朝日新聞大阪本社版では、5月1日の一面トップ記事は「和歌山県が都市計画道の全面見直しの方針を決めた」とのニュースでした。
和歌山県は、未着工の110路線、計358キロについて、廃止も含めて全面的に見直すのだといいます。
人口減に伴う需要の低下や財政難などが理由で、地域の実情を再調査して「身の丈に合った道路を整備する」(県土整備部)としています。県によると、未着工路線すべてを見直すのは都道府県では異例という、と、山尾有紀恵記者は書いています。
公共事業ストップではこれまで。中部ダムを止めた片山善博鳥取県知事。「あとひとつトンネルを抜けば完成する」林道を止めた増田寛也岩手県知事。「“脱”ダム宣言」の田中康夫長野県知事が名高いですが、“小泉”が大騒ぎしても止められなかった“道路”を、“全面見直し”とは、さすが木村良樹知事。
この人は、近年は小泉サンに「緑の雇用」の提案もしており、林業を自然にやさしい公共事業として予算化しつつ、Iターン・Uターン者を林業に迎え入れることもしているという賢者です。
鳥取県の片山知事が県営の中部ダム中止で使った手法は、まず「ニーズが本当にあるのか」を調べることでした。Aに聞けば「Bが欲しがっている」といい、Bに聞けば「Aが」、Cに聞けば「AとB」がいうことで、本当にダムを欲しがっている県の関係者はいない(多分、建設省が欲しかったのでしょう)ことがわかったのでした。
それを「止める」と決めると、次に片山知事がやったことは、担当の首をすげ替えることでした。それまでの担当者は、地元から「要望を挙げさせる」などをしてきた人物。この人に「やめます」と地元をまわらせるのは、かわいそうだし、地元も怒ります。
公共事業を、国に向かって「いらない」という勇気がある知事はこのように全国でも数人。その言い方も難しい。和歌山では「身の丈に合った道路という考え方なら国の理解を得られる」としているようです。
実は、橋本内閣が“財政改革”をしていた時には、自治省が異例の「通達」を出して、「手順を踏んで公共事業を止めるなら、それまで国から受け取っている補助金を返却しないでよい」としていました。
“ヤッシー”のようなやんちゃ坊主でも、この通達を利用してきちんと委員会を設定して委員会に決めさせたから、長野県は補助金を返却しないで済みました。(ところがこの時、長野県へ国土交通省から出向していた光家康雄土木部長は、「ダムを止めれば、長野県は河川局から補助金の返還を要求される」と議会で知事を脅したのでした。)
とにかく。「道路」「ダム」など大きな利権の対象であった事業が止まるようになってきたのは、これまで“三割自治”といいながら一割自治で公共事業をバラまいてきたわが国を支配してきた「自民党なるもの」の“終わり”が“始まった”のだということでしょう。知事たちも、公共事業でまわっているはずだった地方経済が赤字を作り続けた現実を自覚した、というよりは、止めてみせた知事は“ヤッシー”以外は官僚だった人物ですから、「よくわかっていた」ということでしょう。
そろそろ国民も目をさまし、「自民党なるもの」に「死に水」を取るべきでは?
朝日新聞が5月1日に、全国版で、「湿原再生事業10億円に“異議”」という見出しの記事を大きな写真入りで載せました。
先回のこのコーナーで報告した、私に電話を掛けてきた記者の名がありました。
釧路湿原内の釧路川を「洪水防止」と称して25年前に直線化したうちの2.7キロを蛇行に戻すことについて、「釧路湿原自然再生協議会」に参加したNPO『トラストサルン釧路』が、「多数決などの議決はなく、いつの間にか了承されていたのが実態。われわれ民間は軽視されていた」とし、川岸の土盛りを取り除くなど「最低限の工事にとどめるべきだ」と、「公共事業の看板の付け替えに過ぎない」と反対を表明する事態となっている、というのです。
先回書いた高知県の四万十川について2003年11月に発足した「四万十川自然再生協議会」も、45の団体から100名が参加してつくられ、国土交通省や県の土木部は“オブザーバー”となっていますが、事務局は国土交通省中村工事事務所、選ばれた市民代表は、県のいくつもの委員会の常連さん。あきらかに「お手盛り」とわかるメンバーが多いなど、この事業が「下」から上ったものではなく、「上」から降りたものであることを教えています。
『トラストサルン釧路』はさすがです。北海道は、NGOと全道の海の漁協たちが「千歳川放水路事業」を止めるなどの経験を持っているからでしょう。
釧路川での自然再生事業は、“国内初の本格事業”との触れ込みですが、“初”だっただけにNPOからの「異議」に注目が集まり、そのインチキさを露呈してしまったということでしょう。
4月27日は、高知県の横浪半島に、養老孟司氏と京都の村田製作所(年商5千億円近い世界的な電子部品メーカー)の社長、村田泰隆氏をお招きして、“森里海連環学”のために対談をしていただきました。
“森里海連環学”とは、2003年に京都大学で誕生したもので、20世紀には、森の研究者は森だけを、川は川だけ、海は海だけを研究してきたのですが、そうして自分たちが穴倉にこもっている間に、人間の経済行為によって森と川と海が寸断され、森、川、海という、連なっていてこそ生きている生命体を瀕死の状態にしてしまったのではないか、という反省から生まれた学問でした。
私はこれに2004年秋からかかわり、高知県の横浪半島という、半島すべてが照葉樹林帯という貴重な森に、“森里海連環学”のための実験所を誘致したのです。
横浪半島には、一昨年まで高知県の「こどもの森」とそのセミナーハウスがあったのですが、財政難でそれが閉鎖されようとしていました。これを橋本大二郎知事にお願いして、施設の保存と京都大学・高知大学への貸与を決めていただいたのです。
4月27日に、養老氏と村田社長をこの地にお迎えしたのは、この施設「横浪林海実験所」のおひろめのための記念対談でした。
京都大学が高校生たちに配布する「第二回時計台集会(昨年12月18日)報告集」の巻頭を飾るのです。
養老氏は、ゾウムシという昆虫採集をライフワークとされ、ゾウムシから世界を見ておられます。
村田氏は、蝶を写真に撮るのがライフワークで、「蝶のバックグラウンドが元気であるか」と、その写真には必ず背景が大きく写し出されています。
お二人には、「“森里海連環学”のために」とだけお願いをして自由に1時間話していただきました。
前日の雨がウソのようにカラリと晴れ上がった青空がうつって、海も碧く、まるで自然が喜んでいるように見えました。お二人の対談は野外で海をバックに行われ、限定公開に集まった40人程の招待客は、二人の背後のピンク色のツツジに群がるクロアゲハが入った風景に感動したようでしたが、村田社長はさぞ気もそぞろであられたでしょう。
招待客たちは、この研究所の維持費用を京大に寄付するために、C.W.ニコル氏と南こうせつ氏と私が、昨年10月21日に催したチャリティートークアンドライブの開催に協力してくれた、仁淀川流域の自治体や海と川の組合などの関係者。
海のクジラから見ると、横浪半島は「そこに仁淀川があるよ」というランドマークであり、クジラの「魚付き林」なのだと説明すると、彼らはすぐに理解し協力してくれました。
高知県は、黒潮から立ち昇る水蒸気が石鎚山や剣山にぶち当たり、川がきざまれ、その川の水がまた海に注ぐという、「森・川・海」の循環が良く見えるところだからでしょう。
「森里海連環学」は、里に住む人間が破壊した森・川・海を、21世紀に再生してゆこうという学問です。
この学問の名前をぜひ覚えて、あなたの愛する人達に伝えてくださると幸いです。