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2006年12月31日

「“脱”ダム」のその後―嘉田由紀子の変身

 読者の皆さんは、ダムの嫌いな私が、「ダム中止」を公約とした嘉田由紀子滋賀県知事の誕生を話題にしてこなかったことを不思議に思われたかもしれません。

 実は私は、この人と一緒に、1987年には国土庁の「水を語る女性の会」に所属していました。時の国土庁長官綿貫民輔氏が会議で私に「日本の川はどうなっていますか」と聞きました。「一級河川で本流にダムのない川は、釧路川と長良川だけ。長良川に河口堰をつくるべきでない」と答えた私に綿貫さんは「私は富山の神職。黒四ダムなど富山もたくさんのダムを造ってきたが、最後の川には造らない方がよいね」というので安心していたら、翌年、長良川河口堰工事が着工し、建設大臣になったのは綿貫氏でした。

 私は自分の言葉に政府委員としても責任を持つためにも、河口堰反対運動を立ち上げました。

 この時、「水を語る会」の女性たちに協力を求めたのですが、話を聞いてくれたのは今井通子さんだけでした。
 嘉田由紀子さんは、「天野さんは危険だからつき合えない」とのたまわった女(ひと)。だから彼女が「もったいない」をキーワードに「新幹線」と「ダム」を止めると言って滋賀県知事に当選した時、私はマユにツバを塗っていて、このブログで彼女の当選を祝う気になれなかったのです。

 その彼女が「やっぱり」という行動を、この12月の滋賀県議会で取り始めました。
 「ダム中止」を公約していたのに、いくつかのダム工事を進めるというのです。

 ところが不思議なことに、これを中央のマスコミも地方のマスコミもほとんど書かないのです。ダム反対勢力が力を失わないように配慮しているのでしょうか・・・。どうもそれほどの配慮の結果のようでもないのです。

 ひょっとしたら滋賀県のマスコミ諸氏は、“嘉田由紀子さんが「その程度の女(ひと)」である”と最初から分かっていたのかもしれません。

 田中康夫を落とした「信濃毎日」は、今になって「田中はこんなにも改革した」というシリーズを続けています。毎日のように話題を提供してくれた“田中ちゃん”がいなくなって、話題にこと欠くとはいえ・・・トホホ。

 田中康夫を落とした責任は、“市民”にもあります。その“市民”が、田中がいなくなった世界に誕生させた滋賀県知事でしたが、田中なき世界では一人でがんばれないというのが現実なのでしょう。
 「そのくらいでへこたれるのなら何故に、政治家になったの」と、嘉田さんには自問してもらいたいですね。

 今年のブログは、このように「“脱”ダム」にとっては、厳しい局面を迎えていることを報告して終了します。
 
 来年は、局面を拓けるか?

2006年12月30日

第3回時計台対話集会

 京都大学が2003年に提唱した「森里海連環学」の3回目の“対話集会”が、12月23日に時計台記念ホールで開催され、430名を超える観客が近畿圏の他、北海道、新潟、千葉、長野、福井、三重、愛媛、高知、沖縄から駆けつけてくださいました。

 メニューは、先のブログで紹介していたとおり。参加者の終了後のアンケートでは「林業では暗い話ばかりしか聞かなかったが、未来は暗くなかったことが実感できて元気づけられた」というのがありました。

 この集会の特色は、講演やパネルのあと、会場の観客との対話があることです。会場からの質問に講演者がていねいに答え、市民が、この「森里海連環学」を使ってゆけば21世紀は20世紀と違う生き方ができるだろうと感じられる集会でした。

 林野庁で「新生産システム」というメニューを作った九州森林管理局長の山田寿夫さんが講演されたので、林野庁のメンバーもたくさん聞きに来ておられ、私が毎年主催している「今年も、天然鮎を送る会」という、天然鮎が日本の川にいることをありがたくいただく食事会を、打ち上げ会として集会のあと設定しましたら、林野庁の17名を含め、52名が参加され、私と夫の釣った高知県仁淀川の天然アユを喜んで食べてくれました。
 天然鮎は、日本の森・川・海が健康でいるかどうかの指標魚なのです。

2006年12月13日

NHKラジオ放送をテープ起こし

11月11日AM4:00からの「ラジオ深夜便・こころの時代 “山仕事”ピンチをチャンスに」を、NHKにテープをもらい、テープ起こししました。

12月13日より、私のホームページ“あまご便り”に載せているので、読んでください。

2006年12月 7日

ヒグマが襲った本当の理由

mana061207.jpg
『星野道夫 永遠のまなざし』
2006年9月、山と溪谷社

 星野道夫 永遠のまなざし」(小坂洋右・大山卓悠著 山と渓谷社刊)について、東京新聞より書評を依頼され、11月20日版に載せましたので、全文を転載します。

 私には、2002年9月に世界最強のクマといわれるグリズリーの棲むカナダのスコーキルツ川とその周辺の森へ、ビクトリア大学のトム・ライムヘン教授と出かけた経験がある。教授は「クマを撃退する“カラシスプレー”は30年間に1度も使ったことはない。普通のクマは人を襲わないよ」と言われた。

 ライムヘン教授は、サケに含まれる「N(窒素)15」が、クマによって森へ運ばれ木の栄養となっていることを明らかにした研究者で、クマが1年間の食料の四分の三を、産卵のため川を溯上してきたサケから取ることや、クマの狩りの時間の四分の三は夜であることも世界で初めて調べ上げた人物だ。

 ミチオ(と、動物写真家の星野さんを愛した世界の人々が呼んだように呼ぼう)はこの、“クマが狩りのほとんどを夜に行う”ことを知っていただろうか。

 カムチャッカ半島クリル湖畔でミチオを喰い殺したオスグマは、ミチオがTBSの撮影隊と自分のために、観察小屋の外で作った夕食の匂いに引きつけられてやってきて、近くのテントの中で食後眠っていたミチオの、身体に付いていた匂いで、ミチオをエサと思って襲いかかったようだ。

 「はじめから人を襲おうとするクマは、まずいない」(『アラスカ 光と風』星野道夫著)と信じていたミチオがなぜ襲われたのか。二人の友人は、この著作でそれを明らかにした。観察小屋周辺で地元テレビ局の関係者がクマを定期的に餌付けしていた事実を突き止め、「星野道夫の命を奪ったヒグマは、餌付けによって人慣れし、人間との距離感を失った個体だった」と結論づけたのだ。

 43歳の突然の死から本書の発刊が十年もかかったのは、ミチオを愛する人々の哀しみがあまりに深かったからだろう。「時」を必要としたのだ。

 大山氏がミチオの死をきっかけに訳した『ベア・アタックス』(スティーヴン・ヘレロ著 北海道大学図書刊行会)も併せて読まれることをお勧めする。
(評者:天野礼子)

2006年12月 6日

「“林業再生”最後の挑戦」を書き終えて

 11月10日に出版した本書を書いた気分を、「悠々として急げ―まえがきに代えて」に書きました。「悠々として急げ」は、師・開高健の残してくれた言葉です。

 悠々として急げ―─まえがきに代えて  
 森の中の一本の木は、自分の根元に落とした葉から生まれる養分を吸収してまた葉をつけ、それをまた根元に落とす。長い長い年月のそのくりかえしの中でおひさまや雨や周囲の葉たちの力も加わって、木は少しずつ成長してゆく。  人類は、この木と、木にそそがれた地球とおひさまのエネルギーをいただいて生をつないできていることを忘れてはいけない。

 わが国で、この木の成長を利用して人工林づくりが始まったのはおよそ五〇〇年くらい昔のことであるといわれ、それは世界中でも早いのだと聞く。江戸時代の終わりころまでにはその技術もかなり高いものになっていたようだ。
 
 しかし二十世紀のおよそ一〇〇年の間に私たち日本人は二度、人工林のつくり方を間違えたのではないだろうか。  一度目は明治維新時に、気候も風土も違うドイツの経済効率一辺倒の森づくりを移入した。同時に天然林は、パルプや産業振興のための燃料として大量に伐られた。  

 二度目は第二次世界大戦後。大規模一斉造林で、スギ、ヒノキ、カラマツといった成長の早い使い、勝手のよい針葉樹を全国で大量に植林した。この時、本来は広葉樹の領域で治水のための“お留山”(立ち入りを禁じられた山)と過去にはされていたところへまで植えてしまったのも問題だった。  

 いま、それらの木が好伐期を迎えているが、「日本のスギが世界一安い」という状況にあって過疎の村に放置された人工林は、二〇〇四年や二〇〇六年の山林崩壊や土石流の原因となるに至っている。 「一九六〇(昭和三十五)年に木材が自由化されて関税がゼロの安い外材が輸入され、国産材は駆逐された」という言い方がこれまでされていたが、実態はまだ木材が高値をつけていた時代に「乾燥」に対する努力を官も民も怠った、というのが今日の危機をつくってきたといえよう。

 しかしそこにいま、これまでとはちがう状況が出現した。林野庁が「新流通システム」とそれに続く「新生産システム」を誕生させ、これまでは外材を使っていた木材業界人たちに、太いロットでまず自分たちが国有林から人工林間伐材を大量に出してゆくことを約束したのだ。原油の高騰が外国からの船舶の船賃を上げ、それを後押ししている。

 これが、「林業を再生させる」と林野庁は張りきっている。一方、“最後のチャンス”かもしれないが「失敗すれば林業はもう立ち直れない」と心配しながらも、挑戦することから逃げないという人たちもいる。この本には、その両方の方々に登場していただいた。とにかく急いで、いまのこの「ピンチはチャンス」(かもしれない?)状況を、日本の多くの市民に知ってもらいたいからだ。  

 私が尊敬する植物生態学者、京都大学名誉教授の河野昭一先生は、最近の朝日新聞「私の視点」に「天然林伐採反対」と論陣を張られた。水土保全林に指定されている保安林で天然林大規模伐採がいまも進められていると怒る。一九九七年に林野庁の累積赤字三兆八〇〇〇億円のうち二兆八〇〇〇億円を一般会計より補填したのに、残りの一兆円は五〇年の自助努力で返済すると残したために借金は一兆二八〇〇億円まで再び膨らんでおり、「新規借入金なしの収支均衡」が至上命令となってしまっていて“虎の子”の天然林に手をつけられているというのだ。

 この、天然林の伐採で得られる年間収益は一〇〇億円に過ぎない。  数百年、数千年と生きてきた“森の回廊”には、森と共存する日本特有の動植物や土の中に生きる植物の種子などが含まれており、この森のつらなりを断絶してはいけないのだ、と河野先生はおっしゃる。  

 この河野先生などが一九八〇年代には「林野庁解体論」を唱えられていて、多くの日本人は「木は伐っちゃいけない」と思っていたのではないだろうか。私自身も当時そう思っていたし(いまも天然林については変わらない)、いまでも森のことを話すと子どもたちから「オバチャン、木は伐っちゃいけないんだよ。木は植えるんだよ」といわれる。  

 実は、種の保存のための貴重な天然林は「伐っちゃいけなく」て、人工林は反対に「伐ってあげなくちゃいけない」という教育を、私たちは、まだ六七%もの森林率をかろうじてもつ「森林国」の国民であるにもかかわらず、受けてこなかったのである。数年前には、小学校の教科書から「林業」という記述が消えていた時もあった。  

 一九歳で釣りを覚えてから今日までの三四年間、私は年間一〇〇日くらい川を歩いてきた。そして五年くらい前からである、自分には川を見ていた右目の他に左目もあって、どうやら森を見て、その行く末を心配していたのだなと気づいたのは……。  

 二〇〇五年は『“緑の時代”をつくる』(旬報社)を上梓して、わが国はもっと木質バイオマスエネルギーの活用を考えるべきであるとお伝えした。  

 今回のこの本は“林業再生”そのものをテーマとした。「林野庁解体論」を私はとらない。林野庁の一兆二八〇〇億円までに再び増えてしまった赤字は、国民負担で全額返済し、そのかわりに経済同友会が提案した「グリーンプラン」のように一度やってみてはと提案したい。一兆円は、二〇〇五年の愛知万博の予算とほぼ同額に過ぎず、本当に必要な森林政策ならば、他を削っても支出すべきである。削るべき公共事業はたくさんある。  そのかわり、林野庁の皆さんには約束をしてほしい。急ぎすぎず、しかし「悠々として急いで」(わが師・開高健の遺言)ほしいのだ。今度は失敗しないように。そして一番厳しい人の意見を取り入れて、“林業再生”が国民全体の議論となり得るような動きをつくってもらいたい。

 そのために第一章には、「林野庁再生」の立て役者であるお二人に登場をいただき、九州森林管理局長の山田壽夫さんには持論を展開していただいた。しかし、その視点が偏っていないかは、自らも充分点検していただく必要があるだろう。

 そして、私たち国民も、林野庁を応援しつつ、次に挙げるような森林国としてなさけない現実を、二十一世紀中葉には変えられるように努力したい。
 ・使用する木材の乾燥を化石燃料で行っている。 先進国で、こんなことをやっているのは日本だけだ。木の乾燥には材のまわりの、木の皮や枝をきちんと使いきる木質バイオマス乾燥をあたりまえにする国になりたい。

 ・木のまわりの材を「産業廃棄物」として処理している。 乾燥のための燃料や暖房のための熱量として使える木のまわりの材を、わざわざ「産業廃棄物」として処理するように指導しているのは国だ。これはただちに法律を改正してやめるべきである。

 ・足元に間伐を待っている森があるのに、使用している材の八割が輸入品である。 森林率六七%の森林国で、これはなさけなくないか。 「日本の森の“ピンチ”を“チャンス”にするために心するべきこと」

 ・戦後の拡大造林期に植えた木を中心に一〇〇〇万haの人工林が育ち、使いごろになってきている。

 ・世界では日本のスギが一番安くなっている一方、原油が値上がりして外材が輸入しにくくなってきたため、日本でも山から材を出す「社会システム」の再構築ができれば、林業が産業として甦ることができるはず。

 ・国民は、「天然林を大事にする」と「人工林の間伐推進」の両方の視点をもつべき。


  目 次

悠々として急げ――まえがきに代えて…………2

第一章 “新生産システム”で「山は動く」か………………13

山が、動き始めた…………14

“新生産システム”で林業は再生する      
九州森林管理局長・山田壽夫さん、おおいに語る…………21

[資料]新生産システムとは(林野庁の資料から)    
山田壽夫さんが「新生産システム」の計画課長として財務省の説得のために使った資料…………38

“時代”が動いている実感がある        
中島浩一郎さん(真庭市「銘建工業」代表取締役)との対話………41

第二章 「林業再生」は“道づくり”と“森の団地化”から………59

“道づくり五〇年”の大橋慶三郎さんに「崩れない道づくり」を学ぶ…………60

「大橋学校」の生徒たち  
“人工林のふるさと”五〇〇年の歴史の吉野で道づくり    
岡橋清元さん(奈良県・清光林業代表)…………74
 
妻とつくった作業道が経営を支えた      
橋本光治さん(徳島県・橋本林業代表)…………83

“森の団地化”の最先端       
日吉町森林組合の皆さんと湯浅勲参事(京都府)…………90

第三章 「二十一世紀の森づくり」を訊く…………97

日本の森は、いま        
竹内典之さん(京都大学教授、人工林研究)に訊く…………98

森林組合建て直しが“日本林業再生”のカギ       
梶山恵司さん(富士通総研主任研究員)、        
湯浅勲さん(日吉町森林組合参事)との鼎談…………121

富士を背負った“壮大なる実験”
「富士森林再生プロジェクト」レポート………………144

忘れちゃいけない、小さな工務店の力
小池一三さん(「近くの山の木で家をつくる」運動宣言起草者)に訊く………………149

第四章 動き始めた“緑の時代…………167

森の力になりたい
四万十町臨時職員・立谷美沙さん(高知県)……………168

子どもの時からの憧れやった
(株)とされいほく社員・大利猛さん(高知県)…………174

“森の番人”の跡継ぎができた
(株)ウッドピアの皆さん(徳島県)………………181

林業に、誇りをもてる“人育て”
高知県香美森林組合の皆さん(高知県)………………187

森をつくる、家づくり
木材コーディネーター 能口秀一さん(兵庫県)…………192

“くふう”を続ける林業人生
泉忠義さん(熊本県)…………………………198

トップが動く
木村良樹和歌山県知事(和歌山県)…………………204

北海道の間伐材を建築に使う
ハウジングオペレーション(株)京都支社と篠田潤さん(京都府)……211

あとがき…………218

2006年12月 1日

第3回京都大学時計台対話集会「森里海連環学が、日本の木文化を再生する」

 「森里海連環学」は、2003年に京都大学でヒラメの研究者と人工林の研究者が創設しました。

 この学問が「森"川"海連環学」とされなかったのは、20世紀に猛スピードで森と川と海のつらなりやつながりを破壊した人間の棲む"里"からこそ、この学問を使って、21世紀に自然再生を進めるべきと、2人を中心とした京都大学の研究者たちが考えたからにちがいありません。

 この学問の、市民との対話集会がこれまで毎年1回行なわれてきており、第3回目の今年は、12月23日(土・祝)となっています。

 場所は、京都大学の時計台ホールで、午前中は各地のフィールドでの展開が紹介され、午後1時から5時まで、以下のようなメニューでシンポジウムが進行します。

 多くの皆さんの参加を募ります。入場は無料で500名収容です。

 クリスマスイブ・イブは21世紀へ向けての勉強。イブは恋人と京都巡りといったメニューはいかがですか。

詳しくはこちら

Profile

天野礼子(あまの・れいこ)

-----<経歴>-----

アウトドアライター。
1953年、京都市生れ。
中、高、大学を同志社で過ごす。
19才より釣りを始め、文化人類学者の今西錦司博士の主宰された「ノータリンクラブ」に属して、国内外の川、湖、海辺を釣り歩く。
26才より小説家、開高健に師事。
1988年には師と共に長良川河口の堰建設反対に立ち上がり、「ダムは不用」の国民世論に育て上げる。
近年は「川を再生するには森を生きかえらせることが必要」と“森仕事”へ視野を広げて、日本の森から材が出る社会システムを作り直すことを各地で提案している。
京都大学が2003年に構築した「森里海連環学」の普及もお手伝いするため、高知新聞社と山陰中央新報社でカルチャー教室「自然に学ぶ“森里海連環学”」を続けている。
2001年より、高知県・仁淀川の源流にも家を借り、有機農業普及のための「高知439国道有機協議会」を07年に立ち上げて、事務局長を務めている。08年7月に養老孟司氏らと「日本に健全な森をつくり直す委員会」を設立した。

BookMarks

オフィシャル・ウェブサイト
http://www.uranus.dti.ne
.jp/~amago/


長良川河口堰建設をやめさせる市民会議
http://nagara.ktroad.ne.jp/

公共事業チェックを求めるNGOの会
http://kjc.ktroad.ne.jp/

日米ダム撤去委員会
http://damremoval.com/

市民版憲法調査会
http://www.kenpou.com/

-----<著書>-----


『“林業再生”最後の挑戦』
2006年11月、農山漁村文化協会


『だめダムが水害をつくる!?』
2005年10月、講談社+α新書


『「緑の時代」をつくる』
2005年5月、旬報社


『ダム撤去への道』
2004年5月、東京書籍


『日本の名河川を歩く』
2003年7月、講談社+α新書


『市民事業』
2003年4月、中公新書ラクレ


『ダムと日本』
2001年2月、岩波新書


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