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2006年4月25日

誰も知らない“自然再生推進法”②

 そして。(前回よりつづく)

 鳩山由紀夫民主党代表は、「公共事業を国民の手に取り戻す委員会」を代表の特別諮問機関として作ってくれと私に依頼しました。亀井静香自民党政調会長は、「また私に何かやらせようというの。政調会長は忙しいんだから。まあまあ見てなさいよ」と“意味深”なお言葉。

 9月になって民主党の委員会を立ち上げていると、驚いた。なんとあの亀井静香が「公共事業の抜本的見直し検討会」を発表したのです。

 「選挙中は公共事業のどこが悪いといっていた男(ひと)が、“抜本”とはよういうわ(京都弁)」と笑ってしまいましたが、あれよあれよという間に、12月までに本当に233の公共事業をこの御仁が止めてしまったのです。公共事業がこのような数で止まったのは初めてでした。7万件もある国の公共事業の中でたった233とはいえ・・・。

 一方、鳩山委員会も11月1日に「“緑のダム”構想」を発表しました。こちらの方は、その1週間前に長野で誕生していた田中康夫知事に送りましたが、翌2月20日にぶっぱなされて日本中が驚愕した「“脱”ダム宣言」に少しは参考にしていただけたでしょうか。

 亀井氏は233を止めて次に何をする気かと見ていると、日経新聞が3月に「亀井派から“自然再生”法案」と報道しました。そして12月には自民党の国土交通部会(かつての建設部会)で勉強会が開催されて、そのテーマは「川に蛇行をとりもどす」で、ヨーロッパの「川の再自然化」のパネリストの講演でした。この勉強会に出席した新潟県選出議員はその足で地元の現町長の選挙応援演説に向かい、次のように叫びました。「皆さん、自民党はもうダムを造らない。これからは川に蛇行を取り戻すなど“自然再生”です。清津川ダムに反対する現町長を応援しましょう」と。

 それから1年後の2002年12月に「自然再生推進法」は成立しました。

 しかし私は、自然再生推進法案に、先回書いたような欠点を見ていたので反対しました。ところがNGOの大半は初め、反対ではありませんでした。

 環境省が、藤前干潟を止めてくれたことに恩を感じている辻敦夫氏を説得し、国会では「WWF(世界自然保護基金)」ジャパン」が環境省と一緒に歩いて野党議員の説得が行われ、公明党は対案を出して、民主党では鮫島議員が私と出そうとした対案が大阪の樽床議員の妨害でつぶされて、民主党も社民党も賛成しようとしていたのです。

 私は、辻氏が「野鳥の会」の皆さんに呼びかけていた勉強会にいって、この法案には疑問があり、野党勢力と勉強しなおして次回へ成立をのばそうと訴えました。

 そこには環境省の当時「自然環境局長」だった小林光(ひかり)氏が来ており、一人のNGOが質問しました。
「"アセスメント"はどうなるのですか。」
「一つ一つが小さな事業となるので、行われないでしょう」。

 これでNGOは全員、反対にまわりました。NGO団体の中で、この法案に賛成したのはWWFジャパンだけでした(世界のWWF界では、日本の委員会は経済界の影響を受けすぎているという批判があります)。心ある国会議員もこれでようやく目が醒め、社民・共産は反対しましたが、民主党は反対にまわれませんでした。樽床氏を初めとする議員が担当になっていたからです。この法案を成立するためのシフトが、亀井派の谷津義男議員(「公共事業抜本見直し委員会」事務局長)によって民主党内にも敷かれていたのです。樽床議員は、以前より谷津議員の“お友達”でした。

 「自然再生推進法」君は、このように“悪魔の申し子”なのです。

 しかも、国民の大半が、その命があることも知らない、名前だけは美しい“申し子”です。

 国会で法律を作るには、予算を伴うものなら40名、伴わなくても20名の賛同が必要です。「日本には“政権交代”が必要で、そのためには“幼稚”でもなんでも民主党を鍛えなおさないといけない」と私が思いつめる理由がこれでもおわかりいただけるでしょう?

 今、この“申し子”自然再生推進法は、各省庁が自分のやりたいことを「ひっそりと」やるのにだけ使われているのです。ほとんどの事業が小手先の自然再生で、日本中の川にダムが造られたせいで川魚が激減し、そのため鵜まで異常発生して、少なくなってしまった川魚を食い尽くしてしまうところまできてしまった自然のサイクルを“抜本的”に再生するなどとは、この人たちの誰も考えていないでしょう。

 なさけないぞ!!ニッポン。「民は自らに合った政府しかもてない?」

誰も知らない“自然再生推進法”①

 アマゴが釣れない。

 四月は、高知県仁淀川と和歌山県日高川の二河川でアマゴ(西日本の太平洋側河川に棲息する渓流魚)釣りをしたのですが、どちらも1匹ずつという貧漁。原因は“鵜”でした。

 アマゴが釣れない原因が“鵜”とは、これいかに。

 近年は、日本中いたる河川にダムができていて、日本の国魚ともいえるアユが川を溯上できない。そこでアユをダム湖の上流へ放流するという手法がとられています。すると、川の上流部で鵜が増えるのです。

 かつて。ダムがない時代には天然アユは、春には川を溯上し、秋には産卵のため川を下って河口部で命を果てるというライフサイクルを繰り返していました。そのアユを好物とし、主に河口部を生息域とする鵜も、春と秋には大量の獲物にありつくという具合でした。その時代、アユも他の魚もいくらでもいて、鵜は移動しなくても、河口部だけで豊かな食生活を営めていたのです。

 今は、全国のダム上流のアユ釣りで有名な河川では、毎朝5時に漁協幹部が河原に立ち、銃で鵜を撃ち落とす作業をしています。鵜が異常繁殖して、アユだけでなく、アマゴなど他の川魚まですべてを食べ尽してしまうからです。

 何故そんなことが起きているか。この原因が「ダム」なのです。鵜にとっては、ダムは新しくできた海に見え、そこに人工的に放流されるアユは、さまざまな開発行為によって減少してしまった川の資源の中では、貴重なエサとなってしまっているのです。賢い鵜の中には、漁協が作っている人工アユセンターを見張っていて、そこから出る放流のトラックについていって、ダム上流河川へアユが放流されるやいなや襲い掛かるという、まことしやかな噂もあります。多分、本当なのでしょう。

 ダムで寸断されておらず、川が豊かであった時代には、こんなことはなかった。鵜がいくら食べても、アユだけでなく、川からアマゴやオイカワまで消えてしまうなんてことはなかったのです。

 そこで。今日は「自然再生推進法」を考えてみることにしました。この法律が、ダムなど開発行為によって失われた自然を再生できるかという点検です。

 先日。朝日新聞の記者から電話があり、「自然再生推進法」への意見を求められました。

 釧路湿原で国土交通省がやっているこの法律を使った公共事業をどう思うか、から始まった質問でした。

 同じ事業については、数ヶ月前にもNHK記者が電話をしてきていましたが、私は現地もこの事業も以前に見に行って知っていたのですが、今を知らないので「そこへ私を連れていってくれないとコメントできない」と答えたら、それっきりでした。

 朝日の記者は違いました。まず私にこの法律の問題点を聞きました。一番大きな問題点は、一つ一つが小さな事業となるので、“アセスメントの義務”に抵触しないこと。二つめは、これまでの公共事業と同じ「国が三、県が三、地方が三」の割合分担が形式上は変わっていないので、財政難の自治体(ほとんど)では、実施が困難ということ。

 従って、現在行われている事業は、市民が要求して下から挙がっていったものではなく、各省庁がやると決めてやっているものが大半なのです。私はそれを指摘しました。

 朝日記者は、そこをきっちり調べていました。「僕もそこに疑問を持って調べてみましたら、実行されているほとんどが省庁から降ろした案なので驚きました」。

 昨秋出版した「だめダムが水害をつくる?!」(講談社+α新書)には、山形県の河川担当者の「三割負担といいますが、実は国にはいろんなポケットがあって、実際は県の負担は一割ですみます。だからダムなんです」という言葉を載せておきました。

 高知県四万十川では、19億円の自然再生事業が行われ、そのために「協議会」が設定されています。この協議会の設置が、この法律を使う時の「必置事項」となっているのですが、いわゆる「おてもり」メンバーなのです。

 一方私は、同じ県下の仁淀川で、住民や議会の皆さんと一本の川を再生するプランを提出してみましたが、こちらは全く動きません。「やっぱり各省は、自分がやりたい事業だけをやる」ということが具体的にわかっただけでした。

 さて。そもそも「自然再生推進法」などという、国民のほとんどが知らない、名前だけは立派なこの法律は、どのような経緯で誕生したのか。私にも少し責任があるように思えるので書き込んでみます。

 2000年6月、衆議院選挙の折。自民党の政調会長で、1997年の建設大臣当時に「河川法」を改訂し“環境重視”と“住民対話”を盛り込んだ亀井静香氏はあのダミ声でこう言っていました。「民主党などが公共事業はイカンというが、公共事業は“富の配分”。どこが悪い」。

 ところがこの選挙は「自民党が大勝ちできなかった」という結果で終了しました。

 選挙の翌日からヨーロッパへ“公共事業”と“自然再生”の勉強へ出掛けた私は、帰国後三人の政治家に面会を求め、二つのことをお伝えしたのです。

① ヨーロッパ諸国では、財政難から、不必要で自然破壊的な公共事業が止まっている。
② 一方、財政難の中でも、「川の再自然化」など自然を再生する公共事業には税金が配分されている。

 三人の政治家とは、菅直人民主党幹事長、鳩山由紀夫民主党代表、亀井静香自民党幹事長でしたが、私は亀井さんだけには、余分な一言を付け加えたのです。

 「田中派は“ダム”で政治をやってきた。亀井さんが総理を目指すなら“自然再生”をやってみては」と。

(つづく)

2006年4月 3日

“巨悪”とは何か — マッド・アマノさんに答えて

 1988年6月に「長良川河口堰建設に反対する会」を立ち上げ、7月にモンゴルのイトウ釣りから帰ってこられた開高健師に電話して「かつては日本の川でヤマメやイワナを釣られておられたのが今は国内の川で釣られないのは、俺一本のペンではこの国は救えないと、ニッポンの川から逃げられたのではありませんか。しかし“長良川が最後だ”とお教えしても、まだ逃げ続けられるおつもりですか」と、会長就任をせまりました。

 電話の向こうの沈黙は数十秒だったか数分だったか。コホンと一つセキをされて、師はこうのたまわりました。「(背)負うた子に教えらる、やな。わかりました。会長になります。しかし相手は金丸サンやで、わかっとるな」と。

 長良川河口堰のことはその日初めてお話ししたのに、師はそれが金丸信自民党幹事長が、田中角栄総理・金丸建設大臣当時に作られたダム計画であることをすでにご存知だったのです。

 長良川河口堰には過去より反対運動があったのですが、その年の2月に、三重県の依頼もあって長らく反対を続けていた桑名のシジミ漁師さんたちの赤須賀漁協が反対を取り下げて着工が決定したため、下火になりかけていました。

 私が当時仕事をしていた「週刊現代」に駆け込み、カラーグラビア8ページをもらって書いたキャッチフレーズは「最後の川が危ない!!」でした。河口堰反対運動と赤須賀漁協ががんばっていたために着工できなかった間に日本の他の川にはダムが造られ続け、長良川は釧路川と並んでたった二本だけの「大河で本流にダムを持たない川」として残っていたのです。

 過去の反対運動の中で論陣を張っていたのは、江田三郎氏と「社民連」を立ち上げた岐阜の村瀬惣一という人物でした。この人が私に教えたのが“パーキンソンの論理”。すなわち「官僚は仕事づくりのために仕事をつくる」というものでした。

 なるほど。かつては伊勢湾コンビナートに水が必要と説明されてつくられた河口ダム計画でしたが、もはや水需要はどこにもなく、“治水論”にすりかえられ、そのため建設省の河川官僚である梶原拓が河口堰に反対していた前々知事を小さな金銭疑惑で辞職させ、自分は次の知事の副知事を務め、すぐに知事になっていたのです。

 赤須賀漁協が陥落させられ河口堰計画が動き出したのは、竹下サンが総理になり、「ふるさと創生論」や「リゾート法」が闊歩して、全国にゴルフ場などが造られ始めた頃で、水需要がなくなったために計画を降りたいと三重県が負担を嫌って言い続けていたのに着工同意に変身したのは、“天の声”が「中部国際空港を三重県寄りに造ってほしければ河口堰に同意しろ」と迫ったからだと噂されていました。噂はまた、「名古屋市と愛知県には、同じ“天の声”が、長良川河口堰の水を一部引き受ければ中部国際空港を愛知県寄りに造ってやるといっている」ともいわれていました。“天の声”を世に伝えたのは、当時の水資源開発公団の総裁で後に横浜市長になった高秀サンのようでした。

 開高健が河口堰反対に動き出すと、自民党幹事長で忙しいはずの金丸サンが頻繁に名古屋を訪れ、経済人に「開高が動いてもあなた方はわかっているね。中部国際空港がほしいんだろ」といったというのです。彼が“天の声”だったのでしょう。

 私は国会へむかい、「社民連」の田英夫さんが超党派の会を作ってくださいました。当時は海部内閣であったので、三木睦子さんの胸に飛び込むと、三木武夫さんの弟子の鯨岡兵輔元環境庁長官と現役長官の北川石松環境庁長官が応援をしてくださいました。

 朝日新聞は、田中角栄総理・金丸建設大臣当時に、鹿島建設と大成建設が談合をし、長良川河口堰着工の暁には二社が建設を担当するとなっていたことを報道しました。かつて、田中総理・金丸建設大臣の懐に多額の政治献金が入ったのでしょう。1988年、河口堰着工時の施工業者はやはりこの二社ともう一社でしたから。

 金丸幹事長は、二度目の“お小遣い”がほしかったのではないでしょうか。環境庁長官として反対を貫いてくれた北川石松さんは、三度も金丸幹事長からの恫喝をうけ、まず息子さんが選挙で落とされ、そして自分も長官をやめさせられ、後には選挙で落とされました。

 さて。“巨悪”とは、この場合いったい誰(あるいはどこ)でしょうか。

 国会で自民党から共産党までの299名が 長良川河口堰反対署名にサインをし、それに対抗して建設省河川局が331名の自民党議員から推進署名を集め、北川石松環境庁長官と綿貫民輔建設大臣が対決していた1990年当時、私に張り付けられた河川局の担当官・竹村公太郎サンは、1995年7月5日に建設省前でのハンガーストライキの23日目に私が意識を失って倒れると、翌7月6日に河口堰のゲートを降ろしています。

 私にはこんな経験があるため、あの短い「“脱”ダム宣言」で見事に巨悪の仕組みを暴いてみせた田中康夫さんが信じられるのです。(もちろん、やんちゃな“ヤッシー”には欠点もあるのは承知の上です。)

 “ヤッシー”と“ホリエモン”を並べて書いたので「巨悪」が見えなくなっているといわれれば、そうかもしれません。

 しかし私はそのブログでは“豚児”(太っているという意味ではありません。私自身も太っていますから)をもてはやしたマスコミ、具体的にはあるジャーナリストに反省を求めています。

 なぜなら、公共事業でこの国を弄ぶ“巨悪”退治には、官僚の皆さんのうち良質な人々を増やせる唯一(と私は思う)の手段である「政権交替」がこの国には必要で、そのためには先の選挙時のような“ホリエモン”の持ち上げやそれに乗じた“小泉”のベタほめのような「まちがい」が二度とあってもらっては困るからです。

 この国では、予算のつく法律づくりには40名、つかない法律づくりでも20名の国会議員の賛同が必要です。ということは、どんなに“幼稚”であろうが民主党の助力なしには、巨悪退治はできないということ。共産党と社民党と民主党が大同団結しなければ「この国のあり方」は変えられないということではないでしょうか。それヘの手助けをしろとはいいませんが、少なくとも“ジャーナリズム”を名乗るならば・・・と、私は思うのです。

 マッド・アマノさんに「ホリエモンを小さな悪に仕立てるな」と叱られちゃいましたけれど、本当に言いたかったことはこんなことでした。ブログは短くしか書けないので舌足らずでごめんなさい。でも、尊敬できる人物の一人であるマッド氏にブログを読んでいただいていることがわかって嬉しかったです。

 長くなったついでにもう二つ書きます。昨年10月に上梓した『だめダムが水害をつくる!?』には、山形県の河川担当者がダムに治水を任せたい事情を書き込みました。これが、“ヤッシー”の指摘どおりのことが全国の自治体で行われている証拠です。マッドさんにはこの本をお送りしたいので、ご住所を私にお知らせください。

 最後に、1988年に長良川河口堰で「日本の公共事業を問う」反対運動に立ち上がってくれた開高師が翌年12月に死去する数ヶ月前に私に残した言葉をお伝えします。

 「俺かて、小田実と一緒に最後まで歩きたかったんや。そやけどできひんかった。けどな、『まだ時間がある』と思てたんや。君が日本の山河から逃げた俺のことを批判せず、長良川に誘てくれたんは嬉しかった。敵は“巨悪”や、つらい場面が、 必ずある。その時、空から俺が君を見ていることを忘れるな。そして、“悠々として急げ!!”」。このあと病室の窓際まで歩いてゆかれると「井伏鱒二や、わかってくれ」と背中を向けられたのがお別れ。1989年夏の暑い日。「井伏鱒二」とは、「サヨナラダケガ、ジンセイダ」という、私と開高さんにだけわかるメッセージでした。

 マッド・アマノさん。私はこんな過去をバックにこの公共事業のブログを書いています。どうかこれからも適切なアドバイスをいただけると幸いです。(なお、長良川河口堰やダムについては私の「ダムと日本」(岩波新書)に詳しく書き込んであります。)

Profile

天野礼子(あまの・れいこ)

-----<経歴>-----

アウトドアライター。
1953年、京都市生れ。
中、高、大学を同志社で過ごす。
19才より釣りを始め、文化人類学者の今西錦司博士の主宰された「ノータリンクラブ」に属して、国内外の川、湖、海辺を釣り歩く。
26才より小説家、開高健に師事。
1988年には師と共に長良川河口の堰建設反対に立ち上がり、「ダムは不用」の国民世論に育て上げる。
近年は「川を再生するには森を生きかえらせることが必要」と“森仕事”へ視野を広げて、日本の森から材が出る社会システムを作り直すことを各地で提案している。
京都大学が2003年に構築した「森里海連環学」の普及もお手伝いするため、高知新聞社と山陰中央新報社でカルチャー教室「自然に学ぶ“森里海連環学”」を続けている。
2001年より、高知県・仁淀川の源流にも家を借り、有機農業普及のための「高知439国道有機協議会」を07年に立ち上げて、事務局長を務めている。08年7月に養老孟司氏らと「日本に健全な森をつくり直す委員会」を設立した。

BookMarks

オフィシャル・ウェブサイト
http://www.uranus.dti.ne
.jp/~amago/


長良川河口堰建設をやめさせる市民会議
http://nagara.ktroad.ne.jp/

公共事業チェックを求めるNGOの会
http://kjc.ktroad.ne.jp/

日米ダム撤去委員会
http://damremoval.com/

市民版憲法調査会
http://www.kenpou.com/

-----<著書>-----


『“林業再生”最後の挑戦』
2006年11月、農山漁村文化協会


『だめダムが水害をつくる!?』
2005年10月、講談社+α新書


『「緑の時代」をつくる』
2005年5月、旬報社


『ダム撤去への道』
2004年5月、東京書籍


『日本の名河川を歩く』
2003年7月、講談社+α新書


『市民事業』
2003年4月、中公新書ラクレ


『ダムと日本』
2001年2月、岩波新書


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