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2008年6月15日

高知新聞連載 【7】本田廣一さん(下) 草を食べる豚たち

 本田廣一(ひろかず)さんが自分の右手の付け根までを母豚の産道に突っ込み、子豚を引きずり出した。タオルにくるんだ命が、ぐったりしている。

 すると本田さんは子豚の鼻の穴に自分の口をあて、鼻の中のものを吸い出し、はきすてた。次は鼻の中に自分の息を吹き入れた。小さな子豚の左足がピクリと動いた。

 豚の誕生に初めて立ち会わせてもらった私は、この子豚が無事に動きだしてから、本田さんに尋ねた。「あれは何をしたのですか?」。「出産が始まって何時間も経(た)ってるだろう。奥の方の子は母さんの羊水が鼻に詰まっていたりするんだ」

 出産を任せていた担当者の戻りが遅いので、本田さんが夕食を中断して駆けつけた。既に母豚のお腹(なか)から出ていた八頭以外にもまだ中にいるのではないかと、考えられたのだ。結局、この母は、一日かけて十二頭を出産した。

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【写真】3月24日。豚は冬は日に何度か豚舎の外の運動場へでる。本田さんが干し草をやった。雪が消え草が生えてくると、もっと広い牧草地で24時間過ごし、自分たちで草を根っこごと食べるようになる。草を噛(か)んで唾(だ)液(えき)がよく出ると、内臓が丈夫になり、肉がおいしくなる

 牛の次は豚を
 
 北海道標津(しべつ)町の「興農ファーム」で、牛千頭、豚九百頭を飼う本田さんが豚を飼い始めたのは、まだ五年前。子豚を五頭買ってきたところから始めたが今、“ブタさんチーム”は大将の本田さんも含め五名。

 「北海道では子どものころのごちそうは豚だった。あの時のおいしい豚をもう一度作れば、豚は牛に比べて草が少なくて済むので、うちの九十ヘクタールの草地でもやってゆけると考えた。地域の雇用の場もつくってあげたかった。まわりの酪農家が苦しくなっているからね。北海道は」

 牛の赤身肉がおいしいことで名高い「興農ファーム」。アンガス種の肉牛を雪の中でも外で飼い、健康な内臓を維持できている牛はおいしいことを証明できている。「外国からのトウモロコシがなければ、畜産はできない」と思っている日本の酪農家が、その餌や石油の高騰で経営が苦しくなっているのを心配してあげる心優しい男(ひと)だ。

 「興農ファーム」では、豚はホタテの貝殻の粉末、デンプンかす、チーズの搾りかすなどを発酵させたものと草を食べているので、餌代がほかの畜産家より安いだけでなく、豚も牛も内臓廃棄率が30%程度と低いそうだ(日本の畜産の内臓廃棄率は70%程度)。

 本田さんは「有機畜産でも、一番大切なものは“土づくり”」と考えて、友人の埼玉県小川町の金子美登(よしのり)さんと同じ方式で完熟堆肥(たいひ)をつくって使っている。材料の元は、牛と豚の糞(ふん)尿。それを熟成させて畜舎の敷き藁(わら)に使うと、前回も書いたように、良質の微生物で畜舎にバリアがつくれる。その微生物は、牛や豚の腸内でも、発酵循環系を元気にするのだ。

    ◇  ◇

 次の朝、本田さんが干し草を持って餌箱に近づくと、豚舎の中にいた豚たちが押し合いへし合い、飛び出てきた。軽やかなステップで走る豚たちを見て、彼らが“ワイルド・ポーク”すなわち猪(いのしし)が家畜化されたものであったことを実感できた。

 本田さんは「日本には日本の農業があったことを、“有機農業推進法”ができた今、点検しよう。有機畜産と野菜づくりの二本立てで、少量のおいしい肉を食べて健康に生きていた日本を再生しよう」と目指す。

 豚を放して牧草を食べさせた跡地に野菜を植えることを、今年から本格化させるという。大地には豚が置いていった栄養が残っているから、おいしい野菜ができるだろう。

 北海道が“有機”で元気になれそうだ。

(2008年06月09日付・朝刊)

高知新聞連載 【6】本田廣一さん(上) 良質菌利用し畜産

 ことし三月二十一日から二十三日にかけ、北海道江別市の酪農学園大学で開催された「農を変えたい!第三回全国集会in北海道」など四つの有機農業の会議には、全国からおよそ八百人が集結した。

 その大会の一日目、幕開きの「第二回有機農業技術総合研究大会」で開会挨拶(あいさつ)をしたのは、標津(しべつ)町古多糠(こたぬか)で「興農ファーム」代表を務める本田廣一(ひろかず)さん。牛を千頭、豚九百頭を有機畜産で育てている牧場主だが、有機農業界一の論客でもある。

 ことし、この北海道に集合した有機農業関係者は、格別な想(おも)いを持っていただろう。一昨年十二月には「有機農業推進法」が成立。ことしは有機農業に初めて四億六千万円の予算がついて、この時三月は、その予算に全国有志が立候補している真っ最中であった。

 大会の舞台となった酪農学園大学は、一九七一年に六十四歳で「日本有機農業研究会」を立ち上げた一楽照雄さんが、アメリカ人J・I・ロデイルの著作を訳した時に「有機農業」という言葉を思いつき、相談に行った黒澤酉蔵翁が創設した「機農学校」が前身となった農大学校だ。

 今大会は、そういった有機農業の歴史を再確認する役目も負っていたと思う。筆者も山下一穂氏と共に参加した。本田さんは、その準備を数カ月かけてやり遂げた。


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【写真】一番右の人物が本田廣一さん。朝のミーティング後に牛舎の前で
 大型有機畜産に挑む

 本田さんは一九六〇年代の学園闘争時には、獣医を目指して入学していた日大で委員長を務めていた人物だが、二十八歳で帰農。ふるさと北海道の先人、アイヌ民族が集落の条件とした山と川と海のある古多糠に、東京で沖仲仕(おきなかし)などをしてためた二千五百万円で、四十五ヘクタールを購入して、乳牛四頭からスタートした。目指したのは、農作物が輸入自由化された時にもアメリカに負けない大規模な集約農業であった。

 今は乳牛はやめ、肉牛と近年は豚へも手を広げた。その双方が出す糞(ふん)尿を使って完熟堆肥(たいひ)をつくり、それをまた敷き藁(わら)に使い、畜舎を良質の微生物でいっぱいにする。「生き物」が本来持っている菌のバリアで生命を守りきるという手法だ。

 「有機農業、有機畜産とは、一楽照雄氏が、そして黒澤酉蔵氏が目指したように“生物多様性”を最も有効に利用する人間の知恵」だと、本田さんの牧場へ行けば体現できる。
 三日間にわたった「農を変えよう!第三回大会」は大成功のうちに終了し、打ち上げ会場では「興農ファーム」の牛肉と豚肉が提供された。

 霜降り肉にするためのホルモンを使用しない安全で柔らかくておいしい赤身牛肉。牛も豚も雪の中でも十分な運動をしているからだ。たくさんの草を食べるため口をしっかりと動かした豚は、驚くほどジューシーで、三十年以上苦労してきた人の多い全国の有機農業者の心を温かくもてなしてくれた。

 昨年七月に農林水産省が発表した「生物多様性戦略」には、「本来の農業はやればやるほど生物の多様性が高まるものであるはずだが、農薬の使用などが“負の遺産”をつくってしまっていた」といったことが書かれていた。

 「本来の農業に帰ろう」「安全な食は自分たちの手で守ろう」。もっと多くの日本人がそう思うまで、本田さんの忙しい日々は続く。
(2008年05月19日付・朝刊)

2008年6月 6日

河川法をめぐる元・河川官僚との共闘

1988年から反対を続けていた長良川河口堰のゲートが降ろされた1995年7月の現地所長は宮本博司さんだった。

その宮本さんはその後、近畿地建(近畿地方建設局)に転任すると、「淀川流域委員会」をつくった。

1997年に改正された河川法の「住民対話」と「環境重視」の精神に従って、全国のダム計画のある現地で設置された諮問機関だが、他の河川ではほとんどが“お手盛り”(役所の)なのに、この「淀川」だけは“まっとう”で、「NOダム」の結論が出た。

しかし、この委員会に諮問したはずの河川局がその結論に従わないという態度を示し、所長の宮本さんは不本意だったのだろう、“キャリア官僚”を辞職した。

辞職した宮本さんが今年、再び編成された委員会の委員になり、委員間の互選で委員長に就任した。その公開の委員会がまた「NOダム」の結論に向かいそうになると、河川局は「委員会に金がかかる」と、委員会の存続そのものを否定にかかってきた。

それは「97年河川法改正」の精神に反するものではないかと、今回は、河川法をつくった当時の建設大臣である亀井静香氏をメインゲストに集会を計画している。

宮本さんはこの会合には参加しないが、これは日本最後のダムのない大河・長良川に象徴された「川を守る闘い」に立ち上がった全国の市民たちと、当時それと対峙していた官僚との、いわば「河川法」を守るための共闘といえるのではないか。

今は国民新党をつくり自民党を出ている亀井静香氏は、河川法を改正したあと、2000年には自民党幹事長として、公共事業を223というオーダーで集団中止している。

亀井氏が何故、「河川法を改正し、223の公共事業をストップしたのか」その心を今、この日、改めて語ってくれる。

私は今、とても不思議な気持ちで、喜んでいる。

「よもや、こんな時が来るとは・・・」、と。

  *************************

        〓緊急シンポジウム

   “97年、河川法改正”はいかされていない!!

主催:公共事業チェックを求めるNGOの会
共催:公共事業チェック議員の会
日時:2008年6月10日(火)13:00~14:30
会場:国会第2議員会館第4会議室

◆趣旨
 1997年に、亀井静香建設大臣によって河川法が改正され、「住民対話」と「環境重視」が取り入れられました。
これにより、河川整備計画原案の策定に際し、有識者の意見を聴くための「流域委員会」が全国の水系ごとに設置されるようになりました。素晴らしいことです。

 ですが、実態は、ほとんどの委員会がこれまでの政府の各種委員会と同様の役所のお手盛で、日弁連は「法の要件を満たさんがために形式的に設置されたとしか評価し得ないものが大半である」と厳しい指摘をしています。

 そうしたなかで、唯一の例外ともいえるのが近畿の「淀川水系流域委員会」です。

 同委員会は、2001年2月に設置されましたが、第三者組織により選出された委員により自主的に運営されてきました。6年にわたる真摯な議論を経て、「住民の生命と財産を守る」という治水の使命を真に達成するには、「“基本高水”を根幹とする従来型治水を、それに捉われない新たな治水に転換する必要がある」との意見を出したのですが、2007年1月に突如休止されました。

 同委員会は、ほぼ半数を新たな方法で選出された委員に代え、2007年8月に再開されました。現在、提示された「整備計画原案」に対し、「ダムの必要性の説明に納得できないところがある」として再説明を求めていますが、経費多額を理由として再び休止されようとしています。

 顧みれば、1988年に長良川河口堰反対が始まり、その後に各地でダム反対運動が起こり、それが1997年の河川法改正、そして2000年の亀井静香自民党政調会長の働きかけによる全国223の公共事業の大量中止へとつながって、今があります。

 野党勢力による“政権交替”が目前に見えてきたいま、私たち日本人が21世紀へ向かってもつべき河川と公共事業に対する思想を再点検する緊急集会を提案致します。

◆プログラム

挨拶  鳩山由紀夫(「公共事業チェック議員の会」会長)

・「淀川水系流域委員会に“改正河川法”の趣旨はいかされているか」   
   今本博健(「淀川水系流域委員会」前委員長/京都大学名誉教授)

・「私は何故、河川法を改正し、223の公共事業を止めたのか」   
   亀井静香(「国民新党」代表代行)

・ パネルディスカッション 「“97年、河川法改正”をいかすために」
    パネラー  
     五十嵐敬喜(法政大学教授)
     菅 直人 (民主党副代表)
     前原 誠司(民主党衆議院議員)

進行  天野 礼子(「公共事業チェックを求めるNGOの会」代表)

Profile

天野礼子(あまの・れいこ)

-----<経歴>-----

アウトドアライター。
1953年、京都市生れ。
中、高、大学を同志社で過ごす。
19才より釣りを始め、文化人類学者の今西錦司博士の主宰された「ノータリンクラブ」に属して、国内外の川、湖、海辺を釣り歩く。
26才より小説家、開高健に師事。
1988年には師と共に長良川河口の堰建設反対に立ち上がり、「ダムは不用」の国民世論に育て上げる。
近年は「川を再生するには森を生きかえらせることが必要」と“森仕事”へ視野を広げて、日本の森から材が出る社会システムを作り直すことを各地で提案している。
京都大学が2003年に構築した「森里海連環学」の普及もお手伝いするため、高知新聞社と山陰中央新報社でカルチャー教室「自然に学ぶ“森里海連環学”」を続けている。
2001年より、高知県・仁淀川の源流にも家を借り、有機農業普及のための「高知439国道有機協議会」を07年に立ち上げて、事務局長を務めている。08年7月に養老孟司氏らと「日本に健全な森をつくり直す委員会」を設立した。

BookMarks

オフィシャル・ウェブサイト
http://www.uranus.dti.ne
.jp/~amago/


長良川河口堰建設をやめさせる市民会議
http://nagara.ktroad.ne.jp/

公共事業チェックを求めるNGOの会
http://kjc.ktroad.ne.jp/

日米ダム撤去委員会
http://damremoval.com/

市民版憲法調査会
http://www.kenpou.com/

-----<著書>-----


『“林業再生”最後の挑戦』
2006年11月、農山漁村文化協会


『だめダムが水害をつくる!?』
2005年10月、講談社+α新書


『「緑の時代」をつくる』
2005年5月、旬報社


『ダム撤去への道』
2004年5月、東京書籍


『日本の名河川を歩く』
2003年7月、講談社+α新書


『市民事業』
2003年4月、中公新書ラクレ


『ダムと日本』
2001年2月、岩波新書


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