漢字の読み~常用漢字の読み追加案承認から
10月22日(水)朝日新聞朝刊一面に、常用漢字表に追加する予定の字種191字の音訓を追加する案が承認された記事が掲載されていた。使い分けできるようになった漢字は、日常ではよく使っている言葉なので目新しくはないが、神を「畏れる」、花の「匂い」、「妖しい」「要(かなめ)」などは日本の独特の文化を反映している読み方なので、追加されたことには意義があると思う。
常用漢字に追加されると漢字は忘れられにくくなり、延命することになる。漢字を存続させるということがどんなに意味があることなのかは、今年の2月に放映されていた「NHK知るを楽しむ」でも特集されていた、故白川静漢字博士(立命館大学名誉教授)の思いを知ると、なおわかりやすい。氏は漢字学の日本の第一人者だが、日本の漢字文化に最も精通していた方だからこそ、戦後の漢字制限には一貫して反対し、漢字文化の復権と東洋の回復を訴え続けてきた。漢字制限は明治の漢字廃止論からはじまった考え方で、戦後、数ある文字の中でも当用漢字1850字を日本人が使う漢字と定められ、現在の常用漢字1945字の制限につながっている。白川氏は、漢字の成り立ちにおいて宗教的、呪術的なものが背景にあったとしていたが、それこそ「畏れ」をもって漢字に接していたのだろう。氏の著書『漢字』は「文字は神とともにあり、文字は神であった」で始まる。一つの文字の誕生を大切にするからこそ、制限することで、貴重な漢字が忘れさられることを危惧していたのだと思う。96歳で一昨年に亡くなったが、その2年前まで漢字のすばらしさについて「文字講和」という年4回の講演をしていたというので、その熱意には驚かされる。
私は神道の神名が漢字で書かれるという視点から漢字に興味をもってきたが、日本人が生み出した文化でもある、ひらがなやカタカナに対しても強く惹かれてきた。特に伝承文化や古神道から学んだことには、真偽はともかく、説得力があるように思うことが多く、日本人的な生き方を考察する上で役立てている。私流の古神道は人の生き方の指針を何事も神と人(男と女)にわけて考えるが、この場合も神=漢字、ひらがな=女、片仮名=男、とすると、私にはわかりやすい。
ひらがなは万葉仮名を崩すことから生まれるわけだが、当て字の音(おん)を当て女性が主に使うことから女手ともいわれてきた。その形は丸みを帯び、女性らしい。また音(おん)をあてることから音(おと)にも通じ、擬音語にはぴったりで、空間軸をもつ空気感があるので風にも通じる。私は古神道の師から、この風とは女性が作り出すもので、家風に通じるのだと教えられた。「おん」こそ体の内で感じる感性の音で、だからこそひらがなで書くのだろう。
それに対して、片仮名は男文字ということになる。カタカナはひらがなに比べて角ばっている。これは刀で刻める文字だ。男性がイマシメを刻む意味で、家訓は本来カタカナで書く。訓示は家や社会という外にむけて発せられた言葉で、他人に示すためにつくられたのだろう。また、この訓読みは日本人が中国の漢字と異なる音の独自性をもたせた言葉で、日本人が使っていた言葉に漢字を当てて全く別の読み方をする大和言葉でもある。万葉集の頃に既に訓読みをはじめているので、古くから当て字が考案されていたことがわかる。江戸時代には古事記伝の冒頭で、天地(てんち)をアメツチと本居宣長がルビをふっているが、日本という「国」を意識した男的な作業ともいえ感慨深い。日本が日本として成り立ってきた過程の戒め、誇り、独立性を感じる。
漢字をみていると、神からの神託が形になり、その字から、独自の文化を築きだした日本がみえてくる。「アメ」の意をなす言葉に漢字の「天」を当てると決めた人は過去の時代の政府や個人なのかもしれないが、「アメ」がイメージとして残ったことが素晴らしいと思う。今回、読みとはいえ、常用漢字の範囲が広がったことは、文化の消滅を少し留めたようで、精神の豊かさにも関係してくる大事なことのように思った。


