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何のために記事を書くのか

 取材で全国各地を回り、腰を抜かすような現実に出くわす毎日を送る当方だが、反対にびっくりされることも少なくない。訪問先で「よくこんなところまでわざわざ来ましたね」と驚かれるのである。それで、当方いつも「記者が取材現場に足を運ぶのは当たり前のことです」とこたえるのだが、相手の方からは決まって「いや、最近の記者はだいたい電話で済ませますよ。わざわざ会いに来る人はいませんよ」と、繰り返されるのだ。まるで暇な変わり者のように思われてしまうのである。

 確かに、最近は携帯電話とメール、インターネットを駆使して取材活動を展開する記者さんは多い。また、記者クラブ活動を記者活動と勘違いしている記者さんも少なくない。しかし、取材者が直接、取材対象者を訪ねるのは基本中の基本のはず。にも関わらず、余りに不思議がられるので、自分が時代の変化についていけない古いタイプなのかと思ったりもする。もっとも、取材対象者からすれば、遠方からふらりとやってきた素性もわからない記者にどう対応すべきか、戸惑いがあるのは間違いない。それで、こちらはひたすら相手の方のお話に耳を傾けるのだが、これにも驚きの反応が返ってくる。「あなたは私の話をしっかり聞いてくれる。珍しい記者さんだ」と。思わぬ言葉に当方、再び、小首を傾げるのである。「記者は取材対象者の話をじっくり聞くのが仕事なのだが」と。確かに、最近は偉そうで横柄な記者さんが増えていると聞く。だが、それは、巨大な組織や溢れる権威の後ろ盾を持つ記者さんや著名なジャーナリスト達の世界の中でのこと。一介のフリー記者にとって、横着と横柄な姿勢はあり得ない(もちろん、組織内記者や著名なジャーナリストの中にも謙虚でコツコツと地道な取材活動を重ねる方々はたくさんいる)

 こうした取材活動を続ける当方、よく「足で記事を書く記者ですね」と言われる。どうやら褒め言葉のつもりで仰っているようなのだが、それは大きな誤解である。記事は足で書くものではない。指で書いているというのは、冗談で、自分のあらゆるものを総動員してやっとの思いで書いているのである。自分の足で現場を訪ね、自分の頭で考えて、自分の言葉で質問し、自分の耳で聞いて、自分の目で見て、いろんなものを感じとって初めて、自分の記事が書けることになる。つまり、全身全霊を傾けて書くものなのだ。「それであの程度の記事か」と、笑われることばかりだが、そうなのだ。つまり、自らの総合力を超えた記事は書けない。だから、いかにして自らの総合力を上げるかが記者にとって大事なのだ。

 しかし、それ以上に重要なことがあることに、最近になってやっとわかった。それは何か?記事は「心で書くもの」ということに気づいた。「何のために記事を書くのか」がポイントなのだ。つまり、記者が自らの使命をどのように考え、その使命を果たすためにどのように努力しているかである。恥ずかしながら、四半世紀以上、記者をやっていて、最近になってやっと実感するようになった。では、自らの記者としての使命は何か?五十を過ぎたオヤジが口にしたら、「なんて青臭いことを」と一笑に伏されるのは間違いないので、言わない。だが、おそらく、当方と同じ思いで取材活動を続けている同業者はたくさんいるはずだ。心で記事を書く記者たちである。もちろん、「マスゴミ」という品のない表現でひとくくりにされた、組織内記者の中にも。

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ご理解・ご協力のほどよろしくお願いいたします。

全然、青臭くないですよ。『記事は心で書くもの』良いですね。是非其の精神を貫き続けてください。

ネットで調べれば大よその事は解る時代です。但し、細部、心に閉った言葉までは判るはずはない。現地に行き、住民の目を見て話すからこそ心の奥に潜めた、真実の声にたどり着くことが出来たのです。そんな気持ちのこもった取材とは対照的な、ネット情報や記者クラブで聞いただけ、電話だけの取材から出す薄っぺらい報道では、言葉の重みも、熱意も無いことが、テレビを通して筒抜けています。

相川さん、頑張って良い取材を続けてください。そして良い記事を書き続けてください。

相川さんの取材は一級品と思います。
 あの評判の悪い司会者(サンプロ)にテレビカメラの前で訳もなく罵倒されながら「良く頑張るな~」と感心して見ていました。
 最近は独断的な司会進行に嫌気がさしてサンプロもごく偶にしか見なくなりましたが、相川さんの直向きな仕事ぶりで、レポートの仕上がりも良く、拍手喝さいです。今後ともご活躍を期待しています。

相川さんの取材された番組、サンプロの「民主党への提言」をいつも興味深く拝見しています。

農水ダム問題に、赤松農相は知らん振りですね。大臣になったと同時に自民党型利権屋大臣に堕ちて行ったようです。赤松氏にの薄いダムの件をどう考えるか、直撃取材を敢行していただけたらと思いますが、いかがでしょうか?

相川さんを、とても、とても、とても、とて~も、応援しています。これからも全国十に蔓延する、天下り利権と行政の無駄見つけて徹底報道してください。

ぜひよろしくお願いします。

サンプロの相川さんの取材は、いつも注目しています。

他の政治評論家や経済評論家、コメンテーターと違って、実際に現地に行き取材して問題的を浮き彫りにし、考察した話は、とても説得力があります。

観念的な政治論や政局の話などで、この国の苦境は救われないと思います。

相川さんが問題提起しているような生活に密着した問題を実際に地道に解決していくことでしか、この国の未来はないとさえ思います。

これからもがんばってください!
応援しています。

仰られている事は、記者という生き方に限った事ではないと思います。

ありのままの姿や心から発せられている、大切な何かを感じ取る事ができないのであれば、それは誰よりもまず自分が不幸であるという事です。

「ウソを言わなければ騙した事にはならない。」
「見た事にしなければ隠した事にはならない。」
「どう受け取るかは受け取る側の責任である。」
「表現・言論を『しない』自由こそ利益である。」

ゆえに事業として成立しているように見えている私のような人間は、数多く居られる筈です。

ゴミがゴミの風体で臭気を発しているなら、それは善であります。無色透明無味無臭の「毒」かもしれないと気付き始めている人もまた、数多く居られ、どんどん増えて居られるのではありますまいか。

「出版不況」は、この事と無関係や否や。

茨の道、ご自愛ください。

相川さん私も応援しています。本当の国民に知らしめるべき報道をお願いします。

<考えることが進歩の鍵>

私はかつて技術者でしたが、先輩から「現象を観察し、仮説を立て、検証しろ」と厳しく指導されてきました。また観察していると想定しなかった現象を発見することがあり、普通はそれを異常現象として無視するのですが、よく観察するとそれが新発見につながることもありました。

ノーベル賞を受賞した人たちは全てといっていいほど、こうやって新発見をしたと言います。相川さんのような優秀な記者や(例えばコロンボ)刑事なども「現象を深く観察し、仮説を立て、検証し、再度仮説を立てる」という思考の循環を経て、真実に迫るのでしょう。

私も含めここでコメントされる方々は「社会現象をよく洞察し、自分なりの仮説を立て、有用な議論を自分なりに消化しながらコメントする」といいのかもしれません。

たとえその仮説が間違っていたとしても自分で考えることが重要ではないでしょうか。世の中の表面的な流れに付和雷同するだけでは、役所の発表をそのまま報道する低レベルな記者と同じになってしまいます。

熱烈な自民党支持者様に同感です。

研究開発に携わるものとして、次の「人事の要諦」を参考にしております。

「子曰、視其所以 観其所由 察其所安 人焉廋哉」                   
私なりの意訳です:その人の為すところを素直に見て、次にその為す理由・原因を考えながら観察し、更にその人に都合の良いのはなぜか、その基を深く考えるとその人のことは隠していても全て分かる。
研究開発の場においても、同様ですね。まず素直に見て、更に機器で観察・分析し、どうしてそのような実験結果が出るのか考察すると、その現象は解明できるということです。
2,000年以上昔の孔子の言葉は、現代にも生きております。

熱烈な自民党支持者様のおっしゃるとおりのことを数十年続けておりますが、出世と銭金とは無縁ですが、自己満足しております。

相川はどうなんでしょうか、気になるところです。


ジャーナリストはアーティストだと思っています。
事実だけを淡々と追うものであれ、記者自身の想いを肉付けしたものであれ、記事の「着眼点」をキャンバスに描いたり、楽器で奏でたりするのと同じように、読み手の想像力に訴えかけるクリエイティブな作業だと常々そう感じています。
“心”の薄い音楽や画が人の心を打たないのと同じく、“心”が乏しい記事に想像が揺さぶられることはありません。これは、何も叙情的であれとか情緒的であれという手法の問題ではなく、作品や記事を放つ側の深い洞察力や、時には「闇」を引き出すセンスが、受け手の中に「気付き」を生み、やがてそれは波となっていくのだと思います。

相川さんの「何のために記事を書くのか」は、私も青臭いことを言わせていただければ「何のために生まれてきたのか」という永遠の問いに通じます。
今まで生きてきた時間より、この先残された時間の方が短くなりはじめ、私も漸くその糸口らしき理由を見出せそうな気がしていますが、それでもまだそれは糸口でしかありません。
私も長年「表現」という仕事に関わってきて、自分の「役割」を絶えず探し続けてきた様な気がしています。「玉」も「石」も呑み込んできても尚、いつまでたってもやり残してきた事に後ろ髪を引かれている毎日です。「表現」を“仕事”と書きましたが、多分それは違っていて、身勝手に書かせて貰うと、それは自分の人生そのもの。生きづらい事の方がけれど、幸せ者だと思っています。
愛も憎も怒も、時にはいい加減なひとときの恋ですら、一杯の酒ですら、心に積み重ねた事が役に立つのですから。

嗚呼・・・私は女なのに、なんだかオッサンみたいなコメントになってしまいました。

相川様

いつも貴方の取材報道は惹きつけるものがあり、考えさせられます。陰ながら応援していますよ。

ところで、多くの方が仰っていますが、「日本は過去の大きな過ちの総括が出来ないもしくは苦手な民族ではないだろうか」、「それとも総括ができているのだろうか」。殆どの方が前者だとなりましょう。何故なのだろうか。この命題は大変根の深い問題です。

過去、多くの取材をされて来られた相川さんもこの根本問題がいつも引っかかるのではないでしょうか。歴史の中で類似の事が繰り返される。

体系的にこの大枠の中で取材事象をまとめてみるのも面白いのではないでしょうか。期待しています。

2005年1月3日の毎日新聞に「ニュースの職人」鳥越俊太郎さん 熱く語るという記事が掲載されています。

鳥越さんは「現場がすべて」という前提で「人間観」「歴史館」文化観」という3つの「観」が大切と説いています。

参考になると思います。ぜひこの記事をご覧になってください。

天の川 | 2009年11月22日 10:07 で“相川はどうなんでしょうか、気になるところです。”としましたが、相川は“相川さん”、あるいは“相川様”とすべきでした。

少々あわてものです、ここに失礼をお詫びし、訂正させて下さい。

<相川様>
「心で書く」蓋し尤もです。私の書きたかった事はすでにLEE様が、私以上に深い洞察力で書かれていますので、付け加える事はありません。
私自身、長く商業広告の世界で文章を書いてきました。スポンサーがいるとはいえ、開高健さんのサントリーのコピーは、彼の生き様が現れていました。
相川さん、現地取材してもインターネットで調べても、同じ結論になるかも知れません。
たとえ、そうであっても、確実に足掻いた痕跡は文章にあるいは行間に表れます。恐ろしい位に…。だから、私は心で書く相川さんを指支持します。

<上記訂正します。>
指支持します(誤)→支持します(正)
失礼しました。

相川俊英さんは、今では本当に数少なくなった記者らしい記者だ
これからも陰ながら注目し応援しているので頑張って欲しい

農水ダムの取材、TVで見ましたよ。いい勉強になりました。がんばってくださいね。応援しています。

恵美様

こんにちは。
私の洞察力なんて、酔っぱらいのオヤジの様なものですので、恥ずかしい限りです(笑)。

広告の世界にも、嘗ては心ある名作が沢山ありましたよね。
例えば CM の世界では、杉山登志さんという天才が居ましたが、彼が自死してからは、徹底的に「追求」するクリエイターが激減した様に思います。

「ヘタウマ」という言葉が流行り始めた頃でしょうか? 大人が大人としての責任を全く取らなくなってしまいました。すべて垂れ流しの社会になっちゃった様に思えます。
これでいいのか?これでいいのか?と自問自答しながらも、面白おかしさに誤魔化されて、私も現在に至った気がしています。
今、そのツケがきているんでしょうね。そんな風に感じます。

私も小さな草莽のひとりとして、相川さんや恵美さんにパワーを貰っています。

LEEさんの“ジャーナリストはアーティストだと思っています。”から考えたこと。
かつてアーティストとは「芸術家」のことを指していた。そして「芸術は爆発だ」と岡本太郎が言ったとおり、それは非日常的世界の表現だった。しかし、現在アーティストという言葉は、形容詞のように使われるようになった。単に創作する人というような意味なのだろう。そのような意味で解釈すると、ジャーナリストは創作者である、転じて創造性を持ち合わせていなければならない。というように解釈できる。アーチストも日常的な存在になったのだと思う反面なんだか少し寂しい気もする。アートが日常になって、世の中はドンドン非日常的なことが起きている。 でも昔のとおりの解釈でジャーナリストが芸術家だったらもっと大変だろう。 

相川様そして恵美様 Lee様
貴方達のコメントに刺激を受け、久しぶりに敬愛するルポルタージュの天才、開高健の本を取り出しました。
作家としてジャーナリストとして、洞察力表現力において開高を超える人を見た事がありません。開高の言葉は時代を超えて煌めいています。

〈『ベトナム戦記より』〉
この広場では、私は《見る》ことだけを強制された。
私は軍用トラックのかげに佇む安全な第三者であった。
機械のごとく憲兵たちは並び、膝を折り、引金をひいて去った。
子供は殺されねばならないようにして殺された。
私は目撃者にすぎず、特権者であった。
私を圧倒した説明しがたいなにものかはこの儀式化された蛮行を佇んで《見る》よりほかない立場から生れたのだ。
安堵が私を粉砕したのだ。
私の感じたものが《危機》であるとすると、それは安堵から生れたのだ。
広場ではすべてが静止していた。
すべてが薄明のなかに静止し、濃縮され、運動といってはただ眼をみはって《見る》ことだけであった。
単純さに私は耐えられず、砕かれた。

〈講演『経験・言葉・虚構』より〉
例えば言語とか文字とかゆうものが出来なかった、出来ていなかった昔、時代があって、その時 「ライオン」という文字は出来ていなかったし、「ライオン」という言葉も出来ていなかったわけですね。
すると「ライオン」とは何かといいますと、強いて解説すると、強力な脚をもち、鋭い爪をもち、ものすごい牙をもっている、混沌とした恐怖のかたまり。
速くて、痛くて、鋭い、恐ろしい混沌のかたまりなんですね。
ライオンじゃなかったわけです。
ところが一度これに「ライオン」という言葉をつくってあてはめてしまいますと、ライオンはどうなるかというと、人間の意識の中でかわってしまう。
やっぱり依然として、鋭くて、速くて、恐ろしい牙をもっているけれども、ただの四つ足の獣にかわってしまうわけですね。
ここで克服できたわけです。
これが文学の始まりなんです。

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Profile

相川俊英(あいかわ・としひで)

-----<経歴>-----

1956年群馬県生まれ。
早稲田大学法学部卒業。
1992年よりフリージャーナリストに。
1998年から週刊ダイヤモンド委嘱記者に。
地方自治を主なテーマとして全国を取材・執筆、サンデープロジェクトの特集レポーターも務めている。

BookMarks

-----<著書>-----


『長野オリンピック騒動記』
1998年1月、草思社

『ボケボケパラダイス』
1996年12月、筒井書房

『コメ業界は闇の中』
1994年4月、ダイヤモンド社

『東京外国人アパート物語』
1992年11月、新宿書房

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