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2009年11月23日

何のために記事を書くのか(2)

 数年前、ある県の幹部に面と向かってこんなことを言われたことがある。

 「あんたがあんな記事を書いたから大変なことになってしまった。これまで丸く収まっていたのに、いったい、何であんな記事を書いたんだ!」

 県幹部は怒りで体を震わせ、当方を睨みつけた。厳しい表情をした彼の部下たちが当方を取り囲み、犯罪者を見るような視線をぶつけてきた。その余りの対応に当方、愕然とした。そして、なぜか無性に悲しくなってしまった。日本は一応、法治国家のはず。ヤクザの面々が言うのならともかく、お役人がそんなことを口にしてはいけない。それをいっちゃおしまいでしょう。こんなことを思いながら、当方、県の幹部たちに質問を重ねた。

 県幹部らを激怒させた記事というのは、県内のある土地改良区で長年、続けられていた農業用水の不法転用の実態を明らかにしたものだ。週刊ダイヤモンドに短期間に集中連載した。地域でたった一人で盗水問題を告発していた人物と知り合ったのが、きっかけだった。県幹部は「その告発者が悪い」とまで言い放った。事実関係はこうだ。

 その県のある地域で国営灌漑事業が実施され、農業用水が供給されるようになった。そのおかげで地域農業は発展し、有数の畑作地帯となった。と同時に、交通の便の良さなどの「地の利」が着目され、地域内への企業進出も進んでいった。地域の自治体にとって願ってもないことだった。しかし、一点だけ難があった。農業用水は潤沢ながらも、工業用水の手当がつかないことだった。そこで考え出された策が、農業用水の不法転用。農業用の水路から水をこっそり工場内にまで引き込み、利用するという違法行為である。主導したのは、施設を管理する地域の水利組合(土地改良区など)。と言っても、そのトップは首長など地域の権力者である。

 農業用水を企業に回しても地域農業への支障が生じないこともあり、半ば公然と、水のヤミ転用が広がっていった。一方、農業用水を利用する企業側は事情がわからぬまま、使用料を水利組合(土地改良区)に支払っていた。こうして表に出せない不透明なカネがみるみる膨らんでいった。

 こうした違法行為の横行に告発者が異を唱え、行政や地元メディアなどに訴えたのだが、全く相手にされなかった。地域のタブーに触れる行為であったからだ。彼は逆に、変人扱いされてしまったのである。

 告発者の話を聞き、取材を始めた当方は首長や土地改良区、農家、農業用水を利用する企業などを訪ね回った。もちろん、農水省や国土交通省の出先機関にも足を運んだ。そのうえで、農業用水の不法転用の実態を明らかにする記事を連載した。

 だが、告発者と同様に当方も、企業に農業用水の利用をやめさせることが真の解決策とは考えていなかった。もともと水はみんなのもの。また、灌漑施設も税金で造ったものである。しかも、企業が利用することで地域農業への影響はない。つまり、農業用水の水利権量そのものが過大なのだ。こっそり、ヤミ転用するのではなく、きちんとルール化して融通し合うべきだと考えた。なぜなら、一応、日本は法治国家であるからだ。また、新たに工業用水用の水路をわざわざ作ることなどはせず、現状のままで(農業用水路を活用して)企業が水を使えるようにすべきだと考えた。税金のムダ使いを防ぐためだ。そして、法律や制度にそうしたことを阻む部分があるならば、改正すべきではないかと考えた。

 こうした趣旨の記事を書き続けたが、行政側の反応は冒頭で紹介した通りだった。農水省や国土交通省の現地調査が入るなどしたため、余計な仕事が増えてしまったと思ったのかもしれない。(この問題はその後、水利用における構造改革特区となり、企業への転用が認められた)。

 それにしても、「いままで丸く収まっていたのに」と怒りをぶつけた御仁は行政の使命をどうように考えているのだろうか。そして、実態とのズレが拡大する一方の法律をそのままにしておく国会議員たちは、議員の使命をどのように考えているのだろうか?まさか、国会議員の使命は立法を担うことではなく、「次の選挙に勝つことだ」と思ってやいないだろうか。

2009年11月21日

何のために記事を書くのか

 取材で全国各地を回り、腰を抜かすような現実に出くわす毎日を送る当方だが、反対にびっくりされることも少なくない。訪問先で「よくこんなところまでわざわざ来ましたね」と驚かれるのである。それで、当方いつも「記者が取材現場に足を運ぶのは当たり前のことです」とこたえるのだが、相手の方からは決まって「いや、最近の記者はだいたい電話で済ませますよ。わざわざ会いに来る人はいませんよ」と、繰り返されるのだ。まるで暇な変わり者のように思われてしまうのである。

 確かに、最近は携帯電話とメール、インターネットを駆使して取材活動を展開する記者さんは多い。また、記者クラブ活動を記者活動と勘違いしている記者さんも少なくない。しかし、取材者が直接、取材対象者を訪ねるのは基本中の基本のはず。にも関わらず、余りに不思議がられるので、自分が時代の変化についていけない古いタイプなのかと思ったりもする。もっとも、取材対象者からすれば、遠方からふらりとやってきた素性もわからない記者にどう対応すべきか、戸惑いがあるのは間違いない。それで、こちらはひたすら相手の方のお話に耳を傾けるのだが、これにも驚きの反応が返ってくる。「あなたは私の話をしっかり聞いてくれる。珍しい記者さんだ」と。思わぬ言葉に当方、再び、小首を傾げるのである。「記者は取材対象者の話をじっくり聞くのが仕事なのだが」と。確かに、最近は偉そうで横柄な記者さんが増えていると聞く。だが、それは、巨大な組織や溢れる権威の後ろ盾を持つ記者さんや著名なジャーナリスト達の世界の中でのこと。一介のフリー記者にとって、横着と横柄な姿勢はあり得ない(もちろん、組織内記者や著名なジャーナリストの中にも謙虚でコツコツと地道な取材活動を重ねる方々はたくさんいる)

 こうした取材活動を続ける当方、よく「足で記事を書く記者ですね」と言われる。どうやら褒め言葉のつもりで仰っているようなのだが、それは大きな誤解である。記事は足で書くものではない。指で書いているというのは、冗談で、自分のあらゆるものを総動員してやっとの思いで書いているのである。自分の足で現場を訪ね、自分の頭で考えて、自分の言葉で質問し、自分の耳で聞いて、自分の目で見て、いろんなものを感じとって初めて、自分の記事が書けることになる。つまり、全身全霊を傾けて書くものなのだ。「それであの程度の記事か」と、笑われることばかりだが、そうなのだ。つまり、自らの総合力を超えた記事は書けない。だから、いかにして自らの総合力を上げるかが記者にとって大事なのだ。

 しかし、それ以上に重要なことがあることに、最近になってやっとわかった。それは何か?記事は「心で書くもの」ということに気づいた。「何のために記事を書くのか」がポイントなのだ。つまり、記者が自らの使命をどのように考え、その使命を果たすためにどのように努力しているかである。恥ずかしながら、四半世紀以上、記者をやっていて、最近になってやっと実感するようになった。では、自らの記者としての使命は何か?五十を過ぎたオヤジが口にしたら、「なんて青臭いことを」と一笑に伏されるのは間違いないので、言わない。だが、おそらく、当方と同じ思いで取材活動を続けている同業者はたくさんいるはずだ。心で記事を書く記者たちである。もちろん、「マスゴミ」という品のない表現でひとくくりにされた、組織内記者の中にも。

2009年11月18日

河村たかしvs市議会 ナゴヤ版「関ヶ原」の決戦 

 国会以上に機能していないのが、地方議会だ。議員の多くはお手盛りの特権に浸り、特定支持者への利益誘導を活動の旨とする。議場で活発な論戦が展開されることもなく、台本通りの議事進行がほとんどだ。こうした地方議会の体たらくぶりは、自治体の規模を問わず全国共通の現象といってよい。住民の関心の低さも加わり、議会と民意の間にズレが生じがちである。

 それでも首長と議会が一体化している自治体は、矛盾が表面化しない。問題となるのは、首長と議会の考え、姿勢に大きな違いがあるケースだ。いずれも住民から選ばれた存在で、それぞれが執行責任と決定責任を分担する責務を負っている。しかし、互いに一歩も譲らず、抜き差しならぬ関係となってしまう場合である。二元代表制がもたらす弊害だ。

 そうした現象を生み出す最大の要因は、議会選挙への住民の無関心にあると考える。たったひとりを選び出す首長選と異なり、多数が当選する議員選挙への関心はどうしても低いものとなりがちだ。投票場に足を運ぶのはいつも特定の人たちで、組織票や固定票で当落が決まってしまうというケースが多い。民意が議会に反映しにくいのだ(もちろん、それは投票行動に出ない住民に最大の責任がある)。

 名古屋市議会がその典型だ。議員定数は75で、選挙区が16の行政区ごとに分かれ、定数2から7の中選挙区制となっている。投票率は常に低く、4割にも満たない。選挙区によっては3割を切るところさえ、ある。このため、「地盤、看板、鞄」が幅を利かせる旧来型の選挙が今なお続けられている。政治家の2世や3世、労働組合出身や国会議員の秘書、PTA会長といった面々が市議会を構成するのが、いわば伝統となっている。当然のことながら、彼らはそれぞれのお得意様に顔を向け、日々活動するのである。それがあの男が登場するまでは、ごく当たり前のことだった。

 20日から始まる名古屋市議会の11月定例会が要注目だ。庶民革命を掲げて今年4月に当選した河村たかし市長と市議会による「関ヶ原」の決戦が始まるからだ。市長が議会改革案を提出し、議会の自己改革を迫っているのである。改革案の内容はこうだ。議員定数の半減に議員報酬(年間約1,500万円)の半減、政務調査費(毎月50万円)の廃止と費用弁償(1日1万円)の実費支給化、さらに党議拘束の禁止などだ。河村市長は「議会改革案を否決するなら市長不信任を」と発言しており、また、否決された場合、議会の解散請求(リコール)に向けた署名集めに入る方針も示している。市長に議会解散権がないためだ。こうした市長の不退転の決意にナゴヤは今、真夏のような熱気に包まれている。

2009年11月16日

需要なき公共事業 504億円事業の使用率は0.2%

 日本各地を歩き、腰を抜かすような公共事業に出くわす日々を送っている当方も、初めて目にする奇妙な装置に思わずうなってしまった。そして、不覚にも「日本のお役人は本当に知恵者だ」と、感動すら覚えてしまったのである。畑地畑地灌漑(かんがい)事業の実態を追って青森の山中を走りまわっていた時のことだ。道路の脇にガソリンを給油するような無人の装置が設けられていた。それが何なのか事前に知らされていなかったら、間違いなく、見過ごしてしまっただろう。

 それは、畑にまく水を給水するスタンドであった。国が504億円を投じて実施した畑地灌漑事業の産物だ。水を必要とする農家がタンク持参で軽トラックなどでやってきて、ハンドルを自分で操作して水を汲む。そして、畑に戻ってタンクに溜めた水をまくというのである。農家にとっては何とも使い勝手の悪いシステムだ。当方、勝手ながら「ウォータースタンド方式」と命名した。

 もちろん、国は当初からこんなシステムを実施しようと考えていた訳ではない。どうにも致し方のない事情から、こんな奇策を捻り出したのだ。それにしても、その発想は凄い。事情はこうだ。畑地灌漑事業は、水源となるダムや基幹水路を国が、その先の支線水路を地元自治体などが整備する。本来は水を必要とする農家の申請によって始められる事業で、支線水路をつくって実際に畑に水をまけるようになると、農家の負担金が発生する。そのため、国営事業と県営事業ごとに農家の同意を取らねばならない。

青森のこのケースは、国がダムと基幹水路を造ったものの農家負担の生じる県営事業への同意が得られず、事業が中断してしまったのである。つまり、水路が途切れたままとなっており、畑まで水が流れなくなっている状態なのだ。負担金を出してまで水を使うことはないと、地元の農家が敬遠したのである。国はそのままにしておく訳にもいかず、基幹水路の先端(68箇所)に給水栓を設置。そして、水を使えるようにしてうえで、国営事業を完了させた。国のお役人は事務所をたたみ、全員、いずこへか姿を消した。
 
 青森の畑地灌漑事業は現在、暫定利用とされ、ただで水を利用できることになっている。しかし、そもそも水を必要とする農家がほとんどいないため、使用されている水量は無料だというのに水利権量のわずか0.2%にすぎない。何たることか。賢いお役人はこうなることを予測できなかったのだろうか?

 人が訪れた気配のないウオータースタンドを目にした当方、しばし、不思議な感慨に浸ってしまった。だが、日本社会は本当に奥深い。

 おバカなウオータースタンドの存在は何も青森に限ったことではなかった。各地を歩く日々は同時に、自らの不明を恥じる毎日でもあった。

2009年11月13日

空港戦略の転換 バラマキから選択・集中へ

 羽田空港の国際ハブ(拠点)化は何としても進めるべきだ。そもそも国内線は羽田、国際線は成田という「内際分離」の原則は、空港政策の失敗のツケを利用者に一方的に押し付けたものだ。利用者に強いている不合理を一日も早く、なくすべきだ。ましてや、羽田空港の拡張がすすみ、発着枠が飛躍的に増加するのである。羽田のハブ化をためらう理由などない。利用者不在の「内際分離」に拘泥していたら、世界中から嘲笑されるだろう。

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Profile

相川俊英(あいかわ・としひで)

-----<経歴>-----

1956年群馬県生まれ。
早稲田大学法学部卒業。
1992年よりフリージャーナリストに。
1998年から週刊ダイヤモンド委嘱記者に。
地方自治を主なテーマとして全国を取材・執筆、サンデープロジェクトの特集レポーターも務めている。

BookMarks

-----<著書>-----


『長野オリンピック騒動記』
1998年1月、草思社

『ボケボケパラダイス』
1996年12月、筒井書房

『コメ業界は闇の中』
1994年4月、ダイヤモンド社

『東京外国人アパート物語』
1992年11月、新宿書房

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