本物性と大衆性の両立
先日まで放映されていた木村拓也主演の政治ドラマ「CHANGE」をご覧になった方は、「ざこもんず」では少ないかもしれませんが視聴率は20%を超える人気ドラマでした。木村拓也の演技力に不満を感じる人も多かったようですが、エンターテイメントとしては成功でしょう。現役の政治家に対して行われたインタビューによる感想では、「リアル感がないので全然おもしろくない」、というのが大体の評価だったように思います。たぶん、政治評論家の方々は、くだらなく感じたり、つまらなかったかもしれません。
しかし、若くて政治に関心のない人は、木村拓也だから政治ドラマでも見たし、総理大臣に関心をもったかもしれません。私から見ると、単純に子供でもわかるような、やらなければいけないようなことを、素直に実践する主人公は、現実感はないにしろ、大衆の理想の総理かもしれないと思って見ていました。主人公は政治の素人なのですが、単純明快に政治をこなしていく。こういう素人ぶりがよいとされることは、どこの業界に対してもあるようです。ほとんどの業界が、専門家集団の癒着により、よいと思うことを素直に実行できないような社会のシステムになっています。スピリチュアル業界さえ、宗教界と元々の霊能商売からの脱却のような課題があるのですから、他の職業はほとんどそうなのではないかと思います。専門家のプライドというか、理解が深いからこそ、垣根をつくることになっている、という現状は、すごく狭い社会を作り出しているともいえないでしょうか。
と、いうのも、最近の社会をみていると、教育のレベルが極端に落ちてきたんじゃないかと思うようなことばかりです。心の教育という点では、もう20年ほどはいわれてきているのでしょうが、それでも改善というよりは、悪くなっていると思わざるようなことが連日の事件からも伺えます。
教育のレベルが落ちると、やはりインテリは減るのだと思います。もちろん、いつも数は変わらないのかもしれませんが、底が下がるというか、大衆の興味をひく物事が変わってきている感じです。だから、大衆に影響するものは、専門家がつくりだす理想とはかけ離れ、高尚なものは理解しがたいものになって、どんどん溝をつくりだしているのでしょう。
専門家にはプライドがあるとは思いますが、少し「おばか」がもてはやされる大衆に視点を落として、わかりやすく表現することはできないものでしょうか。「CHANGE」を批判するのだったら、監修でもかってでて、もっとおもしろく政治を受け入れる体制づくりに関わってほしいと思ったのですが。
「アーティスト症候群」(大野佐紀子 著/明治書院)という本を読みました。著者は5年前まで美術作家だった東京芸大彫刻家出身のアーティストのいわゆる専門家です。最近は、こういった専門家のアートよりも、商売で成功した人の方が、アーティストとして有名です。そのことに皮肉をこめて、著者は辛口で有名アーティストを切っています。特に芸能人アーティストはジミー大西以外は酷評してるような感じです。
その中で、今では芸能人アーティストとして有名になった米米クラブの石井竜也さんですが、彼のことを「興行師」とまで言っています。彼は、2005年の愛知万博でイベントプロデュースをてがけました。「精霊たちの森林舞踏会」という「安っぽいファンシー趣味の上演プログラムの印象」とまで書いてます。ちょっとスピリチュアルな彼のコンセプトは「今ある問題を解決できるのは、地球愛(=地球規模の愛)であり、大きな‘地球愛‘は小さなものを愛し、慈しむ心から始まる」とのコメントだったようです。私は本質だと思いましたが、著者は「アーティストがそんな、素朴な中学生が徹夜で考えたみたいなことを言っていいのか」と述べ、加えて「(略)ホストが猫を突然かわいがるようで、安いヒューマニズムを感じる」というようなことでした。
たしかに、コンセプトに対して、伝わるものが違うのならば説得力はないといっているのだと思います。もっと、リアルに心にうったえるような具体的な表現があって、はじめて地球愛を感じるのでしょうから、イベントだけが空回りして、頭で理解しても本当にはよくわからないアートなら、コンセプトだけで十分なのかもしれません。
しかし、私はこれらには意味があると思っています。大阪万博での岡本太郎さんの「太陽の塔」ほどすばらしいものが、そう簡単に誰でも創れるものでもありません。高尚なアーティストが一般人にわからないアートをつくったところで、子供連れが大半の万博で人気はでるでしょうか。それに、子供の目線でもし、本格的なアーティストが石井竜也の路線でプロデュースしてしまったら、肩書きに傷がつくかもしれません。よほどの評価をすでにもっていない限り、大衆レベルに落とすのは、プライド的にも難しいでしょう。芸能人アーティストだから許される領域というのが、ちょうど大衆に伝わるレベルなのかもしれないのです。そのことを考えると、その地位を芸能人アーティストに受け渡してしまったのは、過去の専門家アーティストたちであったり、その中での評価社会であったりするので、仕方がないのではないかと思うのです。大衆性のもつ嘘っぽさを超えて、大衆の魂をつかむ芸術を提示することができるのなら、問題ないのでしょうが。
たとえばスピリチュアルがテーマとしていることは、大体が正論で、理想論のようなことが多いと思います。現実的ではないから、距離をおくのが一般的です。子供でも考えそうなことばかりかもしれません。大人になってまでこだわっていると、差別されてしまったりします。現実から離れていると。しかし、現実は変わると思います。スピリチュアリストの私としては、理想を具体化する表現者を応援したいので、真の実力者が大衆レベルを理解できる表現をしてくれたら、どんなに喝采を送るか、と思ってしまうわけです。
子供の時は社会や人の将来への理想はよく理解できていると思います。それを実行しようと成長するときに、社会の壁で紆余曲折してしまうということはあるので、もしかすると子供の方が実行は早いのかもしれません。それは素人の方が、怖れないで実現できるということにも通じます。しかし、やはり限界がありそうです。
ジャーナリストの方をはじめインテリの知識人は、難しい言葉や表現で、インテリ向けに書かれることが多いです。しかし、社会に影響を与える上部の層でさえ、インテリかどうかというのは結構疑わしい世の中です。また、政治では選挙をする以上、大衆の支持は関係しますし、大衆の教育レベルを上げるためにも、是非、岡本太郎さんのように(?)何段階か降りていただくことをしていただいて、子供の理想をかなえる方法論としての具体策を、わかりやすく提案していただきたいと思います。巷では、芸能人やタレントが兼ねているような実態です。アート界の状況はどこの業界でも似ているのではないでしょうか。本物が降りてきたほうが、意味のあることができるような気がします。「おばか」を馬鹿にできません。




