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国内路線ゼロ "国営"茨城空港の本当の狙いは何か »

何のために記事を書くのか(3)

 前回、農業用水の不法転用の事例を紹介した。国営畑地かんがい事業の完成後、土地改良区が余っている農業用水をこっそり工業用水として利用させていた話である。その時に「水はみんなのもの」と表現したが、正確には「本来、みんなのもののはず」。河川の水を利用するには水利権を持っていなければならず、勝手に水を利用することは許されない。

 水利権とは、河川管理者(国など)から水使用を許可されたもので、予め使用水量も規定される。河川を正常に維持するために必要とされる流量を超えた分(余裕分)が、水利権の発生分となる。こうしたルールができるずっと以前から、農家は自分たちで用排水路を整備し、河川の水を使えるようにした。そして、実際に使っていた。それで、農業用水は慣行水利権として広く認められることになった。

 ところが、慣行水利権として認められた使用水量で、河川の余裕分を使い果たしてしまうケースがほとんどだった。それで、新たに河川の水を利用するには、上流にダムなどを造らねばならなくなった。ダムに水を溜め、渇水期に放流することなどで、河川の流量を調整し、水利権分を生み出すのである。許可水利権といわれるものの多くが、こうした施設建設によって新たに得られた水利権である。

 ここで問題になるのが、許可水利権を申請する際の水利権量である。畑地かんがい事業の場合、10年に一度の渇水期でも対応できるように水利権量が設定される。つまり、最大需要にも対応できるだけの大きな水源を造り、水利権量を取得するのである。万が一の時にも水不足で混乱することがないよう、施設を巨大化し、高い供給力を持たせるのである。逆にいえば、平時には需要を大きく上回る態勢を整備することになる。当然のことながら、施設の利用効率は低く、建設費用もかさむことになるが、原資は税金。しかも、万が一のことを考えての備えとあって、地元から異論は出ない。税金がたくさん投じられるだけだからだ。

 そして、実際、税金が使うに困るほどたくさん集まった時期があった。治水面でも同様だ。例えば、治水ダムである。100年に一度の大雨が降っても、流域で洪水が発生しないようにダムが造られたりしている。200年に一度の万が一に備えてのダムもある。万が一のことを発生させてはならないとの発想から、事業が始まっているのである。それで、平時の時は過大過剰な施設として存在することになる。

 こうした官の「万が一」に合わせた施設建設を転換すべき時期が来ているのではないか。もちろん、渇水や洪水が生じても致し方ないといっているのではない。手を打つなといっているのではない。巨大施設で鉄壁の防御が可能と考えるのではなく、渇水や大雨が発生することを念頭に入れ、発生時に実害をいかに少なくするか、常時、流域間で総合的な利害調整しておくべきではないか。流域全体で、行政の縦割りの壁を越えての調整である。地域内の農業用水に余裕があるのに、生活用水用のダムや導水路を新たに造るような愚行はやめるべきだ。詳細は来週発売の週刊ダイヤモンドで。

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TBSのみの、後藤はじめ周りにいる方々早期退陣ねがいます。国のこと国民のことをを心配し、これが皆の声のごとく自分達(裏にどんなやつらがいるのだろうねー)を中心にしか考えない報道は本当に日本国民としてなさけない、後藤の隣にいる女の子なんかシナリオどうりの受け答え、エンターテイメントの番組はプロレスだけで十分、TBSはじめテレビ新聞の広告が減り経営赤字になるのは55体制の自民党が沈没↓にもかかわらず、今もって自民党だったら色々通じていたもが消えてゆく、今までの税金の無駄使い分を自民党の国会議員はあなた達得意の説明責任と今までの議員報酬の返還を考えるならこれからの展望もひらけるかもしれない、大島さん伊吹さんあなた達がテレビにどうだと思って出演なさっているでしょうが残念ながらますます悲しい運命にひた走りに向かっています、今まで一揆が起きなかったことが不思議でなりません。

総論的には賛成ですが、もう一面の視線が、あることを指摘しておきます。

ダムには、発電・貯水以外の役割があります。
それは、日本の河川の宿命といわれるものです。

一般に上流部ほど、大きな岩があり、中流部では、段々と小さくなります。
しかも、日本の河川は、急流です。
以前、外国の方が渓流を見て「滝?」と驚かれたと聞き及んでいます。

一般に、土石などを予防するものに砂防ダムがありますが、数年でその機能を失ってしまいます。

ダムの貯水帯域では、どんな大雨になろうと、激流になることがありません。
また、ダムから下流域は、導水路などに水流量を分散し、本流の土石の流失を軽減できます。

そういう点で、貯水量のみで「ダム」問題を追及するには、少し無理があると思います。

昨今、河川の流域に巨大な岩がない。
堤防の崩壊事故が少ないのも、この理由があると私は、あると思っています。

貯水帯域が、少しでも大きい方が効率的です。

ただ、これにも問題があります。
ダムの貯水帯域より、上流や側面からの土石が堆積し、段々と底が浅くなっています。

あまり知られていませんが、富山県のダムに「排砂式ダム」があります。
底に溜まった土砂を吐き出す機能があるダムです。
ただ、一度に大量の土砂を排出するため、沿岸の漁業関係者と問題にもなっています。

完全な物は無く、必ずどこかに問題があるのは、世の常なんでしょう。

相川さん
水利権の丁寧な解説有難うございました。10年に一度の渇水、100年に一度の大雨、200年に一度の…。開発業務に携わっていると行政に良く聞かされる台詞ですね。
私が昨年、洪水調整池の有効活用の相談を受け所管の県土木局と埋立ての交渉をした時の話ですが。雨水幹線の整備とともに不要になったこの池には水利権もなく市との調整は簡単なものでした。
県土木局と地主が最初に交渉した時には、流末の河川改修工事が未了であるとの理由で5年ほど待たされたとの事で河川改修が完了したのを見定め手の依頼でした。過去の経緯を再確認し、周辺の調整池の埋立事例をもとに交渉をすると本件の問題点として、『流末の河口に国道がありその周りに堤防を造ることも出来ないし河川を広げる事も出来ないので川底を掘ることでクリアする事になったが今年度は予算不足で申請が却下された。その河川工事が済むまで待って欲しい。』と担当課長二人に真顔で話されました。『川底掘るってそこはもう海ですよ!』って言うと、『はぁ、そうなんですけどねぇ…。』と言う回答でした。とても親切丁寧に応対してくれただけになんだか余計にショックでした。こうして税金が浪費されていくんだろうなぁとつくづく考えさせられました。

万が一と言いつつ、道路も河川の堤防も川底も公園さえもアスファルトやコンクリートで固めてきた行政って何なのでしょうか?
おかげで雨がちょっと本降りになると溢れる側溝がどれほど多いことか、激しく流れ下る雨水を見るたびに危険を感じます。住宅地に限らず都会の街中でも地面に水を浸透させるそんな水対策も必要ですね。

三度にわたるレポートを読みました。
農業を起こすと言う大義名分の基に自民党がやりたい放題(税)に金を使った裏には農民を利用した「票」集めに過ぎない行為だったのは分かったいたが、何せ少数民族(非自民)だった悲哀ですよ、ようやく(お百姓さん)と国民が食うために手を取り合って生きたいと思った矢先に、三連続のレポートを読んで、理不尽な行政を正そうと心を一つにしました。

>万が一と言いつつ、道路も河川の堤防も川底も公園さえもアスファルトやコンクリートで固めてきた行政って何なのでしょうか?


その所為で今では赤トンボをすっかり見なくなりましたからね。なんせ赤トンボは幼虫期をセミより長い8年ほど川底で過ごしているわけですから。赤トンボに限らず、不必要なアスファルトの所為でどれだけの小さな命が奪われていったのでしょうか。
100年に一度の災害に備えるよりも、毎年、当たり前に見られる風景がどんなに大切なのかを既得権益集団は解らないのでしょう。ホント、自民党を始めとした既得権益集団に天罰が下ってほしいものです。

私は、道路や公園や運動場などがコンクリート化されたことやダムを作ってきたことや曲がりくねった河川を真っ直ぐにし、川底をコンクリート化し、コンクリートで固められ、向こうも見えない高い堤防にし、蛍の住めない河川のしてきたのは、其処に住む住人の方々の要望でなかったかと思います。

ある意味「行政」も住民に振り回されている。
その点も、忘れてはいけないと思うのです。

利権や癒着など、楽をして生活しようとする。
自分の利益のみ追求する姿勢は、問題だと思う。

都市圏だったと思うが、蛍の住める川に戻そうと、其処に住む住人・行政が一体となり、推進している話を聞いた。
ドブ川に住民とお役人が一緒に入り、ごみを除去する。
それぞれ意見があり、対立もするだろう。
でも、一緒に問題を解決していこうとする姿勢を忘れてはいけないとも思う。

これは、報道にも通じる姿勢でないでしょうか?

本田さん
貴方のご意見の後半部分には賛成です。
前半部分について、…そこに住む住民の要望で造られたものは、ほんの僅かだと思います。
殆どのものは寧ろ大半の住民が知らないところで一部の人達の要望や予算を消化するために造られて来たのだと思います。
自分の住まいの目の前の河川工事や土木工事がなんのための工事かさえ知らない人は多いのです。

そこに住む人たちに非があるとしたら無関心であったことだと思います。おそらく町中へ都心部へと行くほどその傾向が強いんじゃないでしょうか。
結果(被害)が出て初めて関心を持ち行政を攻撃する…改めるべきはここだと思います。地域のことを考える関心を持つ姿勢が必要なのだと思います。言うは易しですが…自らの反省をこめて。

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Profile

相川俊英(あいかわ・としひで)

-----<経歴>-----

1956年群馬県生まれ。
早稲田大学法学部卒業。
1992年よりフリージャーナリストに。
1998年から週刊ダイヤモンド委嘱記者に。
地方自治を主なテーマとして全国を取材・執筆、サンデープロジェクトの特集レポーターも務めている。

BookMarks

-----<著書>-----


『長野オリンピック騒動記』
1998年1月、草思社

『ボケボケパラダイス』
1996年12月、筒井書房

『コメ業界は闇の中』
1994年4月、ダイヤモンド社

『東京外国人アパート物語』
1992年11月、新宿書房

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