昨日(4月20日月曜日)の産経新聞の東京欄の「近頃都に流行るもの」コーナーで、女性の神社参拝が流行っているという記事が掲載されました。その中で、私もコメントしています。
(↓新聞記事をスキャンした写真)

記事の内容はこちら。(ヤフーニュースから)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090419-00000560-san-soci
最後の方の「神社は前向きに生きる力を後押ししてくれるだけ」「大前提は自分と向き合いどうなりたいか自覚すること」「究極は自分自身が神なんです」というところあたりが、私の主張部分なのかも。
ちょっと前になりますが、2月25日のライブドアニュースの独女通信コーナーでも、今独女に流行っているパワースポットめぐりについて、記事になりました。
http://news.livedoor.com/article/detail/4016531/
女性の口コミから徐々に広がってきたパワースポット。一般に広がる日も近い??
4月1日の朝日新聞の一面に、念じて動かすロボットの開発記事が掲載されていた。脳波と脳血流のデータ解析をすることで、人の意思を把握するロボットらしい。人が念じるだけで、「右手を挙げる」「足を動かす」など4種類の動作を再現できる人間型ロボット「アシモ」というそうだ。開発したのはホンダ子会社のホンダ・リサーチ・インスティチュート・ジャパン、国際電気通信基礎技術研究所、島津製作所、の共同チーム。
なんだか魔法チック。リモコンは指で押すとスイッチが入るが、これだけでも魔法のようだと思っていた。次に声に反応してオンする機能。そして、今度は念?!魔法のようなことが次々と技術で実現していく様をみていると、スピリチュアルやオカルトなことが解明可能でないわけがないと自然に思えてくる。
ただ、魔法と技術が明らかに異なるのはその自明性だと思う。古来、魔法は権力と共にあり、構造を秘密にされ、人をコントロールすることに使われてきたのに対し、技術は一般大衆に広く開示された自明のものであるのでオカルトになりえず、生活に役立っている。そういう意味では、古代よりはるかに不明なことが減り、オカルトは「まつりごと」といわれた政治の世界から、今やエンターテイメントの世界でしか需要がないほど衰退したといっていいだろう。
かつて政治で重宝されたオカルト、魔法、またはスピリチュアル、超能力というようなものに巫女という存在がある。巫女は日本では、いまだに伝統的な存在として皇居で神事を執り行うほか、伝統的な神社でも、祭祀を行う存在として健在するので、神道だけはエンターテイメントでない領域がある。見えない不明な領域はどんどん減ってもまだまだあるわけで、その最後の砦のようにもみえる。
最近、韓国の時代劇ドラマでは高句麗の建国にまつわる話が流行っている。「朱蒙」「風の国」は高句麗建国ドラマ。韓国では視聴率が50%を超える人気番組だったらしい。「太王四神記」は高句麗の広開大王のファンタジー。これらのドラマの中では高句麗が巫女を重用している場面が多々ある。実際にも扶余国や高句麗では巫女の存在は大事にされていて、天からのメッセージを告げるものとして、国王陛下に次ぐものとして考えられていたようだ。
高句麗建国は紀元前37年だが、2000年前の技術は時間間隔が今とはまるで違っていただろう。古代技術が実は想像以上に発達していたとしても、電話やテレビにかわる距離を短縮するような伝達手段は、超能力を基本とするしかなかったわけで、マスコミの力を一手に背負っていたのが巫女だったのかもしれない。メディアという言葉の語源が媒体であるシャーマンをさすのは言いえて妙で、体制に助言する巫女の役割はメディアにとって代わられたというわけになる。
日本の巫女が健在するのは、まだメディアが成しえないことが残っているからなのか。
それはもしかすると精神性の類のことなのかもしれない。技術が進歩し、テレビや電話で情報伝達も簡単で生活が便利になった。しかし、その分想像力が欠けてきているのが、今の現代人のように思う。
スピリチュアルブームが21世紀になってもあるのは、そんな原始性を忘れてはいけないとバランスを取り戻そうとする、私たちの潜在意識が働いているのかもしれない。
都会を離れて山や島に行くと、人工的なことが何もない空間には、無限の可能性が秘めているように感じることがある。人は巫女の力を手にいれたようで、実は代わりに根本的な力を失っているのかもしれない。宇宙に祈る心、自然に感謝する心、人を思いやる心、そんな祈りの原初に立ち戻ることが、メディアの精神の本質なのだろう。
今回の念波の実用化の成功の先には、ガンダムのような世界が待っているのかもしれない。しかし、人の念波や脳波で動くのなら、将来もっと繊細な脳波が必要とされたときに、元になる脳の想像力が枯渇しないように、やはり十分スピリチュアルな感性ぐらいはもっておきたいとは思った。