲法調査会
http://www.kenpou.com/

-----<著書>-----


『“林業再生”最後の挑戦』
2006年11月、農山漁村文化協会


『だめダムが水害をつくる!?』
2005年10月、講談社+α新書


『「緑の時代」をつくる』
2005年5月、旬報社


『ダム撤去への道』
2004年5月、東京書籍


『日本の名河川を歩く』
2003年7月、講談社+α新書


『市民事業』
2003年4月、中公新書ラクレ


『ダムと日本』
2001年2月、岩波新書


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