メイン | 2009年10月 »

2009年9月25日

五輪の呪い 招致活動は壮大なギャンブル

 五輪招致に失敗した首長の晩年は不遇きわまりないものとなる...

 そんな忌まわしいジンクス(?)が日本に存在する。一体、どういうことかと首をひねる向きも多いだろうが、国内の五輪招致活動を長年ウオッチングし続けいる当方が、偶然の一致では片付けられない一種の法則を発見した。

 話は1981年まで遡る。1988年夏季五輪を目指す名古屋がソウルとの一騎打ちに臨んだ。戦前の予想では、経済大国日本での2回目の夏季五輪開催が間違いなしとみられていた。軍事政権下の発展途上国に負けるはずがないと、名古屋市民のみならず日本中の人たちが勝利を確信していた。国際的な評価も本命とされていた名古屋は、余裕しゃくしゃくで国際オリンピック委員会(IOC)総会を迎えた。

 ところが、ふたを開けてみたら、大番狂わせが起きたのだ。ソウルの圧勝である。韓国の国の威信を懸けたなり振り構わぬ集票工作に、国際感覚の乏しい名古屋が吹き飛ばされてしまった。情報収集力と工作資金の差が票差となって現れたのだ。よもやの大敗に名古屋全体が意気消沈し、そればかりか、地域の威信までもが失墜した。大名古屋は他の地域から「大いなる田舎」と蔑まれ、一転してからかいの対象となってしまったのである。

 大敗に終わった名古屋五輪の招致活動を主導したのは、愛知県知事だった。知事は責任を痛感してか、2期で引退。その後、自ら命を絶ってしまった。一方、名古屋市の招致担当幹部も四面楚歌の状況に立たされた。そして、不名誉なある出来事の当事者となり、失意のまま退職せざるを得なくなった。名古屋市民も手痛い敗北のショックから立ち直るにかなりの時間を要した。

 それから20年が経過し、夏季五輪の招致に名乗りをあげる都市がやっと現れた。日本第二の大都市、大阪である。しかし、結果はまたしても敗退。それも屈辱的なものだった。2001年のIOC総会で大阪市が獲得した票は、たったの6票。あっという間に開催都市候補から脱落し、世界中から失笑されてしまった。この時の勝者は北京で、2008年の夏季五輪の開催地となった。

 大阪市が敗退したその翌年(2002年)、磯村隆文市長は財政の非常事態宣言を発した。市財政はまさに火の車で、磯村市長は翌2003年に惨憺たる状況のまま退任した。傷だらけのバトンを受けたのは、助役の関淳一氏。だが、就任直後から市役所の不祥事が次々と明るみに出て、市政は混乱の極みに陥った。長年の失政のツケが溜りに溜り、一気に噴出したのである。わずか四年で、関市長はそのポストから転がり落ちてしまった。民間出身の新人候補に選挙で大敗を喫したのだ。平松邦夫市長の誕生である。

 そんな大阪市に国内での五輪招致レース(1997年)で敗れのが、横浜市である。当時の横浜市長は高秀秀信氏。旧建設省の事務次官OBで超大物市長といわれた。ところが、高秀市長も五輪招致の国内予選に敗退し、求心力を急激に低下させてしまった。その後の市長選で30代の新人にまさかの敗北を喫した。代わって颯爽と市役所に乗り込んできたのが、中田宏氏だ。

 ところで、2016年夏季五輪の招致にいち早く名乗りを挙げた日本の都市は、福岡市だった。ところが、福岡市は2006年8月の国内候補地決定戦で東京にあっけなく敗れ、決勝へコマを進めることができなかった。その悔しい敗北のわずか3ヶ月後のことだ。五輪招致を言いだした山崎広太郎市長が市長選に出馬。3選を目指したものの、これまた新人候補に破れ、失意の退場を余儀なくされた。福岡市でも五輪招致選と市長選の敗北が連動したのである。

 自治体の首長にとって五輪招致に名乗りを挙げるリスクは想像以上に大きい。それは何故か?勝つために様々な無理を重ねることになるからだ。招致活動と称して多額のカネが使われる。行政の最優先課題に位置づけられ、他の施策を押しのけて予算と人員が投じられる。その一方で、勝利に何が必要かがわからないまま、戦うことを余儀なくされる。これほど厄介なことはない。つまり、壮大なギャンブルなのだ。もちろん、費用対効果を判定することなどできない。諸々の皺寄せがあらゆる方面に現れ、行政運営を著しく歪めてしまう。行政の力点が五輪招致に移り、住民不在という本末転倒の事態になりがちだ。それでも勝てば官軍となるが、負ければ一転する。反動が大きな津波となり、首長を直撃するのである。

 もう一つ別な要因も見え隠れする。五輪招致を起死回生の策として利用しようと目論むケースもある。にっちもさっちもいかなくなった行政運営を糊塗し、その転換を図る手立てとして五輪招致に乗り出す事例だ。足踏み状態に陥った大規模事業を起動させる起爆剤にという思惑だ。当然のことながら、この場合は招致に失敗すれば万事休すとなる。敗退と同時に失政が白日の下に晒され、首長への評価は激減するからだ。矛盾がより鮮明になるのである。大阪市が当にこのケースである。

 さて、2016年夏季五輪の開催地を決定するIOC総会が目前に迫っている。10月2日、決戦の場はコペンハーゲン。国内予選で福岡市を破った東京が、シカゴやリオデジャネイロ、マドリードとの最終決戦に臨む。

 4都市のどこが勝利するかは、予想不能である。しかし、東京にとっては勝ち負けいずれの結果になっても、てんやわんやの大騒ぎになることは、間違いない。そして、石原慎太郎知事の政治生命が大きく左右されることも間違いない。

2009年9月22日

JAL経営再建 まず高コスト体質を改善せよ

 10年ほど前のことだ。懇意にしていた長野県のある幹部が、恥ずかしそうに打ち明けてくれた。職場の忘年会についてだ。福岡市内のふぐ料理店で開くという。「それは豪勢なことですね」というと、相手は浮かぬ表情を見せた。聞けばそれもそのはず。わざわざ福岡で忘年会を開くのは、何か特別な趣向があってのことではなかった。県営の松本空港から旅客機に乗ることが、主目的。JAL福岡便の搭乗率が低迷しているため、少しでも旅客者数を増やそうと、わざわざ福岡市内での忘年会開催となったという。聞けば、新年会も同じ理由から札幌市内で行ったという。

 長野県庁から松本空港まで1時間半はかかる。そこから旅客機に乗り換え、海を越えて忘年会(新年会)場へ。もちろん、福岡、札幌ともに日帰りはかなわず、泊りがけになるという。職員の絆を深める効果ありかもしれないが、何ともご苦労なことだ。

 こうした県職員の自腹を切っての努力にも限界がある。路線の黒字化には、焼け石に水だ。当人たちには申し訳ないが、むしろ、無意味な行為と言わざるをえない。松本空港を離発着する旅客機の利用は低迷を続け、就航路線は現在、伊丹、福岡、札幌各便が日に1往復あるのみ。もともと需要の乏しいところに空港を建設したことが、苦戦の要因だ。

 空港を創りさえすれば、需要が泉のように湧き出てくるものでもない。また、官(行政)の力で需要を創り出せるものでもない。二--ズを無視してことを強引に進めれば、どこかに歪みが生まれてしまう。空席を飛ばす航空会社にまず、皺寄せがくる。

 鳩山内閣が成立した前日の9月15日、地方空港を揺るがす大事件が起きていた。経営再建中の日本航空(JAL)が経営改善計画の素案を、国土交通省が組織した有識者会議に提示した。2011年度までに国内線の2割弱に当たる29路線と国際線21路線の廃止、そして、国内7空港からの撤退を検討するというものだ。グループ社員6800人削減のリストラ策である。

 JALが撤退候補にあげた地方空港は、冒頭に紹介した松本空港(管理者・長野県)の他に静岡空港(静岡県)、神戸空港(神戸市)、広島西空港(広島県)、丘珠空港(札幌市)、奥尻空港(北海道)、粟国空港(沖縄県)である。いずれも不採算路線を抱え、経営のお荷物となっている地方空港だ。しかし、地元はどこも、撤退という言葉に大騒ぎとなった。なかでも驚きの声が上がったのが、静岡県である。

 6月4日に開港したばかりの静岡空港は、日本で一番新しい地方空港だ。県が総力を挙げて建設し、例の立木問題で躓きながらも6社8路線での開港にこぎ着けた。その主力エアラインが福岡便(3便)と札幌便(1便)を飛ばすJALで、静岡空港発着便の約3分の1を占める。

 静岡県はJALと特別な関係を構築し、路線開設を実現させた。福岡便への搭乗率保証である。目標とする年間搭乗率7割を下回った場合、県が不足座席分(1席につき1万5800円)をJALに補てんするものだ。JALの福岡便に限定した厚遇策で、税金の使い方としてどうかという批判が出た。

 この搭乗率保証は、前知事が強引に推し進めたものだ。「まさかのときの下支え」と説明し、反対論を封じ込めた。充分な需要があるので、実際に補てんするような事態にはならないと、強調したのだ。しかし、需要が本当に見込まれるなら、航空会社は自らの判断で路線を開設するはずだ。就航を渋るJALを知事自ら直接訪問し、搭乗率保証といういわば禁じ手を使って3便就航させたのが、実態である。

 では、就航後の現実はどうか。9月15日までのJAL福岡便の搭乗率は62.5%。仮にこの水準で今後も推移したら、静岡県がJALに支払うカネは年間約2億円以上になる計算だ。まさかどころではないのである。

 前知事の後継者(自公推薦)を破った川勝平太知事(民国社推薦)は、搭乗率保証の見直しを公約に掲げていた。そして、8月末にJALの西松遥社長と会談し、直接、廃止を求めていた。

 その一方で、空港の利活用を促進させる新たな策を講じた。空港と周辺のJR駅間のアクセスを改善しようと、バス便の増発をバス会社に要請。増発で生じる赤字分を県が補てんする奇策を提示した。補正予算案に今年度末までの費用として約4800万円を計上し、9月議会に上程している。空港アクセスバスへの乗客率保証である。このほかにも搭乗率アップのために、旅行代理店に一席当たり500円の奨励金を出すなど、総額で1億円の税金を投じる予定である。

 こうした経緯もあり、JALの撤退計画が報道された(9月16日)直後、川勝知事は怒りを爆発された。「利用促進の努力を逆なでするもので、けしからん」と語気荒く語っていた。

 その翌日の17日。静岡県に足を運び、県議会を傍聴した。県の担当者にも話を聞いたが、県庁内の雰囲気は想像していたものとは異なっていた。意外であった。わずか一日で、JAL撤退への危機感が薄らいでいるように感じられたのだ。それはなぜか?

 2つの要因が考えられた。ひとつは、16日夜の新しい国土交通相の就任会見での発言だ。前政権下で国交省が設置した有識者会議による、JALの再建計画検証の枠組みの白紙化である。県はJAL側からも「決定したことは何もない」との説明を受け、「撤退はないと考えている」とコメントした。事態を楽観視しているようだ。正確には「そうであって欲しい」という願望なのかもしれない。
 もっとも、現実は地元自治体が考えている以上に厳しい。JALが提示した再建策では問題の先送りにすぎず、より抜本的な策が求められるはずだ。

 静岡県に危機感が乏しいもう一点は、地元のリージョナル航空会社フジドリームエアラインズ(FDA)の存在だ。76人乗りの小型機で現在、静岡と小松、熊本、鹿児島間を結んでいるが、もともとは福岡便就航を検討していた。大手エアラインとの競合を避けるため、福岡便を見合わせた経緯がある。仮にJALが完全撤退となった場合、FDAがそれにとって代わることも考えられる。最悪の事態は避けられるとの思いがどこかにあるのであろう。だが、仮にそうなった場合、それではJALの就航は一体何だったのかと誰もが思うだろう。JALと静岡県がともに、金と時間、そしてエネルギーを浪費させたとはならないか。

 JALの経営再建は高コスト体質の脱却にかかっている。そうした「親方日の丸」の企業風土と裏表の関係にあるのが、経営への政治介入である。利益誘導に躍起となる族議員たちの暗躍だ。また、地方空港の低迷は、空と新幹線、高速道路などの高速交通網がグランドデザインなきまま野放図に整備された結果ともいえる。交通政策の不備である。空港、新幹線、高速道路のフルセットを望む地域エゴが自らの首を絞めることにつながっているとも言える。搭乗率を上げるために血道をあげるなど、本末転倒だ。静岡県の各課の忘年会は今年、福岡市での開催となるのではないか。

2009年9月18日

地方記者の日本探訪記 まずは神戸市長選から

 来月25日、神戸市長選が行われる。

 ここで連合はいち早く現職支持を表明した。現職は助役出身で、現在、二期目。前市長の後継者に指名され、自民、公明、民主、社民の推薦で圧勝を続けている。今回は連合の推薦を受けたほか、民主党にのみ推薦を依頼している。政権交代を受けての計算であろう。

 当方も以前、インタビューをしたことあるが、政治家というより能吏、それも隙のない優秀な市の幹部といった印象を受けた。

 神戸市はずっと助役出身市長が続いており、空港建設を最優先課題としてきた。もちろん、連合との二人三脚だ。震災後に生まれた市民派(無党派民主系)が毎回、候補擁立に奮闘するものの、共産党除きのオール与党体制に難なく捻りつぶされている。

 当方、震災直後に当時の市長が「空港建設を予定通り進める」と発言したことに驚き、取材を始めた。なぜ、そこまで空港にこだわるのか、その背景を解明したかったのだ。前々回(2001年)の市長選直前に、「神戸都市経営の崩壊」(ダイヤモンド社)という本にまとめたが、震災直後から神戸へのアンテナを張り続けており、今回の選挙も注目している。

 当方にとって、どの地域の首長選も枝葉末節な問題ではない。国政同様に、地域の住民の生活を左右するものだと考えているからだ。もちろん、首長ひとりが変わったら住民生活が大きく好転するというものでもないが。国政と同様、トップの資質で一気に悪化することはよくあるのだが...

 これから《THE JOURNAL》では、霞ヶ関ではなく、地方が担う日本社会の未来を伝えていきたいと思います。

-----------------------------------------------------------

■関連記事:選挙・神戸市長選 樫野氏、民主に推薦依頼 県連、対応を検討へ(毎日.jp )
http://mainichi.jp/area/hyogo/news/20090909ddlk28010389000c.html

Profile

相川俊英(あいかわ・としひで)

-----<経歴>-----

1956年群馬県生まれ。
早稲田大学法学部卒業。
1992年よりフリージャーナリストに。
1998年から週刊ダイヤモンド委嘱記者に。
地方自治を主なテーマとして全国を取材・執筆、サンデープロジェクトの特集レポーターも務めている。

BookMarks

-----<著書>-----


『長野オリンピック騒動記』
1998年1月、草思社

『ボケボケパラダイス』
1996年12月、筒井書房

『コメ業界は闇の中』
1994年4月、ダイヤモンド社

『東京外国人アパート物語』
1992年11月、新宿書房

当サイトに掲載されている写真・文章・画像の無断使用及び転載を禁じます。
Copyright (C) 2008 THE JOURNAL All Rights Reserved.