スピリチュアリズム批判
最近、興味深い本を読みました。「スピリチュアリズム」苫米地英人著(にんげん出版)という本で、あの、オウム信者の洗脳を解いて有名になった人の、スピリチュアリズムの流行に警告する本です。本来なら、逆側の立場である私のはずなのですが、この本はとても共感するところが多い内容でした。
著者の苫米地氏はスピリチュアルの定義を彼なりにしっかりしているので、私の使っているスピリチュアルとは異ります。彼のスピリチュアルはバラモン教、そしてチベット密教、ヒンズー教に受け継がれている思想を根底にしているもので、私の古神道のスピリチュアルとは全くの別物なのでわかりやすいのかもしれません。しかし、霊能者や宗教家に対する感覚は共通するものを多く感じました。私は霊能者と呼ばれる人の97%に実は疑問を感じていました。もちろん、人それぞれ、様々な能力はあるでしょうから、それは感性の発達の仕方でいろいろかもしれません。しかし、病気をすると医者にたよっても、人間性まで信じるわけではないのと同じように、霊能者も信じる対象ではないと思うのですが、現実はその信じる行為を使って商売にしたり、宗教にしたりしています。霊能者本人も疑うことなく、その構造を受け入れている場合がほとんどです。
現実に様々なパターンをみてはきたのですが、事件になった例で私が一番インパクトを受けたのは、何年か前にニュースで話題になったハーレム男の渋谷被告の事件でした。苫米地氏の本の中でも、何回も引用されるのですが、一種の催眠術を使った洗脳の話です。暗い部屋で恐怖心を起こさせ、意識を変性状態に誘導して、刷り込みをする。この方法をハーレム男はもてるために使用したのですが、信者仕事には毎回繰り広げられる方法だといっていいでしょう。
もちろん、教祖や霊能者はこのやり方をイギリスまでいって学んだわけではないのですが、呪術や修行系の宗教には、同じような術が話術の中にさえ盛り込まれているのです。それはほとんど一つの能力のように呪術としてあり、洗脳術とまでは意識していないことかもしれません。体感することを主として、分析をしないタイプの霊能者などは、日常生活もその延長で、批判すると恐怖をあおるぐらい怒ったりします。しかし、結局怒られた人間は恐怖を与えられるわけですから、そこにも一種の変性意識への隙間ができて、なぜか離れられなくなる構造もできあがるわけです。DVの夫と離れられない妻とよく似ている構造です。私は多分、この手の催眠術に一瞬かかりやすい隙だらけの性格だったので、体験することから、客観的にわかってきたんだと思います。
もちろん、霊能者として仕事を始めた当初は私がそのようなつもりはないのに、私を信じる人がでてきた時点で、この霊能のあり方自体を見つめなおしました。むやみに信じる人はお断りの姿勢で、徹底して突き放すことを本能的におこないました。しかし、ハーレム男の例はモテという低レベルな欲求にでも起こりうる、それもあえて術を使って催眠をかけるという、極めて低俗な使用にも関わらず、女性達に効力を及ぼしている現状は、かなりショッキングだったのです。高尚な目的だったらよいというわけではない、ぞっとするような怖い実態だとまで感じました。
苫米地氏はそんな危険性を秘めたスピリチュアリズムに警告を発しているのだとは思います。私は現実に術を一切使わないということを実践中ですが、催眠等にかからない、依存心のおきない心を目指すという考え方、心の自立という意味で「光華明彩」をコンセプトにしています。神道からヒントを得た考え方なのですが、この考え方は、苫米地氏のいうスピリチュアルとは、真逆のようです。神道は輪廻転生ではなく、中今の精神ですから、現実こそをとても大事にしています。
しかし、この脳についての研究者の警告は、非常に大切なところをついているし、私が稚拙な言葉で伝えられなかった、洗脳の現実をわかりやすく説明してくれているので、すっきりしました。
この小さな催眠現象が、新興宗教集団をつくり、ヤクザの組織をつくり、独裁者を生む構造をつくりだしているといっても過言ではありません。もちろんブータン王国のような良い例もあれば、北朝鮮の例にもなりうるわけで、諸刃の剣なのかもしれませんが、基本的には21世紀に洗脳は必要ないのではないでしょうか。
私も、スピリチュアリストの肩書きを、改めて考えなおしたよい機会でした。
PS.だから、というわけではないですが、新しい肩書きを考えました。
そのままストレートに「古神道研究家」。今ひとつ重い。
この路線で、もう少しおしゃれな肩書きを思いつかれた方はご一報ください。





