3月10日から21日の予定で、南ドイツへ林業の勉強に行ってきます。
詳しいスケジュールと視察テーマは以下のようです。
帰国後、報告します。
南ドイツ林業・木材産業視察
日程:2007年3月10日~3月20日
場所:ドイツ バーデン・ヴュルテンベルク州、バイエルン州、ヘッセン州
参加者:林業・木材産業関係者11名
3月12日(月)
9:00 Suiz市の木造プレハブ住宅メーカー Kitzlinger社を訪問
―工場とモデルハウス見学(エコ建築)
3月13日(火)
10:00 シュバルツバルト南部、Gersbach村周辺の急斜面での伐採(予定)現場を見学(森林官による案内)
夕刻 住宅金融に関するレクチャー
3月14日(水)
9:00 シュバルツバルト南西部のBuchenbach村の大規模製材工場Doid Holzwerk訪問
工場見学・案内
13:00 シュバルツバルト南西部 Hinterzarten村の地域工務店 Ganter社を訪問
プレカット工場とモデルハウスを見学
3月15日(木)
Allgaeu地方のアルプス林業視察 急斜面での伐採現場を見学
―ドイツアルプスでの造林、施業、補助金制度など(森林官による案内)
3月16日(金)
西バイエルンAllgaeu地方 Kempten市周辺の森林所有者の共同体組織と関連施設を訪問
―共同体組織に関するレクチャーと木質バイオマス施設などを見学(森林官による案内)
3月18日(日)
シュバルツバルト中部 Bad Griesbachの専業林家Frech氏を訪問
森林管理、施業について解説、現地案内
3月19日(月)
10:00 Gross-UmstadtのKWF (森林作業・林業機械 研究開発機関)を訪問
―林業機械、最新技術、作業員教育などに関するレクチャー
3月20日(火)
ヘッセン州Micheistadt営林署の「移動式林業農家学校」事業を見学
―小規模私有林の助成施策と木材共同販売の仕組み
夕刻 フランクフルト空港から日本へ帰国
私たちが1988年から開高健さんと繰り広げた長良川河口堰反対は、国会を二分する全国運動となり、“川の国ニッポン”に誇るべき川がもう数本しか残っていないのはなぜかと問う、「20世紀の文明論」となりました。
そのため、95年に建設が終了し、ゲートが下ろされた時も、運用宣言をした社会党建設大臣・野坂浩賢は、「天野くんたちの運動にも答えなくては・・・」とのたまわったのです。
97年に亀井静香建設大臣が“河川法”を改定しようとしたのは、その野坂浩賢大臣の言葉を受けてのものでした。河口堰運用の直前の95年2月に、当時の亀井静香運輸大臣が野坂浩賢と“土工協(日本土木工業会)”との仲を取り持ち、野坂が「社会党は、これからは皆さんと仲良くやってゆく」とパーティで発言した後で、1億円の献金が社会党に入り、“運用”宣言がなされたことを、“亀ちゃん”は覚えていたからでしょう。
「住民対話」と「環境重視」が“河川法”に入るという案。それに対抗して私は、菅直人さんと民主党から「河川法対抗法案」を提出しました。
私たちの案は少数で否決され、河川局提案が通り、河川法にこの二つのキーワードが入れられました。
しかし今年の2月26日の読売新聞は1面トップ6段抜きで「改正10年、河川法の趣旨と逆行」と見出しのつく記事を書きました。
「『脱ダム』を提言し、河川整備の住民参加型モデルとして注目を集めた淀川水系流域委員会の活動を国土交通省(河川局)が今月から休止させた」「河川行政は『脱住民』へ“逆行”し始めた、といった批判が出ている」と。
今、河川局がこのように強気に出ているのは、田中康夫さんが落選してしまったからでしょう。
長野ではさっそく新知事が「“穴あきダム”なら環境にやさしいので造る」と始まりました。
穴あきダムなら「少しはまし」かもしれない程度で、島根県にできている益田川ダムを見に行ってみましたが、実際はいつでも本格ダムに改変できるように造ってあり、その上流にある以前に造られていた穴あきダムは、現在、本格ダムに改変中。
住民の反対の声や首長を説得させるために“穴あきダム”として造っておき、後に本格ダムに改変するという作戦が、ここへ見に行かれれば「バレバレ」にわかるので、ぜひ一度行ってみてください。
浅野さんがようやく、都知事選へ立つことを決めてくれました。
この間、五十嵐敬喜法政大学教授や私たちは2回の集会で浅野氏に出馬を要請してきました。
“小泉劇場政治”から続く安倍の“より右傾化”政府、“ファッショ・石原都政”では、市民には全く希望の持てないニッポンだからです。
五十嵐さんや私がこれまで1990年代からやってきていることを知らないマスコミの中には「五十嵐が菅に頼まれて動いている」とうがった見方をしている人もいますが、それは間違っています。
私は、1988年より長良川河口堰反対を唱え、「川の国」ニッポンを問うてきました。五十嵐敬喜教授とは1993年くらいに知り合い、一緒に国会内に「公共事業チェック議員の会」を作らせたり、97年には「河川法」を改定しようとした亀井静香建設大臣に向けて「河川法対抗法案」と「公共事業コントロール法案」をぶつけています。
この両案とも、民主党や菅さんに提出を依頼しましたし、2000年には鳩山代表に頼まれて「公共事業を国民の手に取り戻す委員会」をつくり、“緑のダム構想”などをつくっています。しかし、今回は民主党とは全く関係のない行動なのです。
私と五十嵐氏はまず、筑紫氏を口説いていました。最終的には固辞されたのですが、筑紫氏は同じ頃に私たちとは別に菅さんからも口説かれていたのだそうです。ことわられたあとから聞きました。
その時、筑紫氏は「私が最初は『菅さん、立つべし』と話したのだが、菅さんは今の政治にかなり危機感を持っていて、自分がいなくなったら民主党がどうなるかと考えるとそんなことをはできないと言い、これには私もかなり賛同できるので、真剣に考えたが、私もやはり、私がいなくなった日本の放送界を考えると不安を抱かざるを得ないので、出馬しない」とことわられたのです。
その後、誰も出馬してこない都知事選で石原知事が“不戦勝”をするのを許してはいけないと動き出したのが、今回の私たちの動きの始まりでした。
東京都民であり、日本で「日照権」を確立した辣腕弁護士である五十嵐敬喜氏は、美濃部都政を支えた松下圭一らと一緒に市民の自治や都市問題を問うてきた人物です。オリンピックをこの御時世にやろうなどという“すっとんきょう”な石原を倒すには、警察権力と徹底して闘った浅野氏しかもはやいないと思ったのは当然のことなのです。
世界中に知られる格言に「民は、自らに合った政府(あるいは政治)しか持てない」というのがありますが、日本の“市民”は石原よりはもう少し知性があると、この選挙で証明したいものです。