退院しました。膵臓はコワイ。
先のブログでは、9月13日に“林政審議会”に出るために高知の病院を退院しているはずでしたが、そうはいきませんでした。
昨日、9月22日にようやく2週間の入院から退院できました。膵臓は「沈黙の臓器」ともいわれる手ごわい相手のようですが、今回はそれをつくづく体現しました。
9月7日に高知のいずみの病院に入院し、24時間の点滴、絶食を3日間。そろそろ重湯を飲みながら十二指腸潰瘍と膵臓の薬を口から入れて・・・と薬を飲むと。胸が締め付けられ、胃のまわりが痛み、頭が痛くなり、という三重の痛みが一遍に襲ってきました。
自分の頭の中では、「なんだ、なんだ、これは」と驚いているし、痛みの方はうなり声を上げないと耐えられない強さです。
高知での友人である渡辺佐枝子さんに携帯で電話し、「一人で死ぬのはイヤなので仕事を抜け出してすぐに来て。尾崎(夫)にはできるだけ早い飛行機で飛んでくるように言って」と、ようやくの想いで言いました。
実は、胃腸の調子が悪かったのは8月25日くらいからで、8月30日にはこの病院で検査を受け、十二指腸潰瘍の再発が発見されていたのですが、どうにも痛みが治まらないので、大阪脳神経外科病院(持病の脳動静脈奇形の診察を受けている)へ行って、脳の発作が起きているのではないかとCTスキャンを撮ったり、MRIを撮ったりもしたのです。
9月7日に高知の病院へ入ることになったのは、近年高知通いが多く、内科の診察は民主党の五島正規・前衆議院議員が理事長をされている「いずみの病院」で受けることにしていたからでした。
7日の朝は、めざまし時計で6時に起き、自分でタクシーを呼んで、這うようにして乗り、7時の飛行機で飛びました。病院に行くと、「即、入院」となったのでした。
膵臓が「沈黙の臓器」と呼ばれるのは、病いを発見されるのが遅く、発見された時は急性で死に至ったり、膵臓ガンなどで手遅れになっていることが多いからのようです。
9月11日の54回目の誕生日にベッドの上であったのは「本当に神様からのプレゼントだなぁー」と思いました。
13日に退院どころか、途中で2回も容態が急変して、それは膵液が他の臓器へ漏れてのことのようでした。「やっぱり膵臓はコワイ」と実感しました。
ゆうべは、自宅で夕食を作り、食べました。メニューは“山下一穂”さんから宅急便で届いた有機野菜のラタトゥユ(野菜をいため冷やしたもの)とレバーの燻製少々、うに豆腐、カニサラダ。「酒を飲まずにどうして夕食を食べられるかな」と思いましたが、代わりにスープを飲みました。
量は、予定した半分しか食べられませんでした。
年下の友人の松浦秀俊さんからは「これを機会に“食い改めよ”」と、食生活の改善を勧められました。忠告に従います。
今回は、さまざまに友人たちの愛情を改めて感じた2週間でした。
ご心配をいただいた皆様。ありがとうございました。
9月26日には上京して、最上・小国川ダム反対の小国川漁協の皆さんを、①菅直人②田中康夫③辻元清美④川田龍平に面会させる段取りをしています。
入院中も、11月25日の高知県知事選へ向けての密議をしていました。
9月28日には、「自然に学ぶ“森里海連環学”」高知新聞カルチャー教室のゲストにC.W.ニコルさんを呼んでいます。
29日は、そのニコルさんが歌う「“森里海連環学”のためのチャリティトーク&コンサート」を1000人収容の「高知市かるぽーと」で主催。
10月1日は、「“439”有機協議会」の24名限定の、山形「アルケッチアーノ」シェフと山下一穂の有機野菜のコラボレーション食事会を開催します。
膵臓に悪いのは、①「酒」②「油っこい食事」③「ストレス」だそうです。
③を受けるのはやめられそうにないので、①と②をやめることにしたことを報告します。






