Calendar

2012年4月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

Category

2010年10月24日

メディアの忘れ物 口蹄疫禍と切原ダム

欠陥ダムを生み出した九州農政局はお隣の宮崎県で現在、農業用ダムを建設中だ。畑地灌漑用の切原ダム(宮崎県川南町)で、周辺の約一五八〇ヘクタールの畑にパイプラインでダムからの水を引くものだ。いわゆる土地改良事業のひとつである。水路などを含めた総事業費(国営分と県営分の合計)は約三九〇億円にのぼる。工事は一九九六年に着手され、切原ダムは来年度(二〇一一年度)内に完成する予定である。

ダム工事などは順調に進んでいるが、ある本質的な問題で事業全体が難航している。畑作農家の意向である。負担金を払ってまでダムからの水を利用する必要はないと考える農家が多く、事業への同意取得がすすまずにいる。つまり、利用者を置き去りにしたまま事業が始まり、進行しているのである。事業の対象地域は宮崎県東部の三町で、なかでも川南町の畑作農家が中心だ。

川南町は日本三大開拓地として知られる農業の町。コメ作りや野菜作り、畜産や養鶏が盛んで、全国でも有数の農業算出額を誇る。そんな川南町が今年、未曾有の危機に見舞われた。例の口蹄疫禍である。

宮崎県で今年四月、家畜の伝染病の口蹄疫が発生し、爆発的に拡大した。終息まで約四カ月かかり、約三〇万頭もの牛や豚が殺処分された。この口蹄疫の発生が最も集中したのが川南町で、地域から牛や豚が全て消える事態となった。町の畜産農家は壊滅的な打撃を受けたのである。

口蹄疫がなぜ、これほどまで拡大したのか。
宮崎県の初動対応のまずさや獣医師や行政担当者の不足、国や県市町村間の連携の悪さ、大量飼育の弊害など複合的な要因によるものと考えられる。

感染拡大の要因のひとつにあげられるのが、殺処分した牛や豚を埋める用地の確保の遅れである。埋却地の確保に手間取り、ウイルスに感染した家畜の殺処分が遅れてしまった。その結果、ウイルスを蔓延させ感染を拡大させてしまったのである。被害が集中した川南町がこのパターンであった。
ではなぜ、川南町の畜産農家は埋却地の確保に手間取ってしまったのか。ふたつの要因が考えられる。ひとつは、大規模農場で大量飼育する企業的経営に起因するものだ。施設用地以外の土地を持たず、事前に埋却地として使える土地を手当てしていない事例である。もう一点は、川南町特有の事情による。自前の畑や空き地、さらには行政のあっせんで埋却地を確保したものの、試掘したら地下水が湧き出して使えないケースが続出していた。尾鈴山などの山麓に広がる川南町は、台地にありながら地下水や湧水が豊富で、ため池も多い。そうした地域の水事情もあって、埋却地の確保が難しかったのである。逆にいうと、それくらい水に恵まれた地域なのだ。

さて、川南町が一丸となって口蹄疫と闘っていた時、畑地灌漑用の切原ダムの工事もストップした。また、ダムからの水の利用を渋る畑作農家への行政側の説得活動も中断された。それどころではなかったからだ。八月下旬に宮崎県が口蹄疫の終息宣言を行い、今は発生前の状況に戻りつつある。川南町から牛や豚の姿が消え去ったが、ダム工事は再開され、粛々と進められている。しかし、本質的な問題は今も残されている。そもそも農業用ダムをこの地に作る必要があったのか。そして、間もなく完成する切原ダムの水を誰が活用するのか。さらには、口蹄疫禍で財政に多大な打撃を受けた川南町が、畑地灌漑事業の負担を背負いきれるのかといった点である。

川南町は事業同意に難色を示す畑作農家に対し、給水栓の設置を町の負担(税金)で行い、農家が開栓しない限り、工事代金や負担金を徴収しないという「開閉栓方式」を提示し、説得して回っていた。だが、もはや、湯水のように税金を使う余裕などあるはずもない。一体、町は今後どうするつもりなのか。農水省九州農政局は、切原ダムが完成したら現地事務所を引き払い、さっと姿を消すはずだ。あとは地元でということだ。そういえば、切原ダムによる畑灌事業を推進してきた宮崎県の東国原英夫知事も「知事職の限界を感じた」と表明し、他の道への転身を図っている。

続きを読む "メディアの忘れ物 口蹄疫禍と切原ダム" »

2010年10月22日

メディアはダム報道を忘れたのか 底抜け欠陥大蘇ダムのその後

日本各地を一人で取材する日々を送る当方、このところ自らの限界を痛感している。取材すべきものが次々に現われ、どうにも追いつかないのである。もともとの非力さに焦りも加わり、処理しきれなくなっている。自分の目で見てみたい、話をうかがいたいなどと思いながらも、足を運べずにいる事例が増える一方なのだ。

もちろん、取材が追いつかないのは新たなテーマだけではない。一度、取材した先のその後の動きについても同様だ。新たな展開があった場合、再度、お邪魔してきちんとフォローするのが責務と自覚しているが、時間とエネルギー、資金、そして発表の場などの問題があってかなわずにいる。書きっぱなしでは「無責任」との誹りは免れないと、内心忸怩たるものがある。

当方が再取材に動けず最もやきもきしているのが、九州の二つの農業用ダムについてだ。

ひとつは、農水省九州農政局が熊本県産山村に建設した大蘇ダムである。二〇〇五年に完成した畑地灌漑用ダムだが、水漏れで使用不能となっている「底抜け欠陥ダム」。水をためないマンガの世界の産物のような代物だ。

大蘇ダム周辺は阿蘇の外輪山の東麓で、そもそも火山灰地。地盤も脆弱で、地元の人たちは当初から水をためるのは難しいのではないかと指摘していた。工事は一九七九年に始まったが、地元の人たちの懸念が的中してしまった。ダム建設地から多数の亀裂が見つかり、工事は難航した。二〇〇五年にやっとダム本体が完成したものの、事業費は計画当初の約一三〇億円から五九三億円に膨らんでしまった。また、完成が延び延びとなったため、水利用を断念する農家が続出した。待ちくたびれてしまったのである。農業を取り巻く環境の激変も影響した。

どうにか試験湛水まで漕ぎ着け、関係者がほっと一息ついたもの束の間だった。目に見えぬダムの底でとんでもないことが起きていた。ダム湖の底や斜面から水が漏れてしまい、計画通りの貯水ができずにいたのである。この前代未聞の事態を九州農政局は当初、明らかにしなかった。大蘇ダムの水を利用する受益者団体(土地改良区)の関係者が漏水の事実を突きとめ、初めて表面化した。当方は現地を訪ね、九州農政局の担当者に直撃取材を敢行したが、彼らは「水の想定外の浸透」と言い張り、欠陥ダムとの指摘に色をなした。

その後、多くのメディアが水をためないダムの存在を取り上げるようになり、大蘇ダムは一躍、世の耳目を集めるものとなった。そして、国民の多くが水だけではなく、税金も大量に漏らす奇妙なダムに憤激した。行政の無責任さと税金のムダづかいを象徴する存在となった。農水副大臣が現地まで足を運び、九州農政局の大失態を認めて謝罪した。ここまでが自民党政権時代の話である。

昨年の政権交代後、大蘇ダムの話題はまるで水が地下に浸透したかのように消えていった。全国ニュースにはならず、地元熊本県と受益地の大分県でたまに取り上げられるだけだった。当方も遠くからその後の展開を注視するくらいだった。

では、大蘇ダムは現在、どのようになっているのだろうか。実は、十月二十一日から漏水対策の工事が始められた。事業主体は国(農水省九州農政局)で、工事名は「貯水池浸透抑制対策調査工事」である。漏水対策ではなく、浸透抑制対策と表現したところに九州農政局の姿勢が読み取れる。

工事は三年間かけて、ダムの斜面の一部約三万ヘクタールに厚さ約一〇センチのコンクリートを吹き付けるというものだ。事業費は約八億四〇〇〇万円。もっとも、この工事は漏水対策を調査するもので、補修の効果を検証し、そのうえで改めてどのような対策が必要か検討するという。つまり、あくまでも対策調査の工事であり、本格的な漏水工事とは異なる。三年間の工事でダムの水漏れを止めるというわけではなく、約八億四〇〇〇万円の事業費で水がたまるようになるというものでもない。換言すれば、水漏れをなくすのにどれだけの事業費と工期を要するかはわからないということだ。

大蘇ダムを作るのに約六〇〇億円の税金を投入し、約三〇年もの月日をかけた。そのあげくの水漏れで、しかも、どこから水が漏れているのかさえ明確になっていない。そもそもダムの不適地に強引にダムを建設したことから、底抜け欠陥ダムが生まれたのである。今後、漏水対策事業費が膨れ上がり、工事完了が延び延びとなることも充分考えられる。欠陥ダムの水漏れを塞ぐよりも、新たな利水の策を講じる方が妥当ではないだろうか。

続きを読む "メディアはダム報道を忘れたのか 底抜け欠陥大蘇ダムのその後" »

2010年8月22日

隠蔽工作は一人ではできない──静岡空港問題から見えた記者クラブ体質(後編)

100822_air4.jpg
 元所長は法廷で立木が残った原因を問われ、「データの入力ミスと聞いています」と答えた。航空レーザー測量で得られたデータを電子入力する際に、誤った数値を打ち込んでしまったというのである。そもそも急傾斜地で誤差が生じがちな測量手法のうえに、入力ミスが加わっていた。空港の全体面積は約五〇〇ヘクタールという広さである。航空法上の高さ制限をオーバーした物件は屏風林だけなのか。それ以外にも多数あったのではと考えるのが、ごく普通ではないか。
 重大なミスをゴマカシと隠蔽でカバーしようとして、静岡県は袋小路に迷い込んでしまった。抜け出す奇策が考え出された。屏風林の除去を先送りし、滑走路を三〇〇メートル短縮して暫定開港を目ざすというものだ。当初の開港予定から三カ月ほど遅れた〇九年六月四日に目標が設定された。工事が急ピッチで進められた。
 そして、〇九年二月。国土交通省による空港完成検査に臨むことになった。検査は二月九日から一一日までの三日間。東京航空局の係官が現地を訪れ、立ち入り検査を実施した。三月一九日に合格が発表され、関係者は一様に胸を撫で下ろした。あとは開港に向けて走るのみ。県民の関心もそちらに移っていった。ところが、空港南側の私有地でとんでもないことが起きていた。
 反対地権者のひとりMさんは五月二六日、空港南側法面に隣接する自分の山林に入ってみて仰天した。多数の樹木が無断で伐採されていたのである。その数、九四本。あわてて県に電話をかけて問い合わせたところ、「県有林と間違って伐採してしまった」との言葉が返ってきた。また、県は伐採の理由を「管制塔からの視界を改善するため」と語った。
 空港南側の私有林が「誤伐採」されたのは、二月一三日だった。国土交通省による空港完成検査が終了した翌日である。当時の空港建設事務所長(証人として出廷した元所長)が前日二月一二日に、このエリアの立木の伐採を部下に命じていた。伐採された立木は全体で約四〇〇本。Mさんが所有する立木はその四分の一を占める。はたして本当に誤伐採だったのか。そして、「管制塔からの視界を改善するため」というのは、本当だろうか。

100822_air2.JPG
 元所長が証人として出廷した七月九日の裁判で、原告側弁護士が鋭い質問を重ねた。
「私はあらゆる支障物件を除去するように指示したので、どこかと特定して(指示して)いません」
 元所長が体を強張らせながら語ると、原告側弁護士は表情ひとつ変えずにズバっと切り込んだ。
「Mさんの立木は間違って切ったのではなく、(航空法の高さ)制限を超えているとわかって切ったのではないか?」
 法廷内はシーンと静まり返り、誰もが耳をそばだてた。証言台に立っていた元所長はやや早口で「退職した後に職員が間違って切ったと知り、謝りに行きました」と答え、立木が制限表面を超えていたかについては「私は承知していません」と繰り返した。二時間以上に及んだ口頭弁論で最も緊迫した場面となった。

 原告側弁護士は図や写真を手に、実証的に迫った。無断伐採の判明後、Mさんら地権者は現地で実測とGPS計測を併用した測量を行っていた。また、残された切株などから伐採前の立木の高さを推計していた。それによると、無断伐採された木の中に航空法の高さ制限を超えていたと推測されるものがあり、三・三七メートルや五・九メートルもオーバーしたものがあったという。こうした調査結果から、原告側は「誤伐採ではなく、支障となる物件と認識したので伐採した」と追及したのである。これに対し、元所長はこれまでの県の主張と矛盾することをポロリと漏らしたものの、その後は「私は承知していません」を連発して明言を避けた。もうひとつの立木問題の真相は深い霧の中に隠されたままだ。

 ところで、県が「管制塔から視界改善」を理由に私有林の誤伐採を断行したのは、国土交通省による完成検査が終了した翌日である。このため、誤伐採が検査に影響することはありえないので、県の主張にウソはないと考える向きもあるだろう。しかし、そう判断する前に確認しなければならない点がある。
 国土交通省の完成検査は、静岡県が作成した「空港周辺物件一覧表」に基づいて現場確認を実施しているにすぎない。国土交通省が独自に測量する訳ではない。また、県が提出した物件一覧表に誤伐採の場所は記載されておらず、国土交通省の担当官は県職員に口頭で確認しただけだという。となると、国土交通省の検査終了後に急いで伐採したことに別な見方も生まれる。大慌てで隠蔽に走ったのではないかとの疑念である。いずれにせよ真相は深い霧の中に隠されてしまった。

続きを読む "隠蔽工作は一人ではできない──静岡空港問題から見えた記者クラブ体質(後編) " »

2010年8月21日

隠蔽工作は一人ではできない──静岡空港問題から見えた記者クラブ体質(前編)

 報道の仕事に携わる端くれ者としてどうしても納得できないことがある。取材対象者のことではない。ある現場で同時に取材活動にあたった大手メディアの表現活動についてだ。同じものを目撃し、同じ話を耳にしたにも関わらず、ほとんど記事化していない。伝えるほどの価値はないと判断したのか、伝えてはならないと誰かが握りつぶしたのか、翌朝の新聞に記事を掲載したのは、ブロック紙のみ。現場に何人もの記者が駆けつけていながらである。

 確かに参院選の直前というタイミングの問題はあった。しかし、間を置くと腐ってしまうような話ではない。そして、伝えるべき価値の乏しい事柄でもない。むしろ、こういう事実をきちんと伝えることこそが、報道の仕事に携わる者の責務だと当方は考える(大手メディアの判断基準とは異なるのかもしれないが)。
 それだけに、同じ現場を取材した同業者(彼らはそうは思っていないかもしれないが)の沈黙に当方、衝撃を受けてしまった。これではまるで見て見ぬふりではないかと、愕然とした。そればかりか、彼らは隠蔽工作に半分加担しているようなものではないかと、失礼なことさえ思ってしまった。これまでの不可思議な経緯が頭に浮かんできたからだ。

 静岡地方裁判所で七月九日、静岡空港の未買収地への土地収用をめぐる裁判が開かれた。
 元地権者らが「土地収用は違法」とし、静岡県収用委員会が行った裁決の取り消しを求めている訴訟である。もっとも、昨年六月に静岡空港が開港しており、判決の行方に関心をもつ人はほとんどいない。
 しかし、十六回目の口頭弁論となったこの日はいつになく、緊迫したムードに包まれた。あいにくの雨にもかかわらず、傍聴席は八割方埋まった。きちんとネクタイを締めた人達とラフな格好の集団に二分された。開廷直前に七〜八人の報道関係者が姿を現し、中央前方部に用意されている記者席に腰を下ろした。特等席である。法廷内は蒸し暑く、生温かい空気が淀んでいた。
 この日の裁判に注目が集まったのは、十五年間にわたって空港建設事業に関わった県の元空港建設事務所長が証人として出廷したからだ。昨年三月末に定年退職したものの、用地取得や地元対策を任されていた現場の元トップ。職員があまりやりたがらない汚れ役でもあった。静岡空港の建設事業の全てを知る人物が証言すると聞き、当方も東京からおっとり刀で駆け付けた。静岡空港に関わる最大の謎を解く糸口が見つかるかもしれないと思ったからだ。

 揉め事の絶えない静岡空港で最大の不祥事が、例の立木問題だ。静岡県は航空法上の高さ制限を超える立木の除去を怠り、開港を遅らせる大失態を演じた。測量ミスが原因で、まさに「平成の大チョンボ」となった。滑走路先にまるで屏風のように立った杉やヒノキが障害となり、滑走路を三〇〇メートル短縮して暫定開港(昨年六月四日)する事態となった。

kukou.jpg
滑走路の長さと立ち木の関係

100821_airport2.jpg
制限表面を超えていた立ち木。2009年5月石川前静岡県知事は立ち木伐採と引き替えに辞表を提出した

 障害となったいわゆる屏風林など一七九本の立木は暫定開港前の五月に伐採され、その後、滑走路を本来の二五〇〇メートルに戻しての完全運用(昨年八月二七日から)となった。前代未聞のドタバタに県民の多くが驚き呆れた。なぜ、県は致命的なミスを犯してしまったのか。そしてなぜ、開港直前まで事態を放置し、打開に向けた努力を怠ったのか。県民ならずとも疑問に思ったはずだ。
 元所長の法廷での証言に耳を傾けると、こうした奇妙な謎が少しずつ解けてくる。そして同時に、新たなとんでもない疑惑も...。

 日本の東西の交通の要衝地である静岡県は、県内に空港を設置することを県政の最重要課題とした。当時の国(旧運輸省)も「一県一空港」という愚策を掲げ、地方空港の建設を推進した。これが追い風となり、静岡空港の建設が認められた。県は、茶の一大生産地である牧之原台地を建設地とした。しかし、優良茶畑をつぶす寝耳に水の話に、地元農家は猛反発した。空港の必要性に疑問を抱く人も少なくなく、県は用地取得に難航した。「地権者一人ひとりと誠意をもって交渉しました。家や職場などに数百回にわたって足を運びました」(元所長の法廷での証言)
 土地を手放すことへの地元農家の抵抗は強く、国から空港設置の許可が出されるか危ぶまれる事態にまで進展した。大慌てとなった静岡県は知事自らが運輸省と交渉し、用地取得問題を「円満に解決する」との覚書を締結し、見切り発車で設置許可を手にした。だが、その後も反対地権者の姿勢は変わらず、最終的に四世帯が売却ノーを貫いた。こうして空港本体部や周辺部に未買収地が残り、空港反対を主張する人たちが共有地権者となった。その数は三五〇人にのぼった。同様に予定地内の立木所有者が一四〇〇人ほどに。
 見切り発車したことで、静岡県は次第に苦しい立場になっていった。国と覚書を交わした石川嘉延知事(当時)は円満解決を口にする一方で、強制力の発動(土地収用)に向けた準備を進めた。
 土地収用は公益のために私権を制限するもので、その範囲は必要最小限でなければならない。正確な測量を行い、収用(県が強制的に所有権を取得する土地)と使用(高さ制限を超えたものを除去するために県が使用権のみ取得する土地)の範囲を確定することが大前提となる。このため、対象地に立ち入り調査を行い、綿密に実測するのが原則だ。
 ところが、静岡県は現地への立ち入り調査を実施せず、航空レーザー測量で収用と使用の範囲確定を行っていた。元所長は口頭弁論でこの点を県側弁護士に問われると、「対象地が広かったこと。反対運動が強かったこと。それに、(航空レーザー測量が)最高の技術とうかがっていたので、起業地の特定を確保できると考えていた」と、答えた。おそらく、測量現場で反対派とトラブルになることを恐れたのが、一番の理由ではないか。

 では、トラブルの発生を一番、恐れたのは誰か?国との間で「円満に解決する」との覚書を結んだ人物ではないか。
 静岡県は〇三年五月に、土地収用の範囲を確定させる航空レーザー測量を業者に委託していた。原告側弁護士もこの点を重要視し、元所長に質問を重ねた。その過程で驚くべき事実を次々に指摘した。県は航空レーザー測量の実施を決定する前に、その制度を検証していた。〇一年のことだ。
 静岡県と業者が作成した検証結果報告書(測量簿)によると、「山林の樹木が繁茂しているところではレーザー光が地表面に透過する割合が減少するため、データ取得密度が低くなり、特に急傾斜地では最大で五メートルもの誤差がみられる」とされた。つまり、精度に問題ありとの報告で、「実測で行うのが望ましい」と結論付けられた。この精度検証について問われた元所長は「内容については承知しておりません」と答え、「(レーザー測量は)最先端の技術で、精度の高い測量ができると聞いて行った。正しいものと信じていた」と繰り返した。
 急傾斜地では実測等高線と比べて最大五メートルの誤差が生じるとされたレーザー測量を基に、収用と使用の範囲が確定され、強制収用が実施された。その結果、対象外とされたOさんの土地の立木がそのまま残された。Oさんは用地買収に応じなかった地権者のひとり。土地の高さのデータが誤っていたため、屏風林が航空法上の制限表面を超えていたにも関わらず見過ごされたのである。

 問題は、こうした重大なミスを県がどの時点で認識したかである。空港建設現場はもともと山林で、山あり谷ありの急傾斜地である。盛り土や切り土を重ね、広大なエリアを整地していく作業が進められた。山を削り、谷を埋めていったのだ。工事が進捗するにつれ、屏風林の所有者Oさんはおかしさに気がついた。収用地に囲まれた一角にヒノキが林立しているからだ。一目瞭然である。Oさんは〇六年一二月に開かれた県収用委員会の審理の場で、この事実を指摘したが、なぜか黙殺された。屏風林の周辺は県有地である。現地に行けば、目視だけで問題ありと認識できる状況になっていた。事の重大さに誰も気づかず、Oさんの指摘をうっかり聞き流してしまったのだろうか?

「明確に(立木の存在を)認識したのは、平成一九年(〇七年)九月です。(石川嘉延)知事にも私から直接、電話連絡しました」
 口頭弁論で元所長はこう証言した。しかし、県は支障となる立木の存在を公にせず、沈黙を続けた。県から公式発表がなされなかったからか、メディアも動かなかった。
 Oさんはその後(〇七年十月と〇八年十一月)も県やメディアに支障物件を指摘したが、全く相手にされなかった。Oさんは県庁記者クラブに直接、足を運び、資料や屏風林の写真などを配布し、必死に説明したが、記事化されることはなかった。県が公式発表していない事実を記事にすることを躊躇ったのだろうか。かりにそうであったなら、記者ではなく、記者クラブ員でしかない。

続きを読む "隠蔽工作は一人ではできない──静岡空港問題から見えた記者クラブ体質(前編)" »

2010年7月22日

頓挫した「平成の無血革命」と展開中のナゴヤの「庶民革命」 ─公約実現に不可欠なものは何か

 日本で昨年、2つの「革命」が勃発した。

 ひとつは、歴史的な政権交代による「平成の無血革命」であり、もうひとつが名古屋市で始まった「庶民革命」だ。前者の指導者は民主党の鳩山由紀夫総理で、政治主導や地域主権、新しい公共を目ざすべきものとして掲げた。

 後者は河村たかし市長が提唱したもので、市民税減税や地域委員会創設などを旗印とした。国政と地方自治の違いはあるものの、ともにマニフェスト選挙で有権者の圧倒的支持を得てリーダーとなった。

 2つの「革命」は同時に進行していったが、わずか1年足らずの間で大きな違いが生まれている。鳩山総理は自らの稚拙な政権運営が要因となって退陣し、表舞台から姿を消した。その後継総理も参院選で大敗を喫し、衆参の「ねじれ現象」に直面。歴史的な政権交代の輝きを完全に喪失した。

続きを読む "頓挫した「平成の無血革命」と展開中のナゴヤの「庶民革命」 ─公約実現に不可欠なものは何か" »

2010年1月11日

「一票の格差」違憲判決 問われる国会議員の役割

 昨年末に自らの不見識を痛感させられることがあった。まるで「あんたは日本国憲法を読んだことがあるか?」と、詰問されたような思いがした。また、現実をただ直視するだけではいけないと、反省もした。歴史的な政権交代をもたらした夏の衆院選での「一票の格差」を問うた、定数訴訟の判決のことだ。  

続きを読む "「一票の格差」違憲判決 問われる国会議員の役割" »

2009年12月18日

誰のための税金か 茨城空港に群がる「関連工事」

 やることなすことがどうにもちぐはぐで、税金が住民生活の向上に役立っていない。そんな思いを募らせながら、取材現場を後にした。「茨城空港」を訪ねた時のことだ。空港ターミナルビルからの公共交通の便がなく、やむなく車でJR石岡駅まで送ってもらった。

続きを読む "誰のための税金か 茨城空港に群がる「関連工事」" »

2009年12月11日

国内路線ゼロ "国営"茨城空港の本当の狙いは何か

 来年3月に開港予定の「茨城空港」を先日、見に行ってきた。地方空港を長年、取材してきた者として足を運ばない訳にはいかないと思ったからだ。今のうちに行っておかないと取材できなくなるかもしれない。そんな焦りの思いもあった。

続きを読む "国内路線ゼロ "国営"茨城空港の本当の狙いは何か" »

2009年12月 2日

何のために記事を書くのか(3)

 前回、農業用水の不法転用の事例を紹介した。国営畑地かんがい事業の完成後、土地改良区が余っている農業用水をこっそり工業用水として利用させていた話である。その時に「水はみんなのもの」と表現したが、正確には「本来、みんなのもののはず」。河川の水を利用するには水利権を持っていなければならず、勝手に水を利用することは許されない。

続きを読む "何のために記事を書くのか(3)" »

2009年11月23日

何のために記事を書くのか(2)

 数年前、ある県の幹部に面と向かってこんなことを言われたことがある。

 「あんたがあんな記事を書いたから大変なことになってしまった。これまで丸く収まっていたのに、いったい、何であんな記事を書いたんだ!」

続きを読む "何のために記事を書くのか(2)" »

Profile

相川俊英(あいかわ・としひで)

-----<経歴>-----

1956年群馬県生まれ。
早稲田大学法学部卒業。
1992年よりフリージャーナリストに。
1998年から週刊ダイヤモンド委嘱記者に。
地方自治を主なテーマとして全国を取材・執筆、サンデープロジェクトの特集レポーターも務めている。

BookMarks

-----<著書>-----


『長野オリンピック騒動記』
1998年1月、草思社

『ボケボケパラダイス』
1996年12月、筒井書房

『コメ業界は闇の中』
1994年4月、ダイヤモンド社

『東京外国人アパート物語』
1992年11月、新宿書房

当サイトに掲載されている写真・文章・画像の無断使用及び転載を禁じます。
Copyright (C) 2008 THE JOURNAL All Rights Reserved.