今日はちょっと暑いほどの春の陽気で、近所の桜も満開です。

3月から重おもしかった空気も少し晴れやかにかわってきました。
能登地震はある意味メッセージを秘め、時代の変換が本格的にスタートしたとも読み取れます。
現実に起こったことから、未来への予測や潮流を推測するのに、どのようなメッセージを読み取るか、というようなことがスピリチュアルな視点では度々使われます。
科学では一笑に付すしかないようなこと(地名、時間、数字)の連続性が、この場合は重要なキーワードになります。
たとえば有名な9・11事件ならば、まず9と11の数の意味についての考察が始まるわけです。それについては様々な人が11の意味についてすでに述べていますが、一見テロと関係なさそうな日や時間に意味をもたそうとするところは誕生日に意味があると考えることとよく似ています。
今回の能登地震は、能登が能門ともあてられたり、加賀の北の国であるということからもいろいろ考察はできるのですが、最大の関心事は白山付近での地震ということでした。
もう何十年も前から、白山を拠点と成す体系(霊界とか神界ともいうときがありますが)が、活発になってくるだろうということは、神道や霊能の人たちのメッセージが続いていました。(予言の書等含め)その前の富士からはじまり、白山に回帰するというようなことでしょうか。
これは、わかりやすくいうと、今までの表面的なこと、顕在意識が中心だった時代から、より感性が重視される内面的なことがあからさまになり無視できなくなる時代の始まり、といっても過言ではないと思います。潜在意識が表面化し、迅速に目的に向かって現実化する、というような現象が始まります。もちろん、もうすでにはじまっているのですが、それが一層自明のこととして広く起こるようになるでしょう。
白山は潜在意識をはじめ、意識上に発生する妄想や念等の内面を象徴します。そのあり方が壊れて外にあふれ出し変革をはじめた、というようなことが、白山近郊で、それも加賀の北の門でおこったので、はじまりと読み取ったのです。
神戸の大震災は今からちょうど12年前に起こりましたが、そのときは「神の戸が開いた」といわれました。(文字通りですね)能登は能門神社が門とあてているところから、「能の門」、能とは才能や能力の能でそれこそ潜在の力のような言葉です。白山の「白い」がそれが尊くて純粋で最も大事なものであるという意味で魂とか元の純粋な潜在意識をさすとすれば、まずその前段階の異次元が開いたということでしょうか。
霊界、幽界、魔界という言葉がありますが、人の念がつくりだした妖怪のようなものから崇高なものまで、想像の世界と密接に結びついているもののようですが、それらに変化があるということは、ある意味、潜在意識の台風のようです。
重いもの、暗いものを振り落として白山の「白」を目指す自分自身で日々生きることが必要だと、強く感じる出来事でした。
3月の「PEOPLE~高野孟のラジオ万華鏡」の収録が終わりました。
この番組がはじまって半年、6回の収録を終えたことになります。あいかわらず慣れない私とおつきあいくださる高野さんのご心労を思うと本当に僭越至極、スタッフの方たちにも感謝感謝の収録です。

さて、今月のゲストはこもんずでもおなじみも宮崎学さんでした。
先日の暴力団抗争の時にはいち早くこもんず上に情報を提供されて話題になりました。
さて、そんなアウトローな宮崎さんなのですが、収録のゲストときいて、実は恐る恐るだった私、、。
しかし、そんな緊張感もお話してるうちに、興味のほうが優先してどこかに吹っ飛んでしまいました。(汗)
アウトローが作家を生業にしていると豪語しているだけあって、真のとおったアウトローぶりで、感心ばかり。
しかし、そのなかで新発見があったのです!たぶんギャグだとは思うのですが、、占い師はテキヤ系のアウトローだということ。
宮崎さんは博徒系?らしいのですが、占い師ってアウトローだったんですか~!!\(◎o◎)/!
たしかにもちろん霊能者だって役者だって、ホステスさんたちだってテキヤ系アウトローだとは思うのですが、アウトローってそういう意味で使われてたんですかぁ、、、、。
てっきりアウトローとはヤクザか愚連隊の愛称かと思っていました。
しかし、そう考えてみると、陰陽道とか神仙道とか、(神主さんは別として)、修験道、を含め、宗教系のおじさんってほとんど偽ヤクザみたいだったからアウトローかも。と考えると、なんだか納得。
ただ、楽したいからアウトローになる、と宮崎さんはおっしゃっていたのですが、多分、それしか道がないから、という人もいたはず。全国に100万人はいるらしいのですが、宗教系いれるともっと増えますよ、、なんて、怒られそうですね。
私自身はアウトロー脱却のため、肩書きのスピリチュアリストを象徴研究家一本でいこうかとも思ってしまいました。が、ちょっとギャグ?らしいと気付いた頃には、取り乱して、質問の嵐を宮崎さんにぶつけてしまいましたよ。どうも失礼しました。。。。
収録では、拉致問題についてのご意見は新鮮でもっと聞きたいな、と思わせる内容でした。また、安部総理についての視点も伺ってきました。是非楽しみにしていただきたいと思います。
来週の日曜日25日(日)の朝5時からJFN「PEOPLE高野孟のラジオ万華鏡」お楽しみに!!
はじめて2週間のブランクをつくってしまいました。(反省)
季節は春一色で、近所の木蓮など散り始めている状況です。この勢いで仕事もささっと行きたいところですが、なんだか雛祭りを境に東京のエネルギーが微妙に変化してきたのを感じて、春の軽やかさとは少し違った雰囲気さえあります。
スピリチュアリストということで、あえて言わせていただければ、全体的にこれからちょっと重いことがありそうな感じです。
年始めにも書きましたが、錘に負けないで飛躍するエネルギーをもたないと一緒に沈むことになってしまいます。
今は、集中して目標に取り組むべき時のようです。
宗教的なことも動きがありそう。たとえば元オウムの上祐さんがミクシイをはじめて発言しだしたようです。
江原さんさえたたかれだして。
前に、このこもんずで宗教の教祖について、私の意見を書いているのですが、(人は神と直接信仰するべきだと思う、というような意見)そのことが原因なのか、宗教団体系のクレームがきたり、意見をいうのは自由だとは思うのですが、なかなか大変です。
私は古神道や自然崇拝的な立場から発言しているので、他の宗教団体の営利の邪魔をするつもりはありませんが、そう聞こえていたら申し訳ないです。神に直接祈ることを体感できない方が、宗教団体で指導を仰ぐのは当然とも思いますので、純粋に導くということで宗教をされている方を指摘したものではありません。これは微妙な問題ですが、人が自立した思考をもたなければ、「光華明彩」の字のごとく光を放つ魂にはならないという思想が前提にあって、宗教やヤクザ組織、他組織にありがちな人の心が操作されやすい場についての注意点を提示していました。
しかし、、、、
「信じる」ということは人遍に言うと書きますが、奥が深い難しい問題ですね。
情に流されがちな私は、いつも霊感どおりに行動できなくて反省ばかりですが、「信」と「情」はつながりが深くてなかなか切れません
「情」は心偏に青いと書きます。心が若く、甘い、ともいえますが、月の主のように寛容だともいえ、よいとも悪いともいえないようです。情によって行動したときは、自分が未熟だったと自他とも責めることなく、損をしても失敗しても責任をかぶる覚悟で寛容さを供する、ということを根底に見据える必要がありそうです。
しかし、悪が情によって信じることを利用する傾向があるので、自己責任で判断する際、そこだけは妥協してはいけない部分なので、青少年をはじめガイドとして一考していただきたいとは思います。