スピリチュアルに宗教はない
先のコラムの続きが分断されながら、やっと最後になりました。
スピリチュアル的な力は天や大地との関わりからくる人間の本能を目覚めさせ、自分自身の魂及び命という存在と真に向き合い、他の生命とも向き合える力です。
鏡を見るといつも自分がいる、神とは自分自身であることの原理を示しているのが本来の神道の型の示すものだと思います。また、神道は人に「天と地と人」という自然の中で神をみつけることを誘導する、とても高度な伝統文化だとも思います。神主は教義をといたりはしません。この型を示していくために文化を継続、保存することが第一義です。宗教ではなく神の道を示す文化です。
宗教は個人の自由であって、国が関与するものではないとか、宗教は人の心の平和を作り出すので、平和的な概念だという印象がありますが、この宗教こそ、だからこそ戦争のもとになる難しい概念だと私は思います。
私のつたない体験からで恐縮ですが、私は性格上、興味のあることに首を突っ込んでいって危険にさらされるということはよくあったりします。(_ _;)(治す予定)
以前、宗教観の違いがありすぎて、いろいろな事件が起き、私は悲しくて怖くてどうしようもないというような現実にさらされたことが外国でありました。日本ならそれでも神社が守ってくれるという安心感があるのですが、外国だと無力に感じてしまうことがあります。
そのとき、瞑想をしていて耳を澄ますと、トリがさえずり、風の音が聞こえてきました。窓に目をやると青々とした木々たちがみえます。その瞬間、私は一瞬にして恐怖から立ち直ることができたのです。何故なら、地球上に木々がある限り、日本でなくても、大地と共にある神たち、つまり木に宿る神は世界中にいる、と実感し、感動できたからです。(神というか光というべきでしょうか)宗教団体の霊はほとんどが人霊なので強烈な力で攻撃してきます。しかし、古神道は天と地の自然と共生しようとする人の道のはずです。木や花や鳥がそんな強い力を前に何ができましょう。お門違いだし、敵じゃないのに、と笑みさえでてきました。しかし、そんな光に満ち溢れた自然の姿を感じただけで、これからは、どこに行っても木や草花や鳥という自然さえあれば怖くないと実感できた出来事でした。そのぐらい植物等には人の心を恐怖からをも救うパワーが秘められています。そして私をスピリチュアルにしている最大要因のようです。(古神道の思想は砂漠ではなかなか難しいでしょうね)
今日のウィリアムリードさんのコラムにも合気道で撫で下ろすという流れのことが書かれていますが、まさに、対抗ではなく、引いて災いをよけるのです。合気道が古神道の思想でつくられた武術であることがここでもよくわかります。
自衛隊に関することにもヒントはあります。日本は大戦後、二度と戦争は起こしたくないという思いもあって、軍隊は持たないことになりました。しかし、今、アメリカに頼りすぎる自国の現状から、軍隊は必要なのではないかという意見もあるでしょう。相手に対抗しようと思えば、軍隊は必要だし、アメリカも必要だと思います。しかし、もともと弱いものでも、木のように光を発し、光合成をするように生産性があれば、今、木が地球上から消えてないように、生き残れるのではないでしょうか。国同士の勝つ負けるの意識で同じテーブルにいる以上は遠い幻想のように思えるでしょうが。平和の真の意識とはそんな自然のあり方に学ぶ要素があるように思えます。
宗教団体について、
キリスト教の各宗教団体やイスラム教団等の大きな宗教団体を含め、宗教団体の霊とはとてつもなくスゴイ力をもっています。その状況から察すると宗教が戦争の理由というのは明らかに思えます。宗教観の溝を埋めていく作業は、人のこれからしなければいけない課題だと思います。神と人の間にブローカーのようにあるのが宗教及び宗教団体(生活の知恵としての宗教観を除く)のように思いますので、本来の、神への信仰という形が素直にダイレクトであることが望ましいのではないでしょうか。
占いからスピリチュアルまでの説明がやっとここで終わりました。
長々と読んでくれた方々、ありがとうございました。


