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頓挫した「平成の無血革命」と展開中のナゴヤの「庶民革命」 ─公約実現に不可欠なものは何か »

「一票の格差」違憲判決 問われる国会議員の役割

 昨年末に自らの不見識を痛感させられることがあった。まるで「あんたは日本国憲法を読んだことがあるか?」と、詰問されたような思いがした。また、現実をただ直視するだけではいけないと、反省もした。歴史的な政権交代をもたらした夏の衆院選での「一票の格差」を問うた、定数訴訟の判決のことだ。  

 大阪高裁は「一票の格差が二倍に達する場合は原則として違憲」との判断を示し、「格差を放置することは立法府として憲法上許されない」と、厳しく指摘した。司法としての毅然たる態度が貫かれていた判決文だった。

 画期的な判決の中でも、浅学非才な当方が驚かされたのが、いわゆる「一人別枠方式」と呼ばれる定数配分についての評価だ。小選挙区300の定数のうち、各都道府県にまず1議席ずつ割り振るものだ。大阪高裁判決はこれを「国会議員を地域代表と理解する(考え方による)もので、全国民の代表とする憲法の趣旨に反する」と、明確に否定したのである。つまり、国会議員は地域住民を代表するものではなく、全国民を代表する存在であると、明言したのである。

 考えてみれば、確かにその通りなのだ。きわめて当たり前のことを指摘したにすぎない。国会議員は国政を担う存在で、国民や国全体のあり方や未来に責任を負うものだ。国全体を視野に入れ、国民全体の幸福追求に寄与するのが、本来の使命である。しかし、そうなっていない現実の姿が余りにも強烈で、こうした原理原則をすっかり見失っていたのである。判決は大事なものを思い出させてくれた。

 いろんな地域の地方議会を取材し続けてきた当方、例えば、各市町村議は自分の地区の問題を各市町村議会で取り上げ(実際は議場外で隠密裏に)、解決に専念するのが主たる役割と認識しているようにしか、思えない。市町村全体への目配せや政策提言は、別な議員の役割となっている。それは都道府県議である。各都道府県議は自分の地元市町村の発展に寄与することを使命とし、各都道府県議会で活動する。当然のことながら、都道府県全体のことは二の次、三の次となる。各都道府県の利益を代弁し代表するのが、各都道府県から選出される国会議員の先生たちのお仕事だ。活躍の場は国会や霞が関、永田町で、彼らの最大関心事は地元や支援団体への利益誘導。国政全般への見識、理念、熱意は残念ながら、今ひとつという人が多い。

 では、日本国民や日本国全体のことは誰が考えているのだろうか?ほんのごく一握りの国会議員や官僚、学者たちが考えているのだろうが、一番はアメリカ政府ではないか。

 しかし、アメリカ政府が日本のことを考えているといっても、それは日本国民や日本のためにではなく、アメリカ政府自らの利益追求のためであろう。日本国民全体や日本の将来のことを親身になって考えてくれる神様仏様のような人は、よその国にそうはいないし、そんなものを当てにすること自体、恥ずかしいことだ。

 結局、有権者が全国民を代表するに相応しい人を国会議員に選ばない限り、日本国民は幸福になれないのではないか。昨年の政権交代は、これまでの面々を国会議員のままにしておいたら、自分たちの生活がますますひどくなってしまうと危機感を抱き、とりあえず別な人に投票しようとなったからではないか。つまり、新しく選ばれた人たちが全国民を代表する国会議員に相応しい人物と判断されたという訳ではなかろう。実際、全国民の代表としてどうなのかという新人議員は少なくない。まるで校長先生や教頭、担任教師の顔色ばかりを気にする集団のような雰囲気さえ、ある。修学旅行で偉い人と記念写真に興じたり、新年会に馳せ参じたりと、新人議員も大変なようだが。しかし、政治家にとって一番の仕事は、はたして、次の選挙に勝つことであろうか?

【関連記事】
衆院選、2倍強の票格差「違憲」(朝日新聞)
一票の格差違憲判断、背景に国民の意識の高まり(産経新聞)

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ご理解・ご協力のほどよろしくお願いいたします。

新春早々「加治隆介の議」ですか。
それも結構です。

しかし、表面だけをなぞって、小沢氏の訪中団への参加を云々するのは、それでいいのですか。
相川さんまで、普通のイカレぽんち達のように「600名の大訪中団の・・・・」ですか。
以前、「何のために書くのか・・」と、書かれた時、このような人もいると、「マスゴミ」という言葉を簡単に使ってしまった自分を反省したのは、間違いだったのだろうか。

あの訪中団が、アメリカに与えた「驚愕」を、どう受け取っているのでしょう。
そんな事、考えないですか。

ヒラリー・クリントンが訪日した時のこと。自民党政権の時でしたね。
小沢とアメリカを、考えなかったですか。
普天間で大騒ぎの中、「日米関係が最悪」との騒ぎの中で、素知らぬ顔で、胡錦濤とにこやかに会見し、議員団が握手をする。
一体、アメリカはどう思ったでしょう。
日本とのことは、静かに、今一度考えなくてはならぬと、考えたのではないですか。
(私の勝手な解釈です)
もちろん、「日米同盟は堅持せねばならぬ」という観点でです。
5人で行くより、140人連れて行ったほうが、中国も喜ぶし、アメリカへの「発信」としても、効果抜群でしょう。

もうひとつ、
彼ら、新人議員ばかりではなく、国会議員にとって「再選される事」が、一番重要な事は、当たり前です。
もともとが、所属する「党」の政策・方針に賛成だから、その党から出馬しているわけです。
政府に入らない以上、選挙以上に重要な事とは、何ですか。
何でもすべて「党」にお任せと言うのは、確かに間違っています。
しかし、絶対に言わねば、やらねばならぬと考える事以外は、選挙第一で、好いじゃありませんか。
今時は、地元を回るにしても、ただ頭を下げるだけじゃ、誰も相手にしてくれませんよ。

<相川様>
本年も記事を楽しみにしています。
さて、一票の格差については、憲法に照らしても当然の判決だとは思います。
また、政権交代における投票行動が必ずしも議員の資質によるものではなかったのも事実です。だからといってお気軽に選んだ訳でもありません。議員個人ではなく党に投票したのです。
また、国会議員は国全体の代表であるのですが、地元なんて関係ない、選挙など関係ないというのもこれまた言い過ぎではないか。
地元に利益誘導したり、でっかいハコモノと引き換えに票と政治献金を手に入れる事は論外だが、地元の人々の生活を知らずして良い政策などできるはずがない。
政治とは生活そのもので、人々の懐深く飛び込んで、竈から煙りがちゃんと出ているか?知る事が何にもまして大切なのです。
実際は国民なんて実体はないから、議員は地元の老若男女の想いを良く良く知る事で、生活感に基づく施策を講じることができる。
東京の永田町と霞ヶ関で、国民を大括りでとらえるから、後期高齢者医療なんてバカな法案が通ってしまう。
役人は頭のいいエリートでも良いが、政治家はエリートでは困る。民主党の政治家の一部に、地元活動をバカにして「政治文化を変えたい」なんて講演するのを聞いた事があるが、その様な人程、あっと言う間に役人に取り込まれてしまった。
政治を生活実感ではなく、理屈で捉えているからで、理屈なら役人に敵うはずがない。
一方、亀井大臣は、中小企業のおやじさん達の苦労が判っているから断固モラトリアムをやろうとする。
だから、小沢さんは「君たちの最大の仕事は、次の選挙に通る事だ」と新人議員に発破をかけて、地元の生活者との関わりを優先させている。
その努力がなければ小役人の様な政治家ばかりになってしまうだろう。
自民党が支持を得られなくなったのは、二世議員ばかりで、東京の学校に通っていて東京で暮らしていたからで、生活実感に基づく施策をサボり、一部支持者への利益誘導に走ったからで、餓死者まで出しながら、セーフティーネットを破壊したからに他ならない。
役人のレクによって政策を勉強するより、人々の生活実感を知る事の方が、議員には何倍も大切で、生活と政策を繋ぐ役割は、議員にしかできないからだと私は、思うのです。その様な活動をしていれば、自然にやるべき課題は見えてくるので、新人議員の育成方法については小沢さんを支持します。
理屈より、生活が第一です。

平成の庶民革命様

この度はちと辛口です。後半は全部削って、議論を「一票の格差」に絞った方がよかったでしょう。実は「一人別枠」なんて私も知りませんでした。

判決を一部要約します。「一人別枠方式は国会議員を地域代表と理解するもので、憲法43条1項(両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。)の趣旨に反する。」とあります。「一人別枠」を使って定数配分を見直すときに内閣法制局は違憲判決が出るとわからなかったのか?内閣法制局の役人は憲法を読んだことがないのか?そう思って公職選挙法の別表第一を見ると、選挙区ごとの市町村名が載っているだけで「一人別枠」という言葉は出てきません。しかし立法過程を原告が指摘して「一人別枠方式」があぶり出されたのでしょう。

最高裁大法廷も2007年6月に一票の最大格差2.17倍を「国会の裁量の範囲」としながら、15人の裁判官のうち5人は同方式について「投票価値の平等を損なうことを正当化する理由のない制度」などとして違憲性を指摘したようですので、今回の大阪高裁判決はある程度予想されていたと思います。

大阪高裁判決はまた「2倍を超える格差」は違憲としています。これも極めてわかりやすい考え方です。イギリスでは昔からこの考え方で、格差が1.5を超えたらすぐに区割り変更するそうです。

行政当局としては併行して提訴された他の裁判の行方を見て対策を練るといったところでしょうが、庶民革命の立場から言いますと、違憲判決が出たまま区割りを放置するのは実にまずいことです。民主主義の正統性にけちがつくというか「国民の代表」という錦の御旗に傷が付くわけです。

鳩山内閣は邪魔くさいでしょうが、「格差社会からの脱却」をスローガンにして、格差1.5倍以上の選挙区割りを毎年自動的に改正するべきです。

相川様 

記事が載るのを楽しみにして居る者です。
論理的に申し上げる能力が無いのが悔しいのですが、この問題が出てくる度に感じていることを申し上げます。

一票の格差が論じられる度に、一票、二票という数字、議員がひとり二人という数字、選挙民が10万人100万人という数字によって論じられます。
元株やさん、em5467-2こと恵美 さんの仰るように、人間があってこその政治、ということが裁判所などでは忘れられているような気がします。
勿論、机上の戦略無しに突き進むことの危うさは「バブル」で経験済みです。次が、机上の空論であったと後から気がついた「小泉政治」でした。

数の上での平等を言うときに完全に忘れられるのが、国土の使い方が均等ではないということ。
都に人も物も集中するのは自然の流れではありますが、本社機能を東京に集めたのは、政治ではありませんか? 数の力ではありませんか? 賢明な戦略によって、住みやすい国にしていくという発想が無いように見えます。 

沖縄の議員数は何人でしょうか。 ”やまんとんちゅう”対 ”うちなんちゅう” では、2倍にしてもかなわない。北海道のアイヌ民族。長い裁判に勝訴しても、その間に聖地に完成してしまったダム。

「私たちは、この大きな島を、日本に売った覚えも貸した覚えもありません」。
言葉を奪われ、名前を奪われ、文化を奪われ、日本人への同化を強制され、さらに差別を受けた。

それがアイヌや琉球のことと思っているうちに、日本人の文化は混沌としたものになりつつある。

格差とは何か?

相川さんは基本的に原理主義者だから。
 初めて論説を読ませてませていただいたのはごく最近だがすぐ気付き投稿をしたがいつものようにつたない文章で相川さんに賛同される方からは反発を受けた。
 あるべき原理論からストレートにうまく文章で現実を裁断しようとする姿勢が一貫している。これは誠に便利な方法である。単純素朴な方には受けるが私の様なひねた人間は違和感を覚える。
 文字方面に限らず、例えば相川さんがサンプロで特集した信州かどこかの山村の町長。
 私の目から見たらかつての中国の人民公社ようにに山村の町民を動員して農道建設にあたっていた。これが中央の規格を排した自分たちにあった安上がりの工事だということだが問題点もあるというのが私の意見でテレビで一方的に賛美するには不適切だと考えた。
 やはりあそこでは懸念も表明しないとバランスに書く。
 私だったら町長の思い込みによる行政改革の一環として農道建設に動員されるよう村には住みたくない。役場の職員だと反主流はにまわるな。たぶん。
 こんなことが全国民的に蔓延するとどんな社会になる?
 偏見かもしれないがかつての「社会主義」の悪い見本だよ。
 やっぱり個人の自立と自由を大切にする、これが基礎でなければ。こんな町政に反対して参加しない自由も担保してもらいたい。
 相川さんもこの辺のことは分かっておられると思うが感覚的にはズレているような気がする。
 論説の最後の方の下りなんかがどうして出て来るかといえば、現実の生きた生々しい政治にいつものように原理論で安易に対応しようとしているからだと理解する。
 生きた政治は相川さんの様な原理論で対応されるとたまったものでない。悪いとこだらけだ。しかしそのような現実の泥の中ではいつくばっても闘っていかなければ多くの支持者の願いも国の行く末への想いも叶わないという現実が大きく横たわっている。
 私は政治とはそのような次元を大きく含むものと理解する。
 これは何も私の独断でなくて革命家のレーニンも口を酸っぱくして著書で語っていることである。「泥の中をはいつくばっても」はその引用である。
 小沢氏は中国通だから毛沢東は読んでいる。毛沢東も中国社会の現実から都市革命路線から大多数の中国国民である農民の「生活が第一」の路線を打ち出して党と軍隊には事細かな指示を打ち出した。
 あなたの様な方法論の間違いを気付いておられる方は多くいることをお忘れなく。世の中ひねくれた人も多いですよ。

tanuさまwacwacさま

 ご指摘ありがとうございました。実はパート2を書こうと思っていたのですが、御二人のコメントへのご返答に変えさせていただきます。

 国会議員が「全国民の代表」というよりも「地域の代表」となっている現実の背景に、日本の強固な中央集権体制があると思います。財源と権限、情報などを中央官庁が握り、地方行政を細かくコントロールする時代が延々と続き、地方自治体は「霞が関」のいわば支配下に置かれています。あらゆるベクトルが国に向かっており、首長や職員、地方議員などは事業や予算獲得のための陳情に躍起となります。

 その先頭に立つのが、地元の国会議員です。国から予算や情報などを分捕ってくることを役割として求められるのです。国政全般のこと(例えば、外交や防衛、社会保障や教育など)よりも優先されます。つまり、地域の利益(?)代表、代弁者としての役割です。

 こうした中央集権体制から地域主権に大転換し、地域に財源と権限を委譲して地域のことは地域に任せ、国(政府)は外交や防衛、法務、社会保障などに専念すべきかと思います。もちろん、地域に任せれば全てがうまくいくとは限りません。首長や地方議会、職員、そして地域住民の意識や力量、努力、奮闘ぶりなどによって成果は大きく変わると思います。しかし、首長が本当の意味での地域代表となり、国会議員は全国民の代表として国政に関わることになると思います。これまでの日本に欠けていた国家戦略を担うのです。要するに、本来の国会議員の役割を果たすということです。

 中央集権体制が続き、富や人口、情報や利便性の偏在が著しくすすんでしまいました。地域主権はそうしたベクトルを反転させる意味もあるかと思います。

 物書きのはしくれとして肝に銘じていることがあります。「書いたものが売れれば(読まれれば)良いというものではない。しかし、売れなければ(読まれなければ)話にならない。だが、売れれば(読まれれば)良いというものではない。しかし、売れなければ・・・」。いつも、二兎を追って、一兎もえずの体たらくですが。政治家も確かに、選挙に勝たなければ話にならない。しかし、勝てばいいということではない。ないしは、勝つことが目的ではないはずでしょう。

 当方はWACWACさんご指摘の通り、「そもそも主義者」ですが、同時に、「現実主義者」でもあると自認しております。そして、「ひねくれ者」でもあります。影響力絶大な方が「次の選挙に勝つのが、一番の仕事だ」といろんな意味を込めておっしゃっているのはわかりますが、どうしても、「勝つことが、最終目的ではないでしょ」と言いたくなるのです。何たって「ひねくれ者」ですから。

 wacwacさんのご指摘には感謝申し上げます。em5467-2こと恵美さま、莫郎(本名伊藤兼吾)さま、もと株やさま、今年もよろしくお願いします。

相川俊英 | 2010年1月12日 13:07様

このご意見にほとんど賛同できます。
ただ、私もひねくれ者でして、最後のご意見には、賛同しかねます。
「勝つことが、最終目的ではないでしょ」
議員は、民意を代表するものであり、その民意は選挙で問われるからです。
勝つことが、その地区の民意の代表者たる資格を得ると考えています。

何度も、投稿で言っていますが、私は小沢シンパでありません。
けれど、彼が新人議員に口をすっぱく語るように地元の政治活動が一番大切なのだと・・・。
これは、自民党の戒めでもありますが、地元政治活動は、地元の団体の代表者の声をきくことでもありません。
団体の代表者であっても、各個人の声でないからです。
これまでの彼の政治活動を見ると、党とか団体とか、そんな看板を大切にしていると思えません。
軒先一人一人の声を大切にしている政治感を感じます。
団体の声も大切にしないといけないが、その個人の声も聞く姿勢が政治家でないでしょうか。
その視点から見ると、彼が目指している物も見えてくる気がします。

このコラムと主旨が違いますが、最近報道の姿勢を批判するコメントも多い。
私は、批判する方向がそれぞれ違っているとさえ感じています。
報道は、批判する目を持たないといけない。
けれど、その視点が違っていると感じています。
政治家の人間性や政策以外の政治活動を非難するのは、少しおかしいと感じています。
批判するなら、政治家が求めている、政策批判をすべきである。
また、報道姿勢を批判する立場では、現在の報道姿勢を批判すべきであり、報道活動を萎縮するような批判(活動ですから、運用益がないとできません、ボランティアでないのですから・・・)をすべきでないと思っています。(偉そうに言っていますが、私もつい感情に走りますが・・・)

今年も相川氏ならでの視点報道を期待しております


相川さんの現場からのレポート、問題提起に関心を持って読んでいる読者の一人です。書き込む時期を外してしまったようで恥ずかしいのですが、司法の判断という事実を下敷きにした記事であり、その内容について個人的には危険なものを含んでいると感じましたので、少々異議を述べさせていただきます。
<国民の代表について>
判決文をきちんと読んだ訳ではありませんが、憲法を虫メガネで読んでいるかのような屁理屈に聞こえます。小選挙区で選ばれた議員一人一人は各選挙区の有権者だけで選ばれた人かもしれませんが、全国各地からそのようにして選ばれた議員達が一同に会して国会を形成するのですから、国会をひとつの「人格」と考えれば「国民の代表」と呼べるのではありませんか?法の理念ではなく文言だけを気にしているので「地域の代表か?国民の代表か?」という妙な話になってしまうのではないでしょうか。実体として選挙区への利益誘導が行われていることは、制度のあり方と有権者の意識の問題だと思いますので、憲法や司法の判断とは切り離して考える事柄だと思います。
<選挙制度について>
都道府県の区切りを元に選挙区割りを決めるのはおかしいという判断は、憲法解釈の拡げ過ぎで立法への干渉だと感じます。また、理屈先行で実情を無視した考え方ではないでしょうか。多くの都道府県境は山脈、河川、海などで隔てられていますし、都道府県を跨る選挙区では選挙管理事務にも支障をきたすでしょう。今現実にある都道府県の存在、地理的要因にあえて逆らうメリットは思いつきません。もちろん、行政の仕組みや地理的要因に大きな変化があった場合はこの限りではありませんが。
一票の格差という問題提起については、かつて田中角栄が「人数要件ばかり問題にして選挙区の面積要件を加味しないのは馬鹿げている」というようなことを言っていたと何かで読みました。憲法論の前に田中角栄の真意を読み解いてみる必要があるのではないでしょうか。例えば東京に人口の半分以上が集中したら有権者数だけで選挙区を割り振って良いのか?例えば北海道と他県を併せて一人の代表を選ぶようになったら、現実問題としてその代表は選挙区内の実情(政治の結果・効果)をつぶさに確認できるのか?そもそも国とは国民と国土(領土)のことではないのか?などなど考えていくと、田中角栄の言わんとすることが解るような気がします。
衆議院議員が国会という「人格」の「眼」の役割も果たすものだとするならば、現在の小選挙区制度は非常に良い仕組みだと私は考えています。
<相応しい議員について>
本人に議員になる意志が有り、嘘や不当な行為・手続きに拠らず選挙で有権者に選ばれた人。それ以外の条件が議員に必要でしょうか?国籍や居住地の問題、未成年や後見人が必要な人などの扱いは別として、「議員の資格」は初めの定義で満たされていますよね。相川さんのおっしゃるような議員に相応しい人は、ある日突然天から下りてくるはずもなく、有権者や他の議員に揉まれながら議員としての様々な経験を積むことによって生まれ育ってくるものではないでしょうか。「次の選挙で勝つことが一番の仕事」という小沢一郎の言葉はあくまでも新人議員に向けられたものですし、国会以外の日常活動も疎かにするなという新人教育の一環と解釈するのが自然でしょう。「政権交代は手段であって目的ではない」という同じく小沢一郎が良く口にした言葉を引き合いに出すまでもなく「次の選挙で・・・」の文言だけを捉えて論評を展開するのは、憲法を虫メガネで読んでいる裁判官と同じ思考パターンに陥っているように思います。
<記事全般の感想>
小沢一郎が良く口にする言葉を引用して私個人の感想を述べるならば、「既存の仕組みを前提にした発想」「お上信仰」「選挙を軽んじる風潮」のようなものが記事の根底にあるように思われ、「憲法の理念」である「民主主義」の否定に繋がりかねない危うさを感じる、といったところです。

長くなりましたが、ここの記事についてはこの位にして、これからも相川さんの記事は楽しみにしております。冗談抜きに相川さんのように行政の現場からのレポートを主体にするジャーナリストが300人以上居てひと固まりになれば、国会議員以上の力を得るかもしれませんね。これからも宜しくお願い申し上げます。

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Profile

相川俊英(あいかわ・としひで)

-----<経歴>-----

1956年群馬県生まれ。
早稲田大学法学部卒業。
1992年よりフリージャーナリストに。
1998年から週刊ダイヤモンド委嘱記者に。
地方自治を主なテーマとして全国を取材・執筆、サンデープロジェクトの特集レポーターも務めている。

BookMarks

-----<著書>-----


『長野オリンピック騒動記』
1998年1月、草思社

『ボケボケパラダイス』
1996年12月、筒井書房

『コメ業界は闇の中』
1994年4月、ダイヤモンド社

『東京外国人アパート物語』
1992年11月、新宿書房

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